電車の中で寝過ごすほど疲れてた話
ある日のこと。夕方、ようやく事務所を閉めて最寄り駅から電車に乗った。座った瞬間、記憶がない。気づけば知らない駅、最終一歩手前。終点じゃなかったことが奇跡だった。情けなさと疲労感で、しばらく動けなかった。司法書士という仕事は、人の人生の大事な局面に立ち会うものだ。気は抜けない。責任は重い。だけど、そんな日々を重ねるうちに、心も体も静かに削られていく。寝過ごした自分を笑う余裕もなかった。ただ、座ったら眠ってしまった。それだけで、自分が限界にいたことに気づかされた。
仕事終わりの帰り道が一番つらい
朝のラッシュはしんどいが、まだ気力がある。夜の電車は違う。意識がぼんやりしてきて、足が棒のように感じる。そんな中、ひと駅でも座れたら勝ちだ。が、座ったら最後、眠気が全身を襲ってくる。帰りの電車ほど「油断したら負け」を感じる瞬間はない。乗り過ごしたあの夜、座席に沈んだまま動けなかった。「こんなに疲れてたのか…」と、ただ呆然とするしかなかった。
緊張感が抜けた瞬間に意識が飛ぶ
日中は神経が張り詰めている。依頼者の表情、書類の一字一句、期限のプレッシャー。それらが終わったとき、人は一気に崩れるのかもしれない。電車の揺れが心地よくなってきた瞬間に、もう自分の体は支えてくれなかった。「今日は早く帰って風呂入ろう」そう思った数分後に意識が遠のいた。
電車のアナウンスさえ聞こえなかった夜
「次は○○駅です」というアナウンス。普段なら耳に入るはずなのに、あの日は何ひとつ記憶に残っていなかった。むしろ、何駅分飛んだのかすら分からなかった。ホームに降りた時、冷たい風が顔に当たって「ここはどこだ」と思った。それすらも、笑い話にする元気もなかった。疲れてるというより、壊れかけてる感じ。そう思った。
睡眠時間が取れないという現実
司法書士は残業しない職業だと思われがちだ。けれど実際は違う。書類の作成、細かなチェック、急な電話対応。結局、家に帰っても続きをしてしまう。睡眠時間が減っていくのは自然なことだった。でも、当たり前になっていたそのリズムが、ふとした時に大きな代償として返ってくる。寝過ごしはその象徴だ。
朝は早く夜は遅い司法書士の日常
相談者の都合に合わせれば、朝一の打合せもある。登記の締切が迫れば、深夜までPCの前に座る。時間に追われながらも、手を抜くことはできない。登記にミスは許されないからだ。結果、布団に入るのはいつも日付が変わってから。朝の目覚ましが恨めしくて仕方がない。
書類を読みながら寝落ちすることも
ソファに座って、書類を広げたままうとうと…気づけば朝という日もある。肩こりと頭痛だけが残っていて、内容は頭に入っていない。そんなことが続くと、自己嫌悪に陥る。「もっと効率よくできるはずなのに」と思いながら、また眠気と戦う日々。理想と現実の狭間で揺れている。
誰もいない事務所での孤独な戦い
夕方、事務員が「お先に失礼します」と帰っていく。その後の静まり返った事務所には、自分だけ。キーボードの音と、時計の針の音。誰もいない中で、誰かの人生を背負うような仕事をしている。その孤独感は、思っていたよりも重たかった。
事務員が帰った後が本番のような日々
日中は接客や電話対応に追われる。だからこそ、事務員が帰ってからが「自分の作業時間」になる。静かで集中できるが、代わりに寂しさがじわじわ押し寄せてくる。気づけば、ため息ばかりついている自分がいた。「これがずっと続くのか」と思うと、胸が少し痛くなる。
気軽に愚痴れる相手がいないという壁
話し相手がいないというのは、こんなにもしんどいものかと思う。友達に連絡する元気もない。恋人はいないし、家族も遠い。誰かに「今日は疲れた」と言えるだけで、きっと少しは救われるのに。それが叶わないから、自分の中で全部抱え込んでしまう。
疲れてもやめられない理由
ここまで疲れても辞めようとは思わない。自分でも不思議だ。収入のためだけじゃない。責任感やプライドだけでもない。もっと曖昧な、「やりがい」のようなものがある。たまに報われる瞬間があるから、それがある限り踏ん張れるのかもしれない。
登記完了の瞬間に少しだけ報われる
案件が無事完了し、登記が通った時。「ありがとうございます」の一言に、どれだけ救われてきただろう。「この人の役に立てた」と実感できる瞬間だけは、他の全てを忘れさせてくれる。ほんの一瞬だけど、それがある限り続けていける。
クライアントの一言が支えになることも
「助かりました」「お願いしてよかったです」そんな一言で、眠気も疲労も吹き飛ぶような気がする。もちろん現実にはすぐに戻るけれど、その言葉が心に残っている限りは、また次の案件にも向き合える気になる。
寝過ごした日の帰り道で考えたこと
自販機の前で缶コーヒーを買って、ホームでひと息ついた時、ふと考えた。「こんなに疲れてて大丈夫か、自分」って。でも答えなんて出ない。ただ、少しだけ自分を労わってやりたい、そんな夜だった。
このままでいいのかという問い
他の同年代はもっと稼いでいるかもしれない。もっと家族がいて、穏やかな日々を送っているかもしれない。自分は、誰のために、何のためにこんなに働いているのか。問いは尽きないが、答えは出ない。それでも、歩みを止めるわけにはいかない。
もう少しだけ頑張ってみるかという結論
終電近くの電車に揺られながら、気づけばまたウトウトしていた。降りる駅に着いた瞬間、ほんの少し笑えた。「今日は乗り過ごさなかった」と。それだけで十分。明日も同じような一日が来るかもしれないけれど、もう少しだけ頑張ってみるか。そう思えた自分に、ちょっとだけ感謝した。