ひとり焼肉よりひとり登記申請に慣れている男の話

ひとり焼肉よりひとり登記申請に慣れている男の話

ひとり焼肉よりひとり登記申請に慣れている男の話

「先生、今日の帰り、焼肉でも行きませんか?」
事務員のサトウさんが、控えめに、だが笑顔で声をかけてきた。

時計は17時を回っていたが、私はすでに次の登記の準備で頭がいっぱいだった。机の上には申請書と添付書類の山。ファイルが微妙に傾いて、まるで塔の崩壊寸前を体現している。

「焼肉ねえ……」
言葉を濁して、私は目の前の登記識別情報通知書に目を落とした。

正直、焼肉なんか行ってる場合じゃないのだ。

いや、仮に暇だったとしても、行かない。

私は——ひとり焼肉よりも、ひとりで登記申請するほうが落ち着く人間なのだ。

気まずさより書類の確認が落ち着く

若い頃、ひとりで牛角に入ったことがある。最初に案内されたのはカウンターではなく4人用テーブル。周りはカップルか家族連ればかりで、私は炭火に顔を照らされながら、ひとりでハラミを焼いた。

孤独より、視線が辛かった。

それに比べて、ひとりの登記申請はいい。待ち時間の静けさ、番号札を握りしめる緊張感、窓口の職員の無表情な顔——全部が心地いい。

登記所は、言うなれば“司法書士のサウナ”だ。汗こそかかないが、無言の圧力とルーティンの中で、精神が整っていく。

焼けた肉より気になる登記識別情報

「それ、本人確認情報ですよね。補正来ますよ」

サトウさんの指摘は鋭かった。彼女はたまに怪盗のように、私のミスを盗み取って見つけてくる。

「しまった、前回の住所変更が登記簿に反映されてなかったか……」

私は額に手をやってため息をついた。

やれやれ、、、また出直しか。

「たまには外食でもどうですか?」

「でも先生、たまには息抜きしないと」
「登記は裏切らないけど、焼肉は焦げるでしょ?」

どこかで聞いたようなセリフを堂々と言い放つサトウさんは、ある意味サザエさんに似ている。元気が良くて、急に鍋を持ってきそうだ。

だが私は、波平ではない。むしろノリスケだ。曖昧で、独身で、都合よく逃げたがる。

誰にも頼らず進める達成感

「じゃあ、先生はひとりで何をしてるときが一番楽しいんですか?」

唐突な質問に、私は言葉を失った。

思い返す。法務局の窓口で、書類をスッと差し出し、無言で受け取られ、無言でOKをもらい、無言で立ち去るあの瞬間。

それだ。あれこそが、孤独と達成感の融合。

エルキュール・ポアロが“灰色の脳細胞”を働かせて推理を解くように、私は“白色の用紙束”で登記を制す。

「やれやれ、、、」が口癖になる日々

たまには人としゃべりたい日もある。
でも大抵、会話がうまく続かない。

この間もサトウさんが持ってきたガリガリ君を「歯にしみる」と断ったら、「先生、もうちょっと人間味持ちましょう」と言われた。

やれやれ、、、それができたら司法書士なんてやってないよ。

一人ノックが性に合っていた

そういえば、元野球部だった頃も、私はバッティングより一人ノックが好きだった。

黙々と、黙々と、ゴロをさばく。声出しは誰かに任せる。

今思えば、その頃から“ひとり登記申請体質”だったのかもしれない。

人は変わるけど、根っこの性格は変わらない。焼肉が流行ろうが、ひとりカフェが当たり前になろうが、私は今日も、ひとりで登記を仕上げる。

エピローグ 登記申請が友だち

「先生、今度は焼肉じゃなくて、うどんにしますか?」

「……うどんか……いいですね。温かいやつなら」

たまには妥協してみよう。
でも、翌朝の法務局には、しっかり一番乗りするつもりだ。

登記識別情報の袋を胸ポケットに差し込みながら、私はふと思った。

——この国で、ひとりで登記申請してる人の幸福度、もしかして意外と高いのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓