守ってほしいと願った夜を思い出す

守ってほしいと願った夜を思い出す

守ってほしいと願った夜を思い出す

忙しさに押し流されて気づいたこと

日々の業務に追われる中で、自分がどれだけ無理をしていたかなんて、ふとした瞬間にしか気づけないものだ。登記の締切に追われ、依頼者とのやり取り、さらに新人の事務員さんのフォローまで……。自分で選んだ仕事だとはいえ、気づけば「誰かに助けてほしい」「守ってほしい」と心のどこかで願っていた。その思いを口に出すことができなかったのは、情けなさのようなものが自分の中にあったからだ。

一人で抱えすぎる癖がある

昔から何でも自分でやろうとする癖がある。部活でも、チームプレーが大事なのに、バントもカバーも一人でやるつもりだった。今でもその気質は変わっていない。事務所の運営でも、事務員に任せられる仕事まで自分で抱えてしまう。結局、それが自分を苦しめているとわかっていても、「人に任せて失敗したらどうしよう」という不安が勝ってしまう。

弱音を吐けない司法書士の宿命

司法書士という職業には「しっかり者」のイメージがある。依頼者に対しても、不安を与えないように落ち着いて対応するのが当たり前だ。だからこそ、「自分が不安である」とか「もう限界です」なんて、言えるはずがない。まるで戦場に一人で立つ兵士のような気分だ。だけど、それは本当に強さなのか? 誰にも頼らず、孤独に耐え続けることが、正解なのか。

助けてと言うタイミングがわからない

一番苦しい時ほど、人は黙ってしまうのかもしれない。「助けて」と言いたいのに、その一言が喉につかえて出てこない。誰かに頼れば、弱く見られる気がする。頼られたい気持ちは強いのに、自分が頼ることにはなぜか抵抗がある。そんな自分がもどかしくて、余計に言葉が出なくなる。結果、ただただ疲弊していく。

誰にも言えない孤独の正体

孤独は、にぎやかさの中にこそ潜んでいる。職場で人と接していても、家に帰って誰とも話さない夜は、静けさがやけに重くのしかかる。仕事では依頼者とたくさん話しているはずなのに、心はどこか満たされない。その理由が、最近ようやくわかってきた。自分の弱さを話せる相手がいないこと、それが本当の孤独だったのだ。

事務所には人がいるのに

事務員さんは気さくでよく働いてくれる。だけど、やはりどこか「職場の人」という壁がある。こちらが疲れていても、平然と「今日は天気いいですね」と言われると、返す言葉に困るときもある。もちろん悪気がないのはわかっている。でも、自分の心の重さと彼女の明るさが噛み合わない瞬間は、少しだけ寂しい気持ちになる。

元野球部でもチームプレーが苦手だった

野球部時代、チームの一員として動くことにいつも居心地の悪さを感じていた。サインを見落として怒られたこともあるし、声を出すのが苦手だった。あの頃から、自分は「協調」より「自己完結」に逃げがちだったのだと思う。今の仕事も、一人で進められるのが楽だと思っていたが、その先にある孤独までは想像できていなかった。

独身であることと精神的な支えの不在

家に帰っても、ただ電気をつけて、コンビニ弁当を温めるだけ。話しかける相手もいない。結婚していたら、と考えたこともあるけれど、現実にはそんな出会いもなく、気づけばこの年齢になっていた。誰かに守ってほしい、そんな気持ちがふと湧き上がるのは、夜の静けさに負けたときかもしれない。

強がりがバリアになっていた

「大丈夫です」「なんとかなります」そんな言葉が口癖になっていた。それが習慣になって、もはや無意識に強がっている。だけど、そのバリアは誰のためなのか。守っているのは自分のプライドであって、本当の自分ではない。たまにはその鎧を脱いでもいいのではないか、そんなことを思い始めている。

自分でやれると思い込みすぎた

「この程度の業務、自分でやれる」そうやって抱え込んだ結果、登記の修正ミスが発覚したことがある。冷や汗が止まらなかった。事務員に任せていたら、ダブルチェックが働いていたかもしれない。あの失敗は、自分の過信と孤立が生んだ当然の結果だった。守ってもらうには、まず誰かを信じることから始まるのだと、ようやく思えた。

モテないことを笑い話にしてごまかす

「モテませんよ、全然」なんて笑いながら話すけれど、本音では少しだけ寂しい。真剣な顔をすると「重たい」と言われそうで、つい軽口で済ませてしまう。でも、本当は誰かとちゃんと向き合いたい気持ちはある。冗談にしてしまうのは、傷つくのが怖いだけなのだ。

ふと守られたいと思った夜のこと

仕事帰り、雨に降られてびしょ濡れになった夜があった。傘を持っておらず、コンビニで買うのも面倒で、そのまま歩いた。誰かが「迎えに行こうか」と言ってくれたら、それだけで泣きそうになったかもしれない。守ってほしいと願ったのは、そんな何気ない夜だった。

小さな救いが大きな支えになる

大きな問題を解決してくれる人がいなくても、小さな言葉や態度に救われることがある。仕事に疲れて事務所に戻ると、「お疲れさまです」と言ってくれる声。それだけで少しだけ心が軽くなる。守られるというのは、決して劇的なことじゃなく、日常の中にひっそりとあるものかもしれない。

事務員さんの一言に救われた経験

ある日、書類ミスが重なり、自分でも嫌になるほど落ち込んでいた。そんなとき、事務員さんが「先生でもそういうことあるんですね」と笑って言った。責めるでもなく、励ますでもなく、ただそう言っただけ。でもその言葉が、妙に心に刺さって、「ああ、完璧じゃなくていいんだ」と思えた。

ただの会話が心をほぐすこともある

昼休みに話すたわいない話――テレビの話、犬の話、地元のスーパーの話。そんな時間が、いつの間にか自分にとって貴重なリセットになっていた。守ってくれる人なんていなくても、「ここに居ていい」と思える時間があれば、もう少し頑張れる気がする。

誰かの「お疲れさま」が染みる時

たった一言の「お疲れさま」が、体中に染みわたるときがある。それは、体が限界を感じているときか、心がぽっかり空いているときか。誰かに守ってもらいたいと願う瞬間は、そんなときにふとやってくる。言葉の重みを噛みしめながら、今日もまた明日を迎える準備をする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。