今日も冷蔵庫に風が吹く一人暮らし司法書士の食と孤独の話

今日も冷蔵庫に風が吹く一人暮らし司法書士の食と孤独の話

一人暮らし歴十数年冷蔵庫はいつも空っぽです

もう何年も、冷蔵庫を開けるたびに「風が吹いてるな」と思う。中にはペットボトルの水と、買った記憶のないカレールウの箱。あとは、期限切れギリギリの卵が一個とか。自分でも「これは人としてどうなのか」と思わなくもない。でも、仕事が立て込むと買い物どころじゃないし、ついコンビニで済ませる癖がついてしまった。野球部時代、あんなに飯をかき込んでいた自分はもういない。

忙しさにかまけて買い物すら行かない日々

朝は依頼者との連絡、昼は法務局や銀行を回って、夜は書類の山に追われる日々。買い物に行くという行動すらも面倒になってしまう。スーパーに行っても何を買えばいいか分からず、結局手ぶらで帰ってしまったことも何度かある。「野菜は高いし、どうせ腐らせるだけだしな」と心の中で言い訳して、今日もまた冷蔵庫は空のままだ。

食べる時間も気力もないときの冷蔵庫の中身

ある日の夜、21時を回ってようやく一息ついて冷蔵庫を開けた。そこにはミネラルウォーター、マヨネーズ、古びたチューブのわさび。胃が空腹を訴えているのに、食欲はわかない。この矛盾は何なのか。結局その日は白湯をすすって寝た。栄養もへったくれもない。

氷と調味料と賞味期限切れの何か

冷凍庫には製氷皿。使い道のない氷がカラカラと転がっている。調味料はあるのに、食材がない。「何か作ろう」という意欲もない。買い置きしていたはずの冷凍うどんは、賞味期限が2ヶ月前に切れていた。そういうときに限って「自炊したいな」なんて思ったりする。完全に手遅れだ。

毎日コンビニ帰り食生活は崩壊中

仕事帰りに寄るコンビニは、もう顔なじみの店員さんがいる。最近はレジで何も聞かれない。ただ「温めますか?」だけ。おにぎり、からあげ棒、アイスコーヒーが定番。栄養バランスもへったくれもないが、時間と手間を考えるとこれが一番楽。健康診断の結果が怖くて封筒すら開けていない。

栄養バランスどころか白飯も炊かない

炊飯器は一応ある。買ってはみたものの、使ったのは最初の数回だけ。いまは棚の上に鎮座して、まるで置物だ。白飯を炊く、という行為すら「重労働」に感じる。お米を研いで、水を入れて、炊くのを待って、片づけて…。やる前から疲れてしまう。おかずもないのに、ご飯だけ炊くのもなんか虚しい。

元野球部が弁当男子に戻る日は来るのか

高校時代は毎朝自分で弁当を作っていた時期もあった。肉そぼろ弁当とか、卵焼きだけの手抜き弁当とか。あのころの方が生活は整っていた気がする。いまは弁当箱すらない。コンビニ袋を下げて帰る毎日。ちょっと寂しい気もするが、それが今の現実だ。

忙しさと孤独は比例するのかという疑問

仕事が忙しくなればなるほど、人との距離が遠のいていく感覚がある。依頼者と毎日会話はしているけれど、ふと気づけば、プライベートの会話はまるでない。孤独という言葉は使いたくないけど、冷蔵庫を開けたときのあの「空っぽ感」が、自分の心の中をそのまま映しているようで、少し怖くなる。

仕事はあるのに心が満たされない理由

事務所としては忙しい方だと思う。依頼も途切れないし、相談も多い。なのに、どこか満たされない。帰宅して誰もいない部屋、冷たい布団、空っぽの冷蔵庫。自分のために何かをする気力が湧かない。誰かのためには頑張れるのに、自分のためになると、とたんにエンジンが止まってしまう。

誰かと食べる食事が恋しい夜

たまに思い出す。友達や家族と囲んだ鍋、焼肉、カレーライス。誰かと一緒に食べた食事の記憶は、思いのほか心に残っている。食事って、味よりも「誰と食べたか」なんだなと実感する。今日も冷蔵庫は空っぽだけど、それよりも「一緒に食べる誰かがいないこと」の方が、きついかもしれない。

鍋を囲む相手がいない寂しさ

冬に一人鍋をしてみたことがある。白菜と豚肉を買って、土鍋を出して。食べたらそれなりに美味しかった。でも、鍋って、やっぱり誰かとつつくものなんだなと痛感した。テレビを見ながら一人で鍋をつついても、心までは温まらなかった。

もう少し自分を大切にしてもいいかもしれない

最近ようやく思うようになってきた。仕事ばかりじゃなくて、もう少し自分の生活を整えることも必要なんじゃないか、と。冷蔵庫にちょっとでも食材が入っていたら、それだけで少し気持ちが違う気がする。自分を大事にすることは、たぶん仕事の質にもつながる。そう思いたい。

野菜を買うのも湯を沸かすのも立派な一歩

先日、思い立ってスーパーでほうれん草を買った。ちゃんと茹でて、おひたしにして食べた。塩加減が微妙だったけど、なんだか満たされた。料理の手間じゃなくて、「ちゃんと食べよう」と思った自分に、少しだけ誇らしさを感じた。たったそれだけでも、大きな変化だ。

冷蔵庫を満たすことは心を満たすこと

冷蔵庫が少しでも満たされていると、不思議と安心感がある。誰かが来たときにも慌てなくていいし、自分のために何か作ろうという気持ちにもなる。空っぽの冷蔵庫は、自分の心がすり減っているサインなのかもしれない。まずはそこから変えていこうと思う。

自分のごはんを作ってあげられるのは自分だけ

誰かが料理を作ってくれるわけでもない。外食を続けても、体は正直だ。最終的に、自分を支えるのは自分だけだと痛感する。ならせめて、自分のために一杯の味噌汁くらい作ってやりたい。そうやって、自分を少しずつ大切にしていきたいと思う今日この頃。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。