遺言書より自分の未来が不安な夜に
「先生、私の遺言書、これで完璧でしょうか?」
机の向こうで、70代の女性が目を細めて僕を見る。几帳面に書き上げた文面。子どもたちへの気遣い、財産の配分、ペットの世話のことまで——文句なしに完璧だ。
「ええ。これなら問題ありません」
僕は書類にハンコを押しながら、ふと自分の机の右端にある、何も書かれていない自分の「未来設計ノート」を見やる。
やれやれ、、、
誰かの老後より、自分の老後が心配だ
ここ数年、遺言や後見の依頼が増えている。高齢化社会というやつだ。なのに僕ときたら、ひとり暮らし、結婚歴なし、貯金わずか、保険は最低限。
「シンドウ先生って、将来の備えはどうしてるんですか?」
サトウさんのそんな質問が、時々僕の心にサザエさんのタライのように落ちてくる。毎回見事に脳天直撃だ。
探偵漫画のような人生に憧れていたのに
子どものころ、名探偵コナンになりたかった。事件の真相を見抜き、颯爽と真実を暴く。だけど現実の僕は、登記原因の「所有権移転」と毎日にらめっこしている。
どこで間違えたんだろう。いや、たぶん間違ってない。ただ、派手さはないだけで。
そして今夜もひとり、灯りの下で書類と向き合う
夜の事務所。コンビニの明かりだけが道路の先で光っている。
今、ここに怪盗キッドが現れて、「あなたの未来、盗みに来ました」とか言ってくれたら、どんなに気が楽だろう。
せめて予告状くらいくれ。
未来が不安なまま、それでも今日を片付ける
「先生、今日の分、ファイリングしておきました。じゃ、私はお先に」
サトウさんの足音が階段を下りていく。彼女がいなければ、この事務所も僕も、とっくに崩壊していたかもしれない。
遺言書を整えるたび、自分がいかに未完成かを思い知る。でも、それでいいのかもしれない。
今日の晩飯を決めること、それもひとつの未来
冷蔵庫に卵があったはずだ。
「よし、親子丼にするか……って、親いねぇわ」
誰にツッコむでもなく、独り言を呟く。
やれやれ、、、
それでも、書類は今日も片付き、夜は更けていく。