請求書を出すたびちょっと気まずくなる

請求書を出すたびちょっと気まずくなる

請求書を出すたびちょっと気まずくなる

毎月の終わり、もしくは月初。請求書を出すタイミングがやってくるたびに、なぜか心がざわつく。こちらは真面目に働いた対価として請求するだけなのに、どこか「申し訳なさ」を感じてしまう。司法書士として業務を遂行した結果なのに、いざ金額の書かれた書類をPDFにしてメールに添付し、送信ボタンを押すとき、ほんの少しだけ躊躇してしまうのだ。気まずさの原因は何なのか、自分の中でもまだ整理しきれていない。

請求書の送信ボタンに手が止まる瞬間

仕事が終わり、請求書を作成する。それだけの流れが、なぜこんなにも心に負荷をかけるのか。誰にとっても事務的な行為のはずなのに、自分にとっては妙に重たく感じるときがある。特に、長く付き合っているクライアントや、どこかで「恩義」を感じている相手にはなおさらだ。メール本文に「ご確認お願いいたします」と書くだけでも、どこか借りを返してもらうような気まずさを感じてしまう。

たった一通のメールが重い

ある日、いつものクライアントに請求書を送ったあと、「今月ちょっと高いですね」と言われたことがある。事前に見積もりも出していたし、業務の内容も伝えていた。でも、その一言がしばらく心に残った。それ以降、「また何か言われるんじゃないか」と、必要以上に相手の感情を気にするようになってしまった。自分の中では正当な請求であっても、相手がどう思うかを気にしてしまう。そうなると、メール1通でも手が重くなる。

相手の反応を想像して勝手に疲れる

送信ボタンを押す前、何度も金額を見直す。「この業務にこの額で本当に良いのか?」と自問し、さらに過去のやりとりを遡る。そんなことをしているうちに、本来30分で終わる事務作業が1時間以上かかっている。相手がどう受け取るかなんて、コントロールできるはずもないのに、勝手に反応を想像しては自己嫌悪に陥る。これが毎月のルーチンになっているから、そりゃ疲れるわけだ。

自分の価値を金額で示すことの葛藤

請求書には、ただ金額が記されているだけではない。それは、自分の時間、労力、知識、経験、そして責任が込められた「評価」でもある。だが、それを数字に置き換えることに、私はどうしても抵抗を感じる。特に、昔から「お金の話をするのは下品だ」とか「見返りを求めるな」といった価値観で育ってきたため、報酬を自分から提示すること自体に、心理的なハードルがある。

こんなに働いたのに言い出しづらい不思議

法務局に何度も足を運び、電話で調整を繰り返し、夜遅くまで書類を整えてようやく終わった案件。それでも、その分の報酬を請求するとなると、どこか「気が引ける」。おかしな話だが、「頑張った自分」と「金額を提示する自分」が、心の中で分裂してしまっているような気がする。

頼まれごとの延長のような案件が多すぎる

とくに地方の司法書士は「顔の見える関係」が多い。あの人に頼まれたから、つい引き受けてしまう案件。親戚からの紹介、友人の知り合い、町内の役員つながり……。その流れの中で「じゃあ、これやっとくね」と言ってしまったが最後、いつの間にか正式業務になっていて、最後に請求書を出すときに「これ、出していいのかな」と不安になる。善意が結果的に自分を縛ることもある。

「こんな金額で大丈夫かな」という自問自答

報酬規定があるとはいえ、実務では「空気を読む」場面が多い。高すぎると感じられてしまっては次がない。かといって安すぎると自分の首を絞める。絶妙なバランス感覚が求められるが、その微妙な調整を毎回していると、本当に疲れる。結局、事務員に「この金額で請求しようと思うんだけど…」と相談しながら、自信なさげに送ってしまう。

事務員さんに気を遣ってしまう瞬間

うちの事務所は事務員さんが一人。もう長い付き合いで、信頼している。でも、請求書の件で「この人はどう思っているんだろう」と思ってしまう瞬間がある。とくに、私の心の中の迷いが業務の進行に影響しているのでは、と気にしてしまう。

振込の確認をお願いするのも気まずい

「まだ○○さんから入金ないんですけど、確認しておきましょうか?」と聞かれると、思わず「いや、ちょっと待とう」と言ってしまう。催促が嫌いなのだ。でも、そんなことを言っていても事務は回らない。事務員さんは私の気を遣っているのが見えて、それがまた気まずさに拍車をかける。結局、自分の甘さや弱さが業務の負担につながっている。

相手は何も気にしていないのかもしれない

案外、相手は「請求書?ああ、ありがとう」くらいの軽い感覚なのかもしれない。そう思うようにはしている。でも、こっちは自分の存在価値や仕事の成果を金額として可視化し、それを他人に提示するという行為に、どうしても繊細になってしまうのだ。

でも毎月ちょっとだけメンタルが削れる

この仕事をして15年以上。慣れたつもりだった。でも、請求書を出すたびに微妙に神経をすり減らしている自分がいる。月末や月初になると無意識に疲れを感じるのは、そのせいかもしれない。小さな気まずさの積み重ねが、じわじわ効いてくる。

請求書テンプレートに込められた無言の圧

「ご査収のほどよろしくお願いいたします」。この一文、何回書いたかわからない。でも、書くたびに「この言葉でいいのか」と悩む。テンプレートは便利だけど、どこか機械的で冷たい気もして、心のこもった請求にはならない気がしてしまう。

事務的であれと自分に言い聞かせる

請求は業務の一部。そう割り切って事務的に処理するべきだと、何度も自分に言い聞かせてきた。でも、その「割り切り」がどうにも自分の性格に合っていない。性格の問題なのか、地域性なのか、それとも司法書士という立場の曖昧さなのか。正直、今もわからない。

「ご確認お願いいたします」の一文に悩む

もっと優しい言い回しがあるんじゃないか。もっと柔らかい表現で伝えられないか。そんなことを考えて、テンプレートの文面を少しずつ変えてみる。でも、結局どれも「しっくりこない」。だから、また「ご確認お願いいたします」に戻る。それが一番無難だから。

野球部時代の上下関係が今も影響しているのか

今になって思うと、野球部時代に身につけた「上下関係の感覚」が、ビジネスにも影を落としている気がする。先輩には逆らうな、下の者は黙って働け……そんな空気感が染みついていて、対等な立場で請求することすら、どこかで自分に許していないのかもしれない。

昔から「先に金の話をするな」と刷り込まれていた

たとえば、バイトの面接でも「時給の話は最後にしなさい」と言われてきた。親にも「お金の話は慎重に」と育てられた。それが今になっても抜けていない。「金の話をすると嫌われる」という思い込みが、請求書の送信ボタンを押すときの気まずさにつながっているのだろう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。