なぜか毎回つまずく商業登記の正体がだいたい同じで泣けてくる

なぜか毎回つまずく商業登記の正体がだいたい同じで泣けてくる

一見単純に見えて地味に深い商業登記の世界

商業登記って、見た目はとてもシンプルなんですよ。「必要書類を揃えて、ハンコ押して、法務局に出せば終わりでしょ?」みたいに。実際、依頼人にもよくそう言われます。でも、それがどれだけ甘い考えかは、現場を知っている司法書士なら誰もが痛感しているはず。何度も経験している手続きなのに、なぜか毎回ひと波乱ある。見落としや微妙な言い回し、会社の内情によって状況が変わるなど、決まりきった作業のように見えて、意外と“地味に深い”。まるで、シンプルそうに見えてクセの強い料理みたいなものです。

「今回はスムーズにいくと思ったんですけど」の罠

自分でも「今回は問題ないだろう」と思った案件に限って、つまずくことが多いんです。定款もチェック済み、議事録もOK、印鑑証明書も揃ってる。…なのに、出した後に法務局から「ここの表記が…」と戻ってくる。あの瞬間、正直言って胃がきゅっとします。なぜなら、依頼人には「今日出しておきますね」と自信満々に言ってしまっているから。だから「え?どこが悪かったん?」と、自問自答しながら法務局の指摘を見るんですが、大体、あの「些細な一文字」が原因だったりします。

チェックリストがあっても油断できない現実

事前にチェックリストは作っています。「この書類は揃ってるか」「この署名は必要か」「印鑑の押し方は大丈夫か」など、チェック項目を全部クリアしたはずなのに、なぜか落とし穴がある。特に法改正があった直後は要注意です。紙のチェックリストだけでは拾えない“ニュアンス”の変更が、こっそり忍び寄ってくる感じ。完璧主義を自認していた新人時代の自分に「現実はそんなに甘くないぞ」と、今なら言ってやりたいです。

同じミスを繰り返す自分に軽く絶望

一度やったミスは二度としない、と思っていても、気づいたら同じところで転んでいる。例えば「役員の就任承諾日」と「登記申請日」のズレ。頭ではわかっているのに、疲れてると見逃す。そして戻ってきた書類を見て「ああ、またか…」とため息。そんな自分に腹が立つというよりも、情けなくて悲しくなるんですよね。まあ、それでもやるしかないんですが。

依頼人の期待と現実のズレに疲弊する日々

商業登記を依頼してくる人たちの多くは「すぐ終わるんでしょ?」という感覚です。だからこそ「まだ終わってないんですか?」という連絡がプレッシャーになります。こちらにも事情がある。でもその“事情”をわざわざ説明するのも面倒で、どんどん孤立感が強まる。そういうとき、事務所でひとり、ただじっと書類の山を見つめるしかないのです。

「簡単な手続きですよね?」という無邪気な一言

一番つらいのは、「これって簡単な手続きですよね?」という依頼人の言葉。悪意はないのは分かってるんです。でも、あの言葉は本当に胸に刺さります。なんなら笑顔で言われることもある。それを聞いた瞬間、こちらとしては「はい、まあ」と苦笑いするしかないのですが、心の中では「そんな簡単なら自分でやってみてください」と叫んでいたりします。プロとしてのプライドが地味に傷つく瞬間です。

こっちは命削ってやってるのにと思ってしまう瞬間

法務局に出すだけ、と思われがちですが、その「出すまで」の過程が地獄なんです。確認、調整、依頼人とのやりとり、会社内の事情把握。すべてが整って初めて“出せる”。そしてそれを“当たり前”と思われるのが、なんともやりきれない。夜遅くまで残って書類を整えていても、誰にも気づかれない。まるで、打っても守っても褒められない野球のセカンドみたいな仕事です。

見えない努力が報われない虚しさ

「無事完了しました」と伝えたとき、相手が「ふーん、ありがとう」と一言で終わるとき、なんとも言えない虚しさが襲ってきます。こっちは綱渡りのような気持ちでやっていたのに。大げさに感謝してほしいわけじゃないんです。でも、せめて「ああ、大変だったんですね」と一言あるだけで全然違うのに、と思ってしまう自分がいて、また落ち込みます。

法改正と通知が地味に心を折ってくる

法務局の通知文って、どうしてあんなに分かりづらいんでしょうか。読みながら「で、どうすればいいの?」とつぶやくのが恒例行事。しかも、「○月○日以降の申請分から適用」なんて書かれていると、過去の案件も洗い直しになる可能性がある。もはや、地味な嫌がらせかと思うレベルです。

法務局のひと言に翻弄される現場

ときどき、申請後に法務局の担当者から電話がかかってきて、「○○が抜けてるみたいです」と言われる瞬間が一番つらい。こちらとしては「は?どこが?」と思うんですが、そこはグッとこらえて「確認します」と冷静を装います。でも、心の中では土下座してる自分と、机をひっくり返してる自分が同居しています。司法書士って、感情を殺す技術にも長けてないとやってられません。

「先月までOKだったんだけど」では済まされない恐怖

「以前はこれで通ったのに…」というケースはよくあります。でも、「それ、今はダメなんですよね」とサラッと却下される。え?こっちはその“今”をどうキャッチすればいいの?と。通知メール?多すぎて埋もれてます。情報が更新されるスピードと、現場が対応するスピードが噛み合ってない。このズレが、地味に心を削ってくるんです。

追いかけても追いつかない制度の波

まるで延長戦のピッチャーみたいに、いつ終わるかわからない戦いをしている感覚。新しい制度やルールは、決してこちらのペースを考慮してくれません。常に追いかけ続けないと、足元をすくわれる。でも正直、ずっと走り続けるのはしんどい。最近、疲れのせいか文字が二重に見えることも増えてきて、そろそろ引退か?なんて思ったりもします。

それでも続けている理由をふと考える

「なんでこの仕事やってるんだろう」と自問する夜もあります。でも、不思議と辞める気にはなれない。大変なのに、なぜかまた明日も登記の書類を作っている。これは、たぶんこの仕事が自分の人生に組み込まれてしまってるからだと思います。元野球部の性分なんでしょうね、しんどい練習ほどやりたがる、みたいな。

うまくいったときの達成感は確かにある

完璧に仕上げた書類を提出して、法務局から無事完了のハンコが押された瞬間。あのときの達成感は格別です。まるで、満塁ホームランを打った気分。でも、それを見ている観客はいません。だからこそ、心の中でそっとガッツポーズをします。依頼人の前では冷静に「完了しました」とだけ伝える。それがまたプロっぽくていいんですよね。

依頼人の感謝が心に沁みることもある

たまに、「本当にありがとうございました」と丁寧にお礼を言われることがあります。そんなとき、なんとも言えない温かさが胸に広がります。泣きそうになるのをこらえて「いえいえ、こちらこそ」と答える。そんな日が、全部の苦労を帳消しにしてくれる。司法書士の仕事って、派手さはないけど、確かに人の人生に関わってるんだなと、実感する瞬間です。

報われる瞬間があるからやめられない

うまくいかないことの方が多い。でも、たまに報われることがある。その「たまに」があるから、辞めずに続けていられる。これはもう、野球で言うなら9回裏2アウト満塁で、やっとヒットが出たときの喜びに近い。地味だけど、やりがいのある仕事です。これからも、たぶん文句言いながら続けていくんだろうなと、自分で自分にあきれつつ、今日もまた商業登記に向き合っています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。