今日もがんばれなかった自分へ

今日もがんばれなかった自分へ

今日もまたがんばれなかったと感じる朝

朝起きて、まず思うのは「ああ、今日も何も変わってないな」という感覚。窓の外は明るいのに、自分の心はまだ真っ暗で、目覚ましを止めたあとも布団から出る気になれない。司法書士という職業柄、早く事務所に行って段取りを整えないといけないのは分かっている。それでも、体も心も鉛のように重い朝がある。昨日のミスを引きずっていたり、疲れがまったく抜けていなかったり。ただ「やる気が出ない」という一言では済ませられない、そんな朝がある。

やる気が出ないまま始まる一日

やる気のなさがそのまま表情や動きに出て、事務所の空気もどこか重くなる。事務員さんには申し訳ないと思いながらも、テンションを無理に上げることができない。昨日の失敗が頭をよぎる。「あの登記、もっと早く処理すればよかった」と後悔だけが繰り返される。机の上の書類を見ても、どれから手をつけていいのか分からず、結局コーヒーを淹れるふりをして時間を稼いでしまう。そんな自分にまた嫌気が差す。

昨日の疲れがまったく抜けない

正直、40代に入ってからというもの、疲れの取れ方が違う。20代の頃は、徹夜しても翌朝には多少リセットされていたけれど、今は違う。昨日、クライアントとのやり取りで神経をすり減らし、そのまま夜まで申請書類に追われた。深夜に帰って食事もそこそこに寝たはずなのに、起きた瞬間から体が重い。気力の回復も、まるで古いスマホのバッテリーのように限界がある。自分の限界を感じる瞬間が、日増しに増えてきている。

頭の中がずっとモヤモヤしている理由

「何が原因なんだろう?」と自分に問いかけてみても、はっきりとした答えは出ない。ただ漠然とした焦燥感と自己否定が、頭の中にずっと居座っている感じ。もしかしたら、がんばれていないことへの罪悪感なのかもしれない。あるいは、誰からも評価されていないという孤独感かもしれない。モヤモヤを晴らそうとしてSNSを見たり、ラジオをつけたりしても、心が晴れることはほとんどない。静けさの中にいる方がまだマシだと思うくらいだ。

机の前に座っても進まない書類たち

事務所に来て、パソコンの電源を入れ、スケジュール帳を開いても、何も始まらないまま時間だけが過ぎていく。業務の流れは頭に入っているはずなのに、手が動かない。郵送されてきた登記関係の書類の山を見ても、まるで別の言語に見えるほど集中力が落ちている日がある。

目の前の仕事に向き合えない理由

それは怠けているのではなく、気持ちの余裕がまったくないから。どこかで完璧主義になってしまっていて、「ちゃんとやらなきゃ」という思いが逆に動きを止めている。今ひとつでもミスをすれば、クライアントからの信頼を失うかもしれない。そのプレッシャーが、自分の足を引っ張っていると分かっていても、どうにもならない時がある。

事務員の手が止まると焦りも倍増

事務員の手が止まったとき、たいていは質問が飛んでくる。自分の処理が滞っていると、その問いにもすぐ答えられない。そうすると、彼女の不安そうな顔が見える。それを見ると「自分がもっとしっかりしてれば…」と落ち込む。事務員にまで迷惑をかけていると感じることが、さらに自分を責める材料になってしまう。まるで負の連鎖だ。

細かいミスに自分が情けなくなる

ほんのちょっとの変換ミスや、印鑑の押し忘れで書類が戻ってくると、心がバラバラに崩れそうになる。「なんでこんなこともできないんだろう」と自分を責め、何度もチェックしたはずの書類を睨みつけてしまう。でも、そんなことをしてもミスがなくなるわけじゃない。自分のキャパシティを超えてしまっていたという、ただそれだけのことなのに。

どうしても誰かと比べてしまう毎日

気にしなければいいのに、SNSで流れてくる知り合いの成功話やキラキラした日常に、つい心が揺れる。「自分は何やってるんだろう」と勝手に劣等感を抱き、誰にも見られていない事務所の片隅で、小さくため息をつく。

SNSの活躍報告に勝手に落ち込む

同年代の司法書士が、テレビに出たり本を出版したりしているのを見ると、素直に「すごいな」と思う一方で、「俺は何もできていない」と比べてしまう。誰も比べろなんて言ってないのに、自分の中の“誰か”が勝手に他人と張り合っている。心が削れる原因の多くは、自分の中にある比較の癖なんだと思う。

他人の評価が気になって眠れない夜

「あのとき、あんな対応しなきゃよかったかな」と思い返してしまう夜。依頼人の一言や、事務員の表情すらも気になって、頭の中で反省会が止まらない。誰も気にしていないような小さなことを、延々と反芻してしまう。眠れない夜が増えると、翌日の体調も崩れていき、さらに自信を失ってしまう。

元野球部だった頃の自分とのギャップ

学生時代、野球部でどんなにきつい練習でも乗り越えられた自分がいた。その頃の根性や体力はどこへ行ったのか。あの時の自分が今の自分を見たら、きっとがっかりするだろう。だけど、今の自分には今の事情がある。大人になって背負うものの重さは、球拾いとは比べものにならないのだ。

がんばれない日の自分を否定しない

がんばれない日があってもいい。むしろ、そういう日こそ自分を責めずにいたい。事務員に「今日はちょっと調子悪いんです」と伝える勇気も、大切なのかもしれない。完璧じゃなくていい。司法書士だって人間だから。

努力できない日にも意味がある

がんばれなかった日は、次にがんばるための準備期間かもしれない。体と心が休息を求めていた証拠なのかもしれない。たとえば、雨が降った翌日には草木が元気になるように、自分の心も一旦立ち止まることで次に進めるのかもしれない。

自分を責めることが一番疲れる

がんばれなかった自分を一番傷つけているのは、実は自分自身。誰かに怒られるより、自分で自分を責める方がずっと苦しい。優しくなりたいなら、まずは自分自身に優しくしてみる。それだけでも、少しだけ呼吸がしやすくなる気がする。

今日も生きてるだけで充分だと信じたい

今日はがんばれなかった。でも、朝起きて、仕事に向かおうとしただけでも充分がんばってる。電話が鳴っても出られなかった日も、書類が1枚も進まなかった日も、それでも今日を生き抜いた自分に「よくやった」と言いたい。明日もまた同じようにがんばれないかもしれない。でも、それでいい。少しずつでいいから、自分を許しながら進んでいきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。