合コンに誘われなくなった年齢になっていたと気づいた日

合コンに誘われなくなった年齢になっていたと気づいた日

ある日ふと気づいた「誘いがない」ことの重さ

数年前までは、「今週末空いてる?」「合コンやるから来ない?」といった連絡が、仕事帰りのスマホにポンポン届いていた。ところが最近はというと、着信音すら鳴らず、通知はクレジットカードの明細か、業者からの営業メールばかり。司法書士として独立してからの忙しさもあって、自分から誘いを断ることも多かったのは確かだ。でも、ある日、スマホをぼんやり眺めながらふと気づいた。「もう、誰も誘ってくれなくなったんだな」と。それは寂しさとか悲しさとか、そんな言葉で言い表せるような軽い感情じゃなく、もっと深くて重たい何かだった。

スマホの通知は仕事ばかり

午前中の登記の確認、午後の相談対応、夕方の不動産業者との打ち合わせ。予定が詰まっているのはありがたい。けれど、スマホをチェックしても、プライベートな通知は一切ない。かつては週末の飲み会や合コンの連絡が頻繁に来ていたあの頃が幻のように思えてくる。LINEのグループも、生きているのは「士業連絡網」だけ。気づけば「忙しそうだから誘っても無理だろう」という空気を、周囲に自分から作ってしまっていたのかもしれない。

グループLINEに静寂が続く

昔の大学の友人たちとのグループLINE。以前は月に一度は誰かが「飲まない?」と投げかけてきていた。でも今や、そこにはスタンプが一つ、二つ、年末年始の「明けおめ」が並ぶだけ。返信もどこか義務的で、温度がない。僕自身もその空気に馴染んでしまい、何か書こうとするたびに指が止まる。たった一言すら送れなくなる自分に、年齢というよりも、人とのつながりの希薄さを感じた瞬間だった。

「飲みに行こうよ」の言葉はもう昔話

思えば、学生時代や20代のころは、「飲みに行こうよ」が合言葉だった。どんなに忙しくても、無理やりにでも時間を作って、飲みに行く理由を探していた。けれど今は、そんな誘い文句すら誰からも聞こえてこない。司法書士として「先生」と呼ばれるようになったことで、変に距離を置かれているのかもしれない。それとも、単に「おじさんはもういいや」と思われているだけか。どちらにしても、もう自分は“合コンに誘われる側”ではないんだと、現実を突きつけられた。

年齢とともに消えていった「声かけられる側」の立場

いつの間にか、自分が「声をかけてもらう側」ではなく、「静かに過ごすのが当たり前の人」に変わっていた。若いころは、自分の予定が埋まっていくことに喜びを感じていたが、今では予定が空いていることの方が自然で、むしろ誰にも会いたくないと思う日も増えてきた。老けたという実感はない。でも「求められなくなった」という事実が、鏡の前の自分よりもよほど老いを突きつけてくる。

若い頃の自分と今の自分の違い

昔の自分は、明るかった。元野球部のノリで場を盛り上げるのが得意だったし、人といる時間が好きだった。でも、今は違う。気を使うのがしんどくなり、人の話を聞くのも疲れることがある。仕事で一日中気を張っているせいか、プライベートではもう気を抜いていたいのだ。そんな自分に気づいたとき、「もうあの頃のようには戻れないな」と、少しだけ口元が苦く歪んだ。

元野球部のあの頃の自信はどこへ

グラウンドで声を張り上げ、仲間と汗を流していた日々。あの頃は、何かを成し遂げる自信と、自分に期待してくれる誰かが必ずいた。合コンに行けば「元野球部」なんて肩書きもウケたし、それなりにモテた気でいた。でも今は、その“元”が重いだけの飾りになってしまった。仕事に追われ、身なりにも気を使わなくなり、自信も鈍く、声も小さくなった自分に、あの頃の面影はもうない。

忙しさで埋めたはずの隙間が心にぽっかり

日々の業務に追われていると、余計なことを考えずに済む。登記の期限、書類の確認、依頼者への連絡…次から次へとタスクが押し寄せる。だからこそ「寂しさ」なんて感情は、仕事中には出番がない。でも、ふとしたときに襲ってくる。たとえば、夜ひとりでラーメンを食べているとき、テレビをぼんやり眺めているとき。気づけば心にぽっかりとした空白が広がっているのだ。

事務所と家の往復だけの毎日

朝は事務所へ直行し、夜はそのまま帰宅。寄り道もせず、誰かと会うわけでもない。気づけば、事務所と家の間に「どこかへ行く」という選択肢がない。仕事を理由にしている。でも本当は、どこへ行っても誰かに会うわけじゃないし、会いたい人もいない。そう思ってしまう自分に、少しだけ悲しさを覚える。

事務員さん以外と話すのはコンビニ店員くらい

「温めますか?」「袋はご利用ですか?」そんな言葉しか交わさない日がある。事務所では、事務員さんと必要最低限の会話をし、あとは静かに仕事に没頭するだけ。電話は来るが、それは業務連絡。どこか感情を通わせるような会話が、日常の中にすっかりなくなっていた。そんな日々を過ごしていると、どんなに鈍感な僕でも、人との距離をひしひしと感じてしまう。

誰とも雑談しない日があるという事実

雑談は、必要ないものと思っていた。でも、それがまったくない生活を続けていると、心が硬く、冷たくなっていくのがわかる。今日は天気がいいとか、テレビの話とか、そういった“どうでもいい会話”が、案外心の潤いだったのだ。今は、それがごっそりと抜け落ちてしまっている。誰とも雑談しない日、それが続くことの怖さに、ようやく気づき始めた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。