出張帰りの浮かれた気持ちと現実のギャップ
久々の出張。とはいっても華やかなビジネスホテルに泊まるわけでもなく、行き先は隣県の法務局。でも、普段と違う電車に乗るだけで、どこか「旅行気分」になる自分がいる。駅のホームで缶コーヒーを飲みながら、「たまには違う風景もいいもんだ」と思ってしまうのが、ちょっとした現実逃避なのかもしれない。けれど、そんな非日常はいつも長くは続かない。事務所に戻った瞬間、目の前に広がるのは封筒の山。あの一瞬の高揚感は、たいてい玄関を開けた時点で吹き飛ぶ。
移動時間に広がる妄想の自由さ
出張中の移動時間って、妙に心が軽くなる。車窓からぼんやりと景色を眺めていると、「もし司法書士じゃなかったら、何してたかな」なんて思ったりもする。元野球部の自分としては、どこかでコーチでもやってたかも、なんて。妄想は自由だ。時間に追われない電車の中では、誰にも文句を言われずにそんな空想ができるから、移動そのものが癒しになる。現実が重すぎるぶん、その対比がやたら眩しく感じるのかもしれない。
非日常の開放感が心に与える妙な余裕
一泊の出張であっても、朝食のバイキングを選べたり、夜は駅前の居酒屋で一人飲みができたり、ちょっとしたことで「自分の時間」が生まれる。普段の生活では、朝はギリギリまで寝て、夜は書類の確認で終わる。それに比べれば、たとえ仕事であっても「現場を離れる」という事実が、気持ちに余白をくれる。でも、その余裕があるからこそ、帰ってきたときの反動がきつい。まるで高いところから突き落とされるような感覚になる。
このままどこかに逃げられたらなんて思ってしまう
電車が事務所の最寄り駅に近づくにつれ、胃のあたりが重くなる。「帰りたくない」と口には出さないけど、心では毎回そう思ってる。実際、法務局から直帰したふりをしてカフェに寄ったこともある。それで現実がなくなるわけじゃない。でも、たった10分の寄り道で、自分が少しだけマシになるなら、それでいいと思ってる。誰も責めやしない。というより、誰も気づかない。それが少し寂しいけど、今の自分にはちょうどいい。
事務所のドアを開けた瞬間に始まる現実
ただいまとも言わずに玄関を開ける。返事もない。事務所に入った瞬間、空気が変わる。紙のにおいと、パソコンのファンの音と、静かながらも張り詰めた空気。「ああ、戻ってきてしまった」その一言が心の中をぐるぐると回る。別に誰も責めていないし、責任感で戻ったのも事実。それでも、ここでの現実はいつも容赦ない。
机の上に積まれた封筒の山と未処理の書類
まず目に飛び込んでくるのは、封筒と書類。誰がこんなに溜めたんだと思ったけど、当然それは自分しかいない。事務員もいるけれど、判断が必要なものはすべて「先生案件」。その「先生」という肩書きが、この山の原因であり、また責任でもある。出張中にメールチェックしていても、実務の山は消えない。物理的な「山」は、ちゃんと帰るまで待っていてくれるのだ。
出張中に溜まった着信と未読メールの地獄
机の端に置いてあるスマホがピカピカと点滅している。着信履歴を見れば、見慣れた名前と、見たくなかった番号。メールも50通超えていて、どこから手をつけていいのかわからない。すべての連絡に「すみません、出張で…」と返すしかないけれど、出張だって仕事だ。でも、相手は「事務所にいない=サボってる」と言わんばかりの態度だったりもする。ああ、これが現実だ。
俺がいないと回らないなんて言ってみたいが
「先生がいないと何も進まないんですよ〜」なんて冗談でも言われたら、ちょっと嬉しい。でも現実は「何とかしますんで」と事務員が淡々と対応してくれる世界。ありがたいけれど、どこか寂しい。自分の存在意義ってなんだろうと思う瞬間が増えていく。事務所は回っている。でも、心はどこかで置いてきたままのような気がする。
事務員の一言で気づく立場の重み
パソコンを立ち上げると、すぐに事務員が声をかけてくる。「先生、あの件、急ぎです」この一言が、現実への引き戻しスイッチだ。コーヒーもまだ飲んでないのに、もう戦闘開始。出張の疲れなんて関係ない。肩の荷は増える一方で、減る気配はない。
先生これ急ぎですから逃げられない
「急ぎです」って言われたら、もう逃げられない。自分がやらなければ誰がやるんだ、という意識と、それに抗えない立場。他の人なら「すみません、明日にしてもらえますか?」なんて言えるのかもしれない。でも、「先生」である自分にはその選択肢はない。責任という名の呪縛だ。出張の疲れを言い訳にできる相手もいない。
無言で差し出される書類が一番怖い
「これお願いします」とも言われず、そっと書類が机に置かれる。その沈黙が一番怖い。何かトラブルがあるのか、急ぎなのか、何も言われないからこそ不安が増す。結局、全部目を通さなければならない。まるで答えのないテストを無理やり渡されたような感覚。ああ、また今日も一日が始まってしまった。
優しさで誤魔化してるけど内心は悲鳴
「ありがとうございます」「助かります」と笑顔で返している自分がいる。でも心の中では「もう無理だよ」と叫んでいる。本音を出す場所もないし、出したところで何も変わらない。だからこそ、誰かに共感してもらえるだけでも、少し救われた気になる。優しさの仮面をかぶって今日もまた、仕事に向き合う。
それでも辞めない理由を自分に問いかける
ふと我に返って、「なんでこの仕事続けてるんだろう」と思うことがある。好きで始めたわけでもない。でも、気づけば20年以上もこの世界にいる。確かに苦しいけれど、どこかに理由があるから、まだやめていない。誰かの役に立てたとき、その気持ちが原動力になっているのかもしれない。
出張という数少ない外の世界への逃避
年に数回の出張。それは、仕事ではあるけれど、日常からの逃避でもある。駅弁を食べたり、現地の空気を吸ったり。ほんの少しだけでも「一人の人間」に戻れる時間。そんな時間があるからこそ、また事務所に戻れる。戻りたくはないけれど、戻れるというだけでも、まだ大丈夫だと思いたい。
なんだかんだで依頼者に喜ばれるときの快感
「先生、助かりました」「本当にありがとうございます」その一言をもらえると、ああやってて良かったなと思う。苦労の積み重ねが、たった一言で救われることもある。見返りが欲しいわけじゃないけど、誰かの役に立ったと実感できると、不思議と明日も頑張ろうと思えてしまう。
あの一言で救われる日もたまにはある
日々の仕事に追われ、愚痴ばかりの毎日でも、「ありがとう」の一言が全てを報われた気にさせる。頻繁にはない。むしろ稀だ。でも、その稀な瞬間を信じて、今日も事務所で机に向かっている。出張帰りに現実に押し戻されたとしても、それが自分の居場所なんだと思えるようになる日を、少しだけ期待している。