あのときの判断がやっぱり間違ってたかもしれないと思う日

あのときの判断がやっぱり間違ってたかもしれないと思う日

ふとした瞬間に押し寄せる後悔

仕事を終えて事務所を出たとき、夕焼けがやけに綺麗で、思わず立ち止まる。そんな静かな時間に限って、過去の選択が頭をよぎる。あの依頼を断ったのは正しかったのか、あの登記の判断、本当にこれで良かったのか。日常に追われているときは気にも留めなかったことが、ふとした瞬間に胸をつく。不安というのは、静けさの中でこそ大きくなるものだとつくづく思う。

自分で選んだはずなのに迷いが残る

司法書士という職業は、常に「判断」を迫られる。これは引き受けるべきか、これは断るべきか、法律的に可能でも倫理的にどうか。そうやって選択を重ねてきたはずなのに、時間が経ってから「あれでよかったのか」と疑問が湧く。特に人に迷惑がかかったり、後々トラブルになった案件は、夜眠る前に思い出してしまう。選んだのは自分。でも、その自分を今さら信用しきれなくなっている。

あのとき別の選択をしていればと思う日

数年前、あるお客様の相談を「時間がない」という理由でお断りした。後日、その方は別の事務所で依頼を完了させたと聞いた。大きな案件ではなかったけれど、きっと困っていたのだろう。対応できていれば、違う展開があったかもしれない。もっと人を助けられていたかもしれない。たらればを言い出したらキリがない。でも、あの判断が本当に良かったのかと今でも自問してしまう。

判断を下すことに疲れたとき

日々の業務において、判断力は求められる。だけど、それが積み重なると確実に心が擦り減っていく。気がつけば、「間違えたくない」という気持ちが強くなりすぎて、前に進むのが怖くなるときもある。疲れは判断を鈍らせ、鈍った判断がまた疲れを呼ぶ。そんな悪循環に陥ると、自分の頭の中さえ信用できなくなる。

司法書士という職業に決断力は必要か

「決断力」がある司法書士は信頼される。そう教えられてきたし、実際にそうだと思う。でも、決断の重さが心を押しつぶすこともある。ひとつの判断でお客様の未来が変わることがあるから、軽々しくは動けない。だからこそ慎重になるし、慎重になるほど疲弊する。決断力という言葉が、時に重くのしかかるのは、私だけではないはずだ。

正解のない選択に追い込まれる現実

この仕事、正解がない判断の連続だ。登記の解釈ひとつ取っても、条文と実務のズレがある。裁判所のスタンスも地域によって変わる。そんな中で「正解」を求められるのは、なかなか酷だ。結果的に「うまくいったかどうか」で判断されがちだが、それは結果論。正解がわからないからこそ、決断のたびに心が揺れる。

ミスしたくないという恐怖との闘い

ミスはできない、ミスをしたら信用を失う。そう思えば思うほど、怖くなる。たった一つの漏れが、登記をやり直す事態になったことがある。お客様に頭を下げに行ったとき、自分の不甲斐なさに泣きたくなった。以来、細かいことでも何度も確認するようになったが、それでも不安は消えない。怖いまま仕事を続けている。

誰にも相談できない孤独な局面

一人で事務所を回していると、誰かに相談する相手がいない。事務員さんには負担をかけたくないし、同業者に話しても「そんなのよくあるよ」で終わることも多い。だから、間違えたかもしれないという不安も、自分の中で反芻するしかない。孤独と不安は、どちらも静かに心を蝕んでくる。

間違ったと思った判断に救われたこともある

とはいえ、不思議なもので「あの判断、間違ってたな」と思ったことが、後々になって「良かったかも」と思えることもある。目の前の事実だけでは見えないことが、この仕事にはたくさんある。時間が経ってから意味がわかることもある。だから、少しだけ自分を許してみようと思う。

失敗したから見えた別の景色

昔、書類の不備で登記が戻されて、正直焦った。でもその対応の中で、別の問題に気づき、お客様から「丁寧に見てくれてありがとう」と言われた。そのとき、失敗にも意味があるのかもしれないと思った。完璧を求めるあまり、自分を追い詰めていたけれど、少しぐらいの躓きがあっても、そこから立て直せるなら、それも仕事のうちだ。

後悔と感謝は紙一重だったりする

依頼を断ったことで、その人との関係が終わると思っていた。でも、その方は「無理しないでくれてありがとう」と言ってくれた。感謝されると思ってなかったから驚いたし、少しだけ救われた。後悔していた判断が、相手にとっては優しさに見えることもあるんだと知った。それ以来、少しだけ視点を変えて物事を見るようにしている。

どうしても不安が消えない夜に

それでも、不安がまったく消えるわけじゃない。夜になると、どこか落ち着かなくて、過去のやりとりや判断が浮かんでくる。あれもこれも、気にしすぎなのかもしれない。でも、気になるものは気になるのだ。ひとりでいるときほど、不安は増幅してしまう。

自分を責めすぎてしまう性格とどう向き合うか

私は基本的に自分に厳しい性格だと思う。良く言えば責任感が強い、悪く言えば自己否定が強い。ちょっとしたミスも引きずるし、人の何気ない言葉に傷ついたりする。そんな自分を変えたいと思いつつも、40代半ばを過ぎて今さら性格を変えるのは難しい。でも、それを「悪いこと」だと思わないようにしようとは思っている。

元野球部のくせに打たれ弱い自分

高校時代、野球部で鍛えられたつもりだった。でも、メンタルは全然鍛えられてなかったらしい。ミスしたときにすぐ顔に出るし、怒られると胃が痛くなるタイプ。試合ではそこそこ打ったが、今は打たれる側の感覚が強い。司法書士って、クライアントに責められると逃げ場がない。逃げずに受け止めるって、意外と難しい。

結果が出るまでの時間にどう耐えるか

自分の判断が正しかったのか、それはすぐにはわからない。特に相続や不動産絡みの案件は、時間が経ってからしか結果が見えない。だからこそ、その「待ち時間」がしんどい。考えても答えが出ない時間を、どうやって過ごすか。それがこの仕事の、一番の試練かもしれない。私はまだ、うまくできていないけど。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。