休みの前夜に予定を聞かれないのがこんなにつらいなんて

休みの前夜に予定を聞かれないのがこんなにつらいなんて

休み前の夜にだけ感じる心の隙間

金曜の夜、仕事を終えたはずなのに心が重い。明日は休みなのに、どこか満たされない感覚。若い頃は、休み前といえばわくわくしていた。野球部の仲間と遊びの予定を立てたり、飲みに行ったり、自然と誰かから「明日空いてる?」なんて聞かれた。でも今は違う。電話もLINEも鳴らない。ただ静かに夜がやってきて、カップ麺の湯気だけが部屋の中に漂う。予定を聞かれないって、こんなに心に穴をあけるものだったんだなと、ふと思う。

静かに流れる金曜の夜が一番しんどい

平日の忙しさに押しつぶされそうになっても、金曜の夜だけは少し救いだったはずだ。けれど今は、その「救い」がむしろ追い打ちになる。事務所の灯りを消して、帰り道のコンビニに寄ったとき、カップルがアイスを選びながら笑っているのを見ると、自分だけ違う世界にいるような気分になる。誰かに「明日なにしてるの?」って言われることが、どれだけ自分を支えていたのか、今さらながら痛感する。

事務所の電気を消す瞬間にふっと湧く虚無感

「よし、今日も終わった」そう思って電気をパチンと消す。けれどその瞬間に、胸のあたりがスーッと冷えるのだ。事務員の子は「お先に失礼します」と元気に帰っていった。その姿を見送ると、事務所に一人きりになる。あの無音の空間で、たまった書類を眺めながら、わざと何か作業を続けてしまう自分がいる。帰りたくないのではなく、帰っても何もないから帰る理由がないのだ。

予定がないのに忙しかったと言ってしまう自分

誰かに「今週末は何してたの?」と聞かれたら、思わず「いやー忙しくてさ」と口にしてしまう。でも本当は、何もしていない。ただ、だらだら事務所に行って、自分を紛らわせていただけ。人は空白を恐れる生き物なんだと思う。何もしていない時間があると、自分が「誰にも必要とされていない存在」だと気づいてしまうから、そうならないように、自分で自分を忙しくしてしまうのかもしれない。

誰かと予定を立てるということが減った

昔は、金曜の昼ごろになると、誰かが必ず「今夜どうする?」と声をかけてきた。野球部の頃なんて、グラウンドのあとそのまま銭湯に行って、ラーメン食べて帰るのが定番だった。今の自分には、そういう「流れ」が一切ない。ただ、ぽつんと放り出されている感覚。大人になるって、そういうことかもしれないけれど、あまりにも急すぎて、身体が追いついていない。

昔は「野球ある?」って聞かれてた

「土曜、練習ある?」「キャッチボールだけでもしない?」そんな何気ないやりとりが、当時は当たり前だった。でもその当たり前がなくなった途端、すべてが遠い過去になってしまった。ボールの音、汗のにおい、ユニフォームの重さ。全部が懐かしくて、でも今となっては手が届かない。あの頃は、毎週末に誰かが自分のことを気にかけてくれていた。それが、どれだけ支えになっていたか。

飲みに行こうぜのLINEすらもう来ない

一時期は、同期や同業者と飲みに行くこともあった。でも、誘われなくなるタイミングって突然くる。「あいつは忙しいだろうな」「どうせ来ないしな」そんな風に思われるようになったのか、気づけばLINEは仕事の連絡ばかり。飲みに行こうぜ、という誘い文句が恋しくて仕方ない。たまには自分から声をかければいいのかもしれないけど、断られるのが怖くてできない。情けないけど、それが本音だ。

「休み楽しんでね」と言われることもない

週末前の金曜日、隣の事務所のパートさんが「今週末は子どもの試合なんですよ」と楽しそうに話しているのが聞こえる。その後に「先生も休み楽しんでくださいね」と言ってくれたら、きっと救われる。でも、そんな言葉はほとんど聞いたことがない。別に責めているわけじゃない。誰も悪くない。ただ、言われたいだけなのだ。「楽しんでね」って。たったそれだけで、自分の休日がちょっと違って見える気がするのに。

結局また事務所に行ってしまう癖

休みの日、やることがなくて、つい事務所に行ってしまう。「あの書類、片付けておくか」とか「ちょっとだけチェックしておこう」とか、理由をつけて鍵を開ける。事務員には言えない。彼女にはちゃんとした休日を過ごしてほしいから。でも、自分の休日は「なんとなく働く日」になっている。別に嫌じゃないけど、ふと我に返ると、やっぱり少し寂しい。

やることがあるふりをして自分を誤魔化す

PCの前に座って、たいして重要じゃない書類を開きながら、時間を潰す。これってただの現実逃避なんだと思う。家にいたら何も予定がなくて、誰ともしゃべらず、ただ時間が過ぎるだけ。だから「仕事してます」という自分に逃げている。情けないとは思うけど、そうでもしないと気が持たない日もある。

休日のほうが逆に落ち着かない理由

平日は誰かと関わっているから、孤独を感じる暇もない。でも休日は、一人きりになる。テレビをつけても笑えないし、スーパーに行っても買いたいものが浮かばない。たぶん、自分の時間をうまく使えない人間なんだと思う。社会の中ではそれなりに振る舞えても、プライベートではからっぽ。そんな自分が嫌で、でもどうすることもできなくて、また週明けを待ってしまう。

モテない男の休日は誰にも見つからない

昔からあまりモテるタイプじゃなかったけど、40代を過ぎてからは拍車がかかった。出会いもないし、そもそも求められてもいない。独身でいることが「かわいそう」と思われるような年齢になったけど、自分としては別に強がってるわけじゃない。ただ、どうにもならなかっただけだ。街でカップルや家族連れを見かけるたび、少しだけ心がざわつく。でも誰にも見られていない休日は、風景の一部として溶けていくだけだ。

野球部の頃は誰かがいた気がする

ユニフォーム姿で仲間と歩いていた頃、自分にもちゃんと居場所があった。声をかけてくれる先輩、バカ話に笑う後輩。肩を叩かれたり、ボールを投げ返されたりするたびに、誰かとつながっている実感があった。でも今は、誰かに名前を呼ばれることも少なくなった。ただただ、ひとりで何かをこなしているだけの日々。

もう誰も声をかけてこない現実

「予定空いてる?」そんな一言すら届かない。それが現実だ。年齢を重ねると、声をかける側にも気を遣うし、かけられる側も妙に構えてしまう。だからこそ、関係が薄れていく。でもそれは寂しさに慣れていく過程でもある。慣れてしまった自分が、ちょっとだけ悲しい。

それでも前向きに仕事をする理由

こんな孤独や空白を抱えながらでも、仕事だけはちゃんとこなす。それが唯一、自分の存在価値を感じられる場所だから。依頼者から「ありがとうございます」と言われるたびに、「ああ、まだ自分は必要とされてるんだな」と思える。だから、週末に誰からも誘われなくても、月曜からはまた、気を張ってがんばれる。

目の前の依頼人のために気を張る

書類を前にした依頼人の不安そうな顔を見ると、「ちゃんと応えよう」と思える。自分のプライベートはどうでもいい。でも、この人の人生の節目に関わる仕事なんだから、真剣に向き合わないといけない。そんな使命感だけが、今の自分を支えている。孤独だって、誰かの役に立てるなら、意味があるのかもしれない。

頼られる瞬間だけは自分に価値がある気がする

「先生に頼んでよかった」そう言われたときの、胸に湧く温かさ。それがなかったら、とっくに折れていたかもしれない。たとえ休みの夜にひとりでも、この一言があるだけで、「また来週もがんばろう」と思える。自分のためじゃなく、誰かのために仕事をする。その姿勢だけは、ずっと変えずにいたい。

一人でいることを選んだわけじゃない

「好きで独り身なんでしょ?」と言われることもある。でも、そんなことない。ただ、流れに取り残されていただけ。誰かと過ごす未来を、あきらめたわけじゃない。ただ、今はこうして、自分の立ち位置で踏ん張っている。それでも時々、誰かに予定を聞いてほしくなる夜がある。それが人間なんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。