事務所にいる方が落ち着いてしまった人生
休日でも自然と事務所に足が向く理由
子どもの頃、休みの日は朝から野球。泥だらけで帰ってくると、風呂と晩飯が待っていた。だけど今はどうだ。土曜日、日曜日、誰とも話さず、自宅の床に座って時計をぼんやり眺めているだけ。気がつけば、鍵を持って事務所に向かっていた。事務所に着くとホッとする。誰もいないけど、誰かが来るかもしれない。そんな“期待のない期待”が、妙に心を落ち着かせる。自宅では感じない安心感が、ここにはある。
家にいると逆に気疲れしてしまう
家ってこんなに落ち着かない場所だったっけと思う瞬間がある。テレビをつけても面白くないし、冷蔵庫を開けても何もない。静かなのに気が休まらない。以前は帰宅後の時間が楽しみだったのに、今はその時間がやたら長く感じる。気疲れって他人との関係だけじゃない。自分自身と向き合う時間が長すぎるのも、なかなかしんどいもんだ。
事務所の方が「いつもの自分」でいられる
事務所にいると、仕事モードの自分にスッと戻れる。ルーティンがあって、座る椅子も決まっていて、パソコンを開けば予定表がある。それだけで安心する。別に特別なことはしていない。郵便をチェックして、書類を並べ直して、机を拭く。そんな小さな動作ひとつひとつが「自分」を取り戻す儀式になっている。
仕事と生活の境目があいまいになってきた
独立して事務所を開いた当初は、「仕事は仕事」「プライベートはプライベート」と切り分けるのが理想だと思っていた。でも今はその境界線があいまいだ。どこで仕事が終わって、どこからが休みなのか、よくわからなくなってきた。
パソコンの電源を切っても心が切り替わらない
書類作成を終えてパソコンを閉じても、頭の中では「あの件、来週の月曜までに片付けておかないと」と考えている。気が抜けない。夜、布団に入っても、夢の中で登記のチェックリストが出てきたりする。これはもう、病気かもしれないと思うほどだ。
自宅に戻っても頭の中は案件でいっぱい
家に帰っても、テレビの音やスマホの通知の裏で、頭の中では依頼人の顔がちらついている。「あの資料、渡し忘れてないか?」「あの言い回し、失礼だったかな?」と、自己反省モードが止まらない。ひとり事務所を構えていると、相談できる人がいないのも大きい。
誰もいない事務所の静けさが心地よい
昼休みにコンビニで買ったパンを、誰もいない事務所で食べる。その時間が、今の自分には一番落ち着ける時間だ。咀嚼音とエアコンの風の音しか聞こえない。誰かと会話するわけでもないのに、なぜか孤独を感じない。それどころか、安心すらしている。
音が少ないという贅沢
テレビもない、音楽もかけない。ただ、風がカーテンを揺らす音と、時計の針の音。それだけで十分だ。事務所にいると五感が休まる感じがする。実家の仏間のような、あの静けさ。子どもの頃には気づかなかった価値を、大人になってようやく噛みしめている。
自分だけの空間に安らぎを感じるようになった
誰にも干渉されない、自分だけの場所。ここでは弱音を吐いても誰にも聞かれない。泣いてもいいし、ただ椅子に座ってぼーっとしてもいい。そんな場所があるだけで、人はなんとかやっていけるのかもしれないと思う。自宅で感じるプレッシャーのようなものが、ここにはない。
家での孤独より事務所での孤独の方がまだマシ
独身生活も長くなると、家に帰るのがだんだん億劫になる。誰かが待っているわけでもないし、話す相手もいない。だったら、いっそ事務所で書類を並べていた方が気が紛れる。
テレビの音すらうるさく感じる夜
テレビをつけているのに、どのチャンネルも他人の幸せばかりが流れている気がして、すぐ消してしまう。静かな部屋に自分ひとり。余計に寂しさが増す。だったら事務所の蛍光灯の下で書類を見る方が、まだ気が紛れる。そんな夜が増えてきた。
誰も来ないけど、誰かが来るかもしれない場所
実際には誰も来ない。でも、もしかしたら「急ぎなんですが」と扉が開くかもしれない。そんな可能性がある場所に身を置いているだけで、少しだけ自分が“役割”を持てている気がする。家にはその“期待値”がない。ただの空間だ。