登記簿に名前がなかった日から疑いが始まった

登記簿に名前がなかった日から疑いが始まった

見慣れたはずの登記簿で足が止まる

司法書士として何百枚も見てきた登記簿。事務的に確認するだけのはずが、その日だけは違った。相談者の家の登記簿を確認していると、依頼人がぽつりと「これって、私の名前じゃないんですか?」とつぶやいた。見てみると、確かに登記名義は別の人。相談者は家を両親から譲ってもらったと思っていたそうだ。なんとも言えない沈黙が流れる中、ふと昔のことを思い出した。自分にもあった。買ったはずの家に、なぜか自分の名前がなかった過去が。

当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかった

それは十数年前の話。まだ若く、恋人と一緒に家を買った。当時の俺は「愛があれば名義なんて」と思っていたし、ローンを組んだのも向こうだったから、書類も相手に任せていた。だが別れたあと、ふとした拍子にその家の登記簿を見たら、自分の名前がどこにもなかった。共有名義だと勝手に思い込んでいた。それに気づいたとき、頭が真っ白になった。あのときの情けなさと悔しさ。相談者の表情に、あの頃の自分を重ねてしまった。

その家は自分のものだと思っていた

「自分の家」って、実際に住んでいればそう思うものだ。鍵を持ってる、家賃も払ってる、掃除もする、修繕もする。だけど、法的にはそれだけじゃダメだ。登記簿という、あの味気ない書類に名前が載ってない限り、「あなたの家」にはならない。そんな当然のことを、恋愛や家族の関係性の中では簡単に見落とす。人間関係に甘えて、書類の確認を怠る。俺もそうだった。今さらだけど、情より登記の方がずっと正直だったと思う。

登記簿を見て初めて気づく違和感

登記簿って、どこか冷たい。まるで「はい、あなたは関係ありません」と突きつけてくるような。でも、事実は書いてある通りでしかない。見慣れているはずのフォーマットも、自分の名前がないだけで別物に見えてくる。あのときの胸騒ぎは今でも覚えている。誰かの好意に甘えて、ちゃんと確認しなかった自分を責めた。まさか、自分が登記簿を信じる側になるとは、あの頃は思いもしなかった。

名前がないことの意味を調べる

相談者の質問に答えるふりをしながら、自分の記憶を掘り起こしていた。どうしてあの時、自分の名前は登記されなかったのか。実は法的には当然のことなのに、感情がついていかなかった。それから改めて、名義って何なんだろうと考え始めた。所有者とは何か、書面とは何か。「気持ち」だけで何かを所有できると思い込んでいた若さが、登記簿の現実に敗北した瞬間だった。

登記名義の基礎知識

登記名義とは、不動産の権利を誰が持っているかを公的に記録する制度だ。名前が載っている人が法的な所有者であり、名義がなければ、たとえどんなにそこに住んでいても、法的には所有者ではない。共同で家を買ったつもりでも、名義が一人だけなら、その人が所有者となる。だからこそ、家族間でも名義の確認は重要。特に相続や離婚の場面で、登記の内容がその後の人生を大きく左右することも少なくない。

所有権の移転と名義人の関係

不動産の所有権は、契約だけでは移らない。移転登記を行って初めて第三者にも対抗できる「権利」が成立する。たとえば親が子に家を譲ると言っても、登記を移さなければ法的には親のまま。口約束では登記簿は変わらないし、遺言があっても手続きがなければ記録には残らない。名義変更を怠ると、いざというときトラブルになる。事実と記録が一致していないと、感情ではどうにもできない壁にぶつかる。

相続や贈与でも簡単に書き換わらない理由

「もらった」と思っている不動産でも、登記の手続きをしていなければ法律上は何も起きていない。贈与でも相続でも、登記を移さなければ前の所有者のままだ。しかも、登記には登録免許税や司法書士報酬など費用がかかるため、手続きを後回しにしがちになる。でもその「後回し」が命取りになることもある。いざ売却したい時や、相続人同士で揉めた時に、証拠として機能するのは登記簿だけだからだ。

司法書士としての葛藤と虚しさ

人の名義の相談を受けるたび、心の奥にチクチクと刺さるものがある。自分が若かった頃に、もっときちんとしていれば…と思ってしまうからだ。人には「登記は大事ですよ」と言いながら、自分はその基本を怠っていた。その後悔が、いま司法書士としての原動力にもなっている。ただ、わかっているのに気持ちがついていかない人の気持ちも痛いほどわかる。それだけに、相談を受けるたびに、過去の自分と向き合わされているようで、少し苦しい。

他人の名義の相談に答えながら自分の過去を思い出す

最近、ある高齢の女性からの相談があった。「夫の名義のままだけど、もう亡くなって何年も経つの」と言われた。調べると、確かにそのまま放置されていた。名義を変えない理由を尋ねると、「面倒だし、どうせ誰にも迷惑かけないと思ってた」と。だけど、いざ子どもに譲る話になると大問題になる。そのとき、俺も昔そうだったと思い出した。名義を変えるのが面倒で、誰にも相談せず、結局失ってしまった。

昔付き合っていた人と買った家のこと

その人とは5年ほど同棲していた。お互いに貯金を出し合って家を買ったけど、名義はなぜか相手だけにした。「ローンは私が組むから」という一言に、深く考えず了承した。結果、別れたときにすべてを手放すことになった。「自分が出したお金は?」という気持ちはあったけど、書類には何も残っていなかったから、どうにもできなかった。結局、泣き寝入り。それがずっと心に引っかかっている。

気づかないふりをしていた自分への後悔

実は、どこかでわかっていたのかもしれない。「これは後で問題になるんじゃないか」と。でも、当時の自分は相手を信じたかったし、揉めたくなかった。だから目をつぶった。そして、現実を突きつけられたとき、あまりに自分が無力だった。司法書士になった今だからこそ、「あのとき手続きしておけば」と何度も思う。後悔は今でも癒えないけれど、その経験があるからこそ、今、誰かの役に立てているのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。