それおひとりでって言われる日が一番しんどい

それおひとりでって言われる日が一番しんどい

一人でやるしかない日々が積み重なっていく

司法書士という仕事を一人で続けていると、ふと気づくんです。「あれ、今日誰ともまともに会話してないな」って。電話では話してますよ、お客さんとも法務局とも。でも、それは“作業の一部”であって、“会話”じゃない。事務員はいるけど、繁忙期にはそれどころじゃないし、家に帰っても誰かが待ってるわけじゃない。なんでも自分で抱えて、気づけばそれが当たり前になっている。でも、それって本当に普通なのかなって、時々思うんです。

孤独というより無言のプレッシャー

「孤独ですね」と言われることもあるけれど、感覚としては違う。誰も見てないのに、誰かに見られてるような、妙な緊張感が常にあるんです。仕事の判断ミスひとつが、信頼に直結する世界。だから慎重になる。でも、相談する相手もいないし、結局、自分に問い続けるしかない。おまけに、誰にも文句も言えず、自分で自分を励ますのが日課みたいになっている。それが無言のプレッシャーってやつです。

何も言われないからこそ重い

誰かに「大丈夫?」とか「手伝おうか?」って言ってもらえたら、どれだけ救われるだろうと思う。でも現実には、そんな言葉は降ってこない。むしろ「先生は一人で全部やれてすごいですね」と言われてしまうと、そこに甘えてもらっていいのか、さらに頑張らなきゃいけないのか、わからなくなる。何も言われない静かな日々ほど、背中にのしかかるものは重たくなる一方です。

気がつけば誰にも頼っていなかった

忙しさを理由に、誰かに相談したり、助けを求めたりすることをやめてしまったんだと思う。最初は「迷惑かけたくない」って気持ちだった。でもそれが積み重なって、今では「頼るってどうやるんだっけ?」という状態。気がつけば、何かトラブルがあっても「とりあえず一人で対応するか」と思ってしまう。そんな自分に気づいたとき、少しだけ、悲しくなった。

ひとり経営の気楽さと責任のはざまで

自分で開業して、自由にやれるのは魅力のひとつ。でも、自由には責任がついてくる。「好きなようにやれる」と思ってたのに、今では「誰も代わりがいない」という現実に押しつぶされそうになる。昼ごはんもトイレのタイミングも、すべて業務と調整しながら。自由と孤独は背中合わせ、という言葉が身に染みる日々です。

全部自分で決められる喜びと不安

誰かに確認を取らなくても、スピーディーに決断できる。それは大きな強みであり、快感でもある。けれど、その判断が間違っていた場合、責任はすべて自分。誰かのせいにすることもできない。そう思うと、決断一つひとつが重くなっていく。正直、胃が痛くなることも多い。

事務員の支えに救われている現実

一人だけ雇っている事務員には、本当に感謝している。書類のミスに気づいてくれたり、ふとした気遣いでコーヒーを出してくれたり。たったそれだけのことで、「ああ、まだ人と一緒にやってるんだな」って思える。たまに冗談を交わせる時間が、心の支えになっている。人は、完全に一人では持たないんだと思う。

それおひとりでという言葉の破壊力

世間では「おひとりさま」も浸透してきたように見えるけど、まだまだ偏見は残っている。「それ、おひとりで?」と何気なく聞かれる瞬間、胸の奥に小さな棘が刺さる。たぶん、相手に悪気はない。だけど、その一言が、自分の“孤独”を強制的に見せつけてくる。

悪気がないのはわかるけど刺さる

先日、ファミレスで一人ランチをしていたとき、店員に笑顔で「おひとりさまですね」と言われた。その言葉に、なぜか涙がこみ上げてきた。「おひとりさま」という言葉に、どこか“寂しい人”というニュアンスが含まれているようで。それがその日の疲れや空虚さと合わさって、心にじんわり響いたんだと思う。

外食の注文で心がざわつく日

焼肉も回転寿司も、一人で行くことが増えた。もう慣れたはずなのに、店員が「一名様ですね」と確認してくるたびに、心がチクリと痛む。「そうです」と笑顔で答えるけれど、その裏では“誰かと一緒に来たいな”という感情が渦巻いている。大げさだけど、その瞬間に、自分の人生の縮図が見えるような気がしてしまう。

コンビニで言われた一言が忘れられない

夜、仕事帰りにコンビニで弁当を買ったときのこと。若い店員がレジで「今日はお仕事お疲れ様です、おひとりですか?」とにこやかに言ってきた。気を遣ってくれたんだろう。でも、なんか、その「おひとりですか?」が、胸の奥に突き刺さった。こんな小さな一言で、心って案外揺れるんだなと実感した。

元野球部が味わう仲間なしの業務

学生時代、野球部で汗を流していたころは、仲間が常にそばにいた。ミスすれば励まし、勝てば一緒に喜ぶ。そんな日々が、今では懐かしい記憶になった。司法書士という仕事は、個人プレーが基本。ミスしても、勝っても、自分ひとりの問題。時々、誰かと“ハイタッチ”したくなる。

掛け声もハイタッチもない世界

事務所で一人、黙々と登記申請書を作っているとき、ふと思う。「今の作業、誰かが見てたら褒めてくれたかな?」って。でも、そんな声は聞こえてこない。電話越しに「助かりました」と言われることがあるけど、それは業務としての評価。仲間内の「ナイスプレー!」みたいな感情の共有とは違う。それが、じわじわ効いてくる。

ミスしても自分で笑うしかない

人間だから、ミスもする。間違って登記の種類を選んでしまったとき、思わず「やっちまった」と独り言。でも誰も聞いてないし、誰もツッコんでくれない。そんなときは、自分で「アホか」と笑うしかない。元野球部のノリで乗り切るけれど、本当は誰かに笑い飛ばしてほしいんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。