隣の司法書士が結婚したら心がざわついた

隣の司法書士が結婚したら心がざわついた

静かに届いた結婚の報せ

ある日の午後、法務局の帰りに立ち寄った喫茶店で、同業の先輩と偶然会った。「そういえば、隣の事務所の彼、結婚するらしいよ」。ふとした会話の流れでそんな話を聞いた瞬間、胸の奥が小さくざわついた。仕事中は平然を装っていたけれど、夕方にはその言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。帰って事務所に一人で座っていると、いつもと変わらぬ蛍光灯の光がやけに冷たく感じられた。大きな出来事じゃないはずなのに、何かが胸に引っかかっていた。

「隣の事務所の彼が結婚するらしいよ」

その彼とは、正直、ほとんど接点がなかった。朝すれ違えば軽く会釈を交わす程度で、深く話したこともない。でも、歳も近くて、同じ町内で事務所を構えているというだけで、勝手に「同志」のような存在だと思っていた。そんな彼が人生の節目を迎えたという報せは、まるで自分に投げかけられた無言の問いのように響いた。「お前はどうなんだ」と、誰かに見られている気がして、変に背筋を正してしまった。

あまり話したことのない彼の意外な一面

後日、商工会議所の集まりで彼に会った。結婚の話を聞いたと言うと、照れたような笑顔で「やっとですよ」と答えたその表情は、なんだかとても自然で、幸せそうだった。意外と柔らかい雰囲気の持ち主だったんだな、と初めて思った。同じ業界で同じような書類と格闘している人間でも、違う人生を歩んでいるのだと痛感した。ふと、自分の表情はどう見えているんだろうと気になった。

心の中で鳴り響く比較のベル

結婚したという事実そのものよりも、なぜか「先を越された」ような気持ちが拭えなかった。同じスタートラインに立っていたはずの誰かが、違うルートでどんどん前に進んでいる気がしたのだ。年齢の数字だけが増えていく中で、心の成長は止まっているのではないかと不安になる。誰かと比べて落ち込むなんて、もう卒業したと思っていたのに、まだそんな自分がここにいた。

人の幸せを喜べない自分が嫌になる

祝いの言葉を口にしながら、心の中で少しざらついている感情があった。そういう自分が一番嫌だし、情けない。でも、誰かの幸せがまぶしく見えるとき、自分の「今」が無防備にあぶり出されてしまう。忙しさを言い訳にして、自分の人生から目を逸らしてきたツケなのかもしれない。「俺だって、そろそろ…」そんな言葉を飲み込んだ帰り道、靴音だけが無駄に大きく響いていた。

「おめでとうございます」が言えない理由

表面上は笑顔で「お幸せに」と言いながら、心の奥底では「自分には縁のない世界」と線を引いていたのかもしれない。決して悪意があるわけじゃない。ただ、遠い存在だと思いたいだけなのだ。もし本気で羨ましがったら、自分がこれまで積み上げてきたものまで、ぐらついてしまいそうで怖いのだ。

気づけば自分だけ止まっていた

周りが少しずつ変わっていくのに、自分だけ取り残されているような感覚は、なかなかに堪える。誰も責めているわけではない。でも、同じようなペースで進んでいると勝手に思っていた分、ギャップに気づいた瞬間が一番つらい。止まっているのは時間ではなく、自分の意志だったのだろう。

忙しさでごまかしてきた寂しさ

朝から晩まで書類とにらめっこ。登記の期日、相談対応、役所回り。とにかく忙しい。それでも、その忙しさがありがたいと思うようになったのは、もしかすると「空白」を直視しないためだったのかもしれない。日々に追われていると、ふとした瞬間に孤独が顔を出す。その隙を埋めるように、予定を詰め込んできた。

仕事は山積み 家は静まり返る

帰宅してもテレビの音だけが響く部屋。暖かい料理があるわけでも、誰かが待っていてくれるわけでもない。ただの無音と、冷えた空気だけ。ふとした瞬間に「これが一生続くのかな」と考えてしまい、慌てて思考を切り替える。けれども、それを振り払うだけの気力も、もうだんだん減ってきている。

誰にも頼られず 誰にも頼めず

仕事では「先生」と呼ばれ、信頼もされている。けれど、日常では誰にも頼られていない気がしてくる。誰かに「ちょっと手伝って」と言われることの重みは、思っているよりも大きい。逆に自分から誰かに頼るということも、もう久しくやっていない。頼られるのも頼るのも、遠い話になってしまった。

弁当箱の空と心の空

昼に買ったコンビニ弁当の空容器を片付けながら、妙に「空っぽ」という言葉に敏感になる。たかが弁当箱ひとつ。でも、心の奥底まで響く瞬間がある。誰かの手料理が恋しいわけじゃない。ただ、誰かと「同じものを食べる」ということのあたたかさを、たまに思い出してしまう。

それでも司法書士としての矜持

不満や孤独を感じる日もある。それでも、この仕事に誇りがないわけじゃない。依頼者の人生に関わる一瞬一瞬に、責任と覚悟をもって向き合っているつもりだ。どれだけ疲れていても、「先生、ありがとう」と言われると、心が少し救われる。その繰り返しで、なんとか踏ん張っているのかもしれない。

誰かの人生の節目に関われる誇り

結婚、相続、会社設立、離婚——。人の人生には様々な節目がある。その都度、書類の裏側にある「想い」を感じる。僕ら司法書士は、それをきちんと形にして世に送り出す役目だ。地味で目立たないかもしれない。でも、その一筆に込められた「意味」が、確かにあると思っている。

孤独だけど 必要とはされている

誰かの家庭に迎え入れられることはないかもしれない。それでも、仕事を通じて誰かの助けにはなっている。電話一本、相談一つで「助かりました」と言ってもらえることがある。そういうとき、「この道を選んでよかった」と思える。孤独と引き換えでも、誇れる自分でいられるなら、それでいい。

頑張る人たちに伝えたいこと

もし、この記事を読んでいるあなたが同じような孤独や悩みを抱えているなら、無理にポジティブにならなくても大丈夫です。吐き出せるときに吐き出して、立ち止まってもまた進めばいい。それが、僕がこの数年で得た小さな答えです。

同じように独りで頑張っている人へ

独身だとか、友達が少ないとか、結婚してないとか、そんなことは後ろめたく思う必要はありません。少なくとも、誰かのために真剣に働いているあなたは、誇れる存在です。比べることより、自分を認めてあげることのほうが、きっと大切なんだと思います。

弱音を吐いたっていいんじゃないか

強がっていると、余計にしんどくなります。誰かに話すことが難しければ、ノートでもスマホでもいい、どこかに吐き出してみてください。そうするだけで、少し楽になることもある。司法書士だって、人間です。

立ち止まっても それは進んでいる

歩みを止めたように感じても、心の中では少しずつ動いています。悩んでいるということは、前に進みたい気持ちがあるということです。だから焦らなくていい。隣の司法書士が結婚しても、自分は自分のペースで、生きていきましょう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。