数字は残っているのに気持ちがついてこない
毎月末、通帳を記帳しに行く。数字はそれなりに並んでいる。贅沢はできなくても、食っていくには困らない程度にはある。それなのに、なぜかホッとできない。むしろ数字を見れば見るほど、空しさが募っていく。昔は「まずは安定した収入を」と思っていたけれど、今は安定した収入よりも、安定した心の方が欲しい。稼いでも稼いでも、気力の残高だけはどんどん減っていくのだ。
気がつけば机にうつ伏せになっている午後
午後2時、申請も終わって少し一息。気がつけばうつ伏せになって目を閉じている自分がいる。別に寝たいわけじゃない。ただ、動けないのだ。電話が鳴っても、身体が反応しない。数年前はこんなことなかった。書類の山もどんと来いだった。でも最近は、山を見ただけで胃がキリキリする。「歳のせいかな」なんて笑ってみるけど、本当は笑えていない。
仕事はある 依頼もある でも気力が足りない
ありがたいことに仕事はある。紹介もあるし、地元の人からも頼ってもらえている。それなのに、手が動かない。書類を作るスピードが落ちたわけではない。でも、その書類を前にすると、身体が動くのを嫌がっている。気力って、こんなにも物理的に減っていくものなのか。かつて野球部だった自分が、まさか精神面でバテる日が来るとは思っていなかった。
報酬よりも気持ちの回復をください
振り込まれる報酬は、確かに生活を支えてくれる。でも、それだけじゃもう足りない。むしろ報酬の通知を見るたびに「また頑張らなきゃ」が乗っかってくる。誰かに「よくやってるね」と言われたい。ほんの一言でも、「今日もお疲れ様」と言ってもらえたら、きっと違うのに。金額じゃないんだ、と思う日が増えてきた。
数字だけを見て安心する時代は終わった
若い頃は、口座の残高が増えることが何よりのモチベーションだった。安心感の証明だった。でも今は違う。どれだけ数字があっても、それが「自分のために」使われる気がしない。むしろ、残高があることで「もっと頑張れ」と自分を追い込んでしまう。数字だけでは、心の穴は埋まらないのだ。
通帳残高は増えても余裕は減っていく
毎月の報酬が少しずつ増えていく一方で、余裕は確実に減っている。予定が詰まり、休みも削れ、プライベートの時間はほぼゼロ。昔の友人たちは家族と出かけたり、子どもの写真をSNSに上げたりしている。そんな投稿を見るたびに、胸の奥がシンとする。何かを得るたびに、何かを失っている。気がつけば、余裕のない自分だけが残っていた。
何のために仕事してるのかよくわからなくなる
毎日必死で働いている。書類を作り、登記を済ませ、依頼者に報告する。業務は淡々と流れる。でも、ふと手が止まった時に思う。「これ、誰のためにやってるんだろう」って。もちろん依頼者のため。でも、その依頼者の顔も名前もすぐに忘れてしまうほど、流れ作業になっている。何かを成し遂げた実感が欲しいのに、日々の仕事に追われているだけの気がしてならない。
事務員の笑顔に救われて でも救いきれない自分もいる
この事務所には、ひとりの事務員がいる。穏やかで真面目で、ミスも少ない。そんな彼女の存在に何度も救われてきた。ふとしたタイミングで見せてくれる笑顔が、どれだけこちらの心を癒してくれたか。でも、その笑顔を見ても、自分の心が満ちていくわけではないのが現実だ。どこか空虚なまま、日々が過ぎていく。
ありがとうの一言が沁みる日々
「お疲れ様です」「ありがとうございます」――たったそれだけの言葉が、今の自分には沁みる。何度も助けられてきた。人って、こんなにも簡単な言葉で救われるのかと驚くこともある。でも、それと同時に「ありがとう」と言うたびに、申し訳なさも湧いてくる。もっと楽に働かせてあげたい。もっとちゃんと報いたい。でも、それができない自分が情けない。
誰かがいてくれることの大きさ
もし彼女がいなかったら、と考えることがある。たぶん、事務所はもう回っていなかった。いや、自分が潰れていたかもしれない。たった一人の存在に、どれだけ支えられているのか。人は一人では仕事できない。そう実感している。だからこそ、感謝の気持ちは常に持っている。でも、その感謝を形にできない自分に、また落ち込んでしまう。
でも事務員に愚痴はこぼせない
彼女は優しい。でも、だからこそ愚痴はこぼせない。こちらが弱音を吐けば、きっと気を遣ってしまうだろうし、負担も増えてしまう。だから愚痴は、自分の中に溜め込むしかない。黙って机に向かって、書類とにらめっこする日々。たまには誰かに「しんどいよ」って言いたいけれど、そんな相手もいないまま、日が暮れていく。