誰でもできると言われた仕事に人生をかけている

誰でもできると言われた仕事に人生をかけている

言われた一言が今も胸に刺さっている

「誰でもできるんでしょ、その仕事」。ある日の飲み会で、知人から放たれたその一言が、今も頭から離れない。相手は悪気があったわけではない。むしろ無邪気に、純粋な疑問として言ったのだろう。でもその言葉は、私にとっては心を切り裂くようなもので、胸の奥に刺さって抜けないままだ。司法書士という仕事に、どれだけの勉強と、どれだけの忍耐を重ねてきたか。誰にも気づかれないところで積み上げてきた日々が、「誰でもできる」のひと言で粉々になる。あのとき笑って流せなかった自分が、今では少し誇らしい。

あれって誰でもできるんでしょ その無邪気な破壊力

司法書士という仕事の中身を知らない人が、軽く言っただけだと頭ではわかっている。でも、知らないからこそ言えてしまう言葉の破壊力というのは、思った以上に大きい。長年この業界にいて、何度もこういった言葉に出会ってきた。「登記するだけでしょ?」「それ、役所に出すだけなんじゃないの?」。そのたびに「そうじゃないんだ」と説明しようとして、でも結局黙ってしまう。説明すればするほど、自分が過剰に反応しているように見えてしまうのが怖いのだ。だから、心の中で叫ぶ。「それなら、やってみてくれ」と。

笑って流せなかった自分が情けない

その夜、帰りの電車で反芻していたのは、自分の反応だった。なぜあんなに引きずっているのか、なぜこんなにもモヤモヤするのか。心のどこかで、「やっぱりこの仕事、誰でもできるんじゃないか」と思ってしまっている自分がいるのかもしれない。だからこそ、人の言葉に過敏になってしまう。でも、笑って流せなかったのは、本気でこの仕事と向き合ってきたからだとも思う。バカにされても構わない。でも、自分の積み上げてきたものを笑われるのは許せなかった。

悔しさは静かに蓄積していく

悔しさは怒りにはならず、ただ静かに自分の中に積もっていく。誰にもぶつけることができないからこそ、厄介だ。司法書士という仕事は、見た目にはわかりづらい。成果物は紙1枚、登記完了の証だけ。そこに至るまでの思考や確認や調整は、外からは見えない。だからこそ、「誰でもできる」と思われてしまうのだろう。でも、その積み重ねこそが、仕事の重みだと信じている。悔しさを飲み込んで、それでもまた明日も仕事をする。それが、私の選んだ道なのだ。

誰でもできるならなぜ誰もやらないのか

「誰でもできる」と言うなら、なぜやろうとしないのか。資格を取るのも大変、実務をこなすのも神経をすり減らす。そんな仕事を、好き好んでやる人は少ないのかもしれない。それでも、誰かがやらなければ社会は回らない。地方の片隅で、こつこつと書類と格闘している私のような存在も、どこかで必要とされていると信じたい。誰でもできるなら、ぜひやってみてほしい。机に向かい続ける体力と、細かい文字を追い続ける集中力。それを何年も続けられるだろうか。

土日も夜も関係ない現実

司法書士の仕事に休みはない。登記は待ってくれないし、お客様の事情も待ってはくれない。土曜の夕方に電話が鳴れば、居ても立ってもいられなくなる。日曜の夜にFAXが届けば、頭の中は月曜の段取りでいっぱいになる。小さな事務所では、事務員に全てを任せるわけにもいかない。結局、全部自分で抱え込んでしまう。だからこそ、平日と休日の区別なんてものは、いつの間にか曖昧になってしまった。そんな現実も知らずに「楽な仕事でしょ?」と言われたら、もう笑うしかない。

知識も体力も神経も削れる日々

登記のミスは信用の損失に直結する。だからこそ、細部まで確認しなければならない。漢字一文字、住所の番地ひとつ、数字のミスひとつが取り返しのつかない事態を招くこともある。それを防ぐために、どれだけの神経を使っているかは、自分しか知らない。さらに、事務所の経営もある。事務員の給料、光熱費、家賃、そして何より自分の生活費。すべてが頭の中で渦巻いている。それでも、朝になれば机に向かう。もうそれが日常になってしまった。

それでも楽そうだねと言われる矛盾

登記がスムーズに終わっても、誰も「お疲れさま」とは言わない。クレームがないのが当然の世界だからだ。何も問題が起きないことこそが、最高の成果であり、それは「目立たない仕事」として片付けられてしまう。そうして、「司法書士って楽そうだよね」と言われる。そのたびに、言い返したい気持ちが込み上げる。でも、言っても仕方がない。わかってもらえないのは、もう慣れた。だけど、心の奥にある矛盾は、今も消えないままだ。

報われない努力を続ける意味

誰にも認められなくても、意味がないわけじゃない。自分の中で「ここまでやった」という実感が、かろうじて自分を支えてくれる。たとえそれが世間から見えなくても、自分の仕事に納得できることが、心の拠り所だ。報われる日なんて、来ないかもしれない。それでも、今日も書類に目を通し、ミスがないように神経を張り詰める。この地味な仕事の中に、私は自分の人生を詰め込んでいるのだ。

誰も見ていない場所で戦っている

私たち司法書士は、裏方だ。表舞台に立つことはほとんどない。でも、裏方がいなければ、表は成り立たない。契約書も、登記も、細かな手続きも、誰かがしっかり支えているからこそ、安心して物事が進む。誰にも見えないところで、何かを支えている。そんな仕事があることを、もう少し世の中に知ってほしいと願う。でも、自分でアピールするのは苦手だし、そんな時間も余裕もない。だからこそ、同じように頑張っている人たちに、この思いが少しでも届けばと思っている。

元野球部の根性が役に立ったかもしれない

高校時代、私は野球部だった。真夏のグラウンドで、声を張り上げながら白球を追いかけていた。あの頃は「しんどい」が口癖だったけれど、不思議と嫌ではなかった。今思えば、あの理不尽で地味でキツい練習が、この仕事を続ける根性を育ててくれたのかもしれない。司法書士の仕事もまた、日々の積み重ねだ。ホームランはなくても、コツコツとヒットを重ねていく。それが、私の人生のスタイルなのだと思う。

それでも辞めない理由

ふとした瞬間に、「もうやめたいな」と思うことは正直に言ってある。でも、辞められない理由もある。責任、義務、そして何より自分の意地だ。誰に評価されなくても、誰かがやらなければいけないことを、自分が担っているという感覚がある。それが正しいかどうかはわからないけれど、今の私にはそれしかない。この場所で、この仕事を続けることでしか、自分を保てないのかもしれない。

感謝の言葉に救われることがある

「ありがとうございました、本当に助かりました」。そんな一言に、どれだけ救われてきただろう。お客様は深く考えずに言っているのかもしれない。でも、私にとっては、その一言が何日分もの疲れを吹き飛ばしてくれる魔法になる。評価されることの少ない世界だからこそ、その「ありがとう」は特別に重い。きっと、司法書士という仕事を続ける理由のひとつは、そこにある。

この仕事が好きと言える日は少ないけれど

好きか嫌いかで言えば、正直わからない。ただ、やめられない。それだけは確かだ。この仕事には不満もあるし、孤独もある。でも、それでも続けている自分を、少しだけ誇りに思っている。誰でもできると言われた仕事に、私は人生をかけている。そのことを、自分だけは忘れずにいたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。