一日が終わる音もなく書類を並べて

一日が終わる音もなく書類を並べて

静かに終わっていく一日に気づいたとき

司法書士という職業は「静かな仕事」と思われがちですが、実際には日々さまざまな案件や依頼に追われ、てんやわんやです。今日も「たまった書類を整理しよう」と思って朝を迎えましたが、ふと気づけば外は真っ暗。時計を見たらすでに19時を回っていました。昼ご飯もコーヒー一杯で済ませ、気づけば同じ姿勢で何時間も書類とにらめっこ。誰に褒められることもなく、拍手が鳴るわけでもなく、それでも確かに今日も一日働いていた——そんな日が、私は嫌いじゃありません。けれど、好きとも言いがたいのが正直なところです。

朝のスタートは「今日こそ片付ける」から始まった

私の一日は、書類の山を前にしての誓いから始まります。「今日こそ、この山をどうにかしよう」。でもこの誓い、実は月に何度も立てているんです。朝イチでお茶を入れ、デスクに座ってまずやるのが山の書類を「見る」こと。ところが、見ているだけで電話が鳴る、依頼人が来る、事務員さんから話しかけられる、役所から返事が届く。そうこうしているうちに、結局何も進まず午前中が終わる。時間というのは、こういうとき本当に意地悪なほど早く過ぎていきます。

予定は未定、電話と来客で崩れゆく段取り

「今日は書類整理しか予定入れてないから余裕だ」と思っていたはずが、なぜか午前中だけで三件の電話対応。しかもどれも面倒な相談ばかり。ようやく電話が落ち着いたと思ったら、事務員さんが「先生、お客さんが急に来られました」と小声で言ってくる。いや、アポないやん…と思いながらも応対するしかない。自営業って、予定なんか立てたって崩れるのが当たり前だと痛感します。だから、朝に立てた「書類整理計画」なんてものは、昼前にはもはや幻です。

書類の山と格闘する孤独な午後

昼食も簡単に済ませて、午後こそ本気を出そうと意気込んでみても、思ったようには進みません。とにかく、手をつけるたびに「この案件まだ終わってなかったのか」と自分にツッコミたくなるような書類ばかり。結局、整理どころか「思い出し仕事」が増えていく悪循環。誰にも相談できず、過去の自分と向き合い続ける午後の時間。独身の私は、こんな時間にふと「家族がいればな」とか「誰かと分け合えたら」と思うこともあります。が、それもまた遠い話です。

なぜかいつも片付けるのは自分

「この事務所の書類は先生の責任ですから」と事務員さんは言います。そりゃそうです。わかってます。だけど、彼女が帰ったあとも私は一人でパソコンの前に座って、紙の束を左から右へ、右からファイルへと移している。この単純作業、誰か代わってくれないかなと思う反面、「自分でやらないと気が済まない」という気質が抜けないのも事実。元野球部の性でしょうか、妙なところで責任感が強すぎるのです。

「あとでやる」が積み重なるとこうなる

書類って、「とりあえずあとで」って放っておくと、必ず山になります。たとえば不動産の登記関係。あれ、戻ってきた書類をとりあえずクリアファイルに入れて放置しておくと、数日後には似たような書類が何重にも重なり、分類不能の迷宮に。私はそれを「書類のジャングル」と呼んでいます。迷い込んだら最後、出口が見えない。そして、そのツケを払うのが、だいたい今日みたいな日。自分がまいた種を、自分で必死に刈り取る…何とも情けない話です。

見て見ぬふりをしていたツケ

あの時、ひと手間かけておけば…そんな後悔が溢れ出すのが書類整理の時間です。棚の奥から出てきた「平成」と書かれた書類を見て、苦笑いしか出ません。仕事が忙しいを言い訳にして、見て見ぬふりをしていた日々。そういうものが、紙の束として目の前に現れた時、まるで過去の自分が詰め寄ってくるような気さえします。あれもこれも「忙しかったから」の一言で片づけてきたけれど、本当はただの怠慢だったのでは?そんな自己嫌悪に陥るのも、書類整理あるあるです。

昔の書類が呼び起こす記憶とため息

「このお客さん、元気にしてるかな」。昔扱った相続の書類を手にした瞬間、ふとそんな思いがよぎります。亡くなった方の登記手続きは、書類だけが残っていく。書類を通して人生を垣間見ることも多い仕事ですが、それだけに、整理中にいろんな感情が湧いてくるのです。お孫さんが笑顔でお礼を言ってくれたことや、依頼人の涙など、思い出が蘇るたび、ため息が漏れます。きっと、私はこういう人間くさい部分を仕事に求めているのかもしれません。

事務員さんの一言が心に刺さる

夕方、ようやく集中して書類の分類を進めていた頃、事務員さんが帰り支度をしながら一言。「先生、それ今日中にやるんですか?」。ただの質問。でも、その裏にある「もう帰りますよ」の気配や、「それ、無理じゃないですか?」のニュアンスがズシンと響くんです。彼女は悪くない。むしろ正論。でも、私は言い訳もできずに「うん」とだけ答える。これが、ひとり職場のリアルです。

頼るに頼れない、責任感の重さ

事務員さんが悪いわけじゃない、私が頼らないだけ。でも、ふと「もう少し人を頼ってもいいのかもしれない」と思うこともあります。なのに結局、指示出す時間より自分でやった方が早い、という結論に至る。悪循環です。自分の首を絞めるのが上手になってしまったなあと笑いつつ、今日も重たい責任感に押しつぶされながら、静かに残業をしている自分がいます。

終業のチャイムもない世界で

気づけば20時を回り、外は真っ暗。帰宅する事務員さんの背中を見送りながら、私はまだ机に向かっています。この仕事に「おしまい」のチャイムはありません。終わりのタイミングは自分で決めるしかない。でも、それが難しい。どこで切り上げればいいのか、常に迷います。結局「もう疲れた」と思った時が終了の合図。そんな自営業の日常に、ちょっとした孤独と、それでも頑張る理由を見つけようとしています。

時計を見れば夜、腹は空いても心は満たされず

お腹が鳴ったタイミングでようやく立ち上がる。コンビニ弁当か、冷蔵庫のカップ麺か、そんな選択肢しかない夜。だけど、不思議と「よく働いたな」と思えるのです。誰も褒めてくれないし、売上が伸びたわけでもない。それでも、今日という一日を、自分なりに乗り切ったという小さな達成感。たったそれだけで、明日もまた仕事をしようと思える。司法書士という仕事は、地味で孤独だけど、どこか人間らしさを感じられる職業だと私は思います。

並び替えた書類だけが今日の成果

結局、今日私が成し遂げたのは「書類の並べ替え」だけでした。でも、それが大事な一歩だったと思いたい。積み重なる日常の中で、自分だけのペースで進んでいく。誰かに認められなくても、自分の手で「整えた」事実は残る。明日、また新たな仕事が舞い込むとしても、今日の整理がきっと役立つはず。だから私は、誰も見ていない夜の事務所で、ひとり満足げにファイルを閉じるのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。