自分のミスなのに誰かのせいにしたくなる日

自分のミスなのに誰かのせいにしたくなる日

自分のミスに向き合うのがつらいとき

司法書士という仕事をしていると、ミスをしてはいけないという強いプレッシャーの中で日々を過ごします。書類の一字一句にまで注意が必要で、それが不動産登記や相続といった大事な局面に直結するわけですから、当然の話です。ただ、完璧を求められる毎日で、ふとした見落としをしてしまったとき、どうしようもない後悔と共に「誰かがもっとはっきり言ってくれていれば…」と人のせいにしたくなる瞬間があります。自分が悪いと分かっていても、心のどこかが逃げ道を探してしまう。そんな日のことを今日は綴ってみようと思います。

なぜか心が先に言い訳を探し始める

例えば、先日あったのは、抵当権抹消登記の添付書類の不備。原因は完全に自分の確認ミス。でも、提出直前に事務員がチェックしてたよな?と思った瞬間に、「見つけられなかったのか…」と頭をよぎるんです。いやいや、自分が責任者だろとすぐに思い直すんですが、人ってそう簡単には自己責任と向き合えないものなんだと、改めて実感しました。

忙しさが判断力を奪う瞬間

月末で登記案件が集中し、電話対応や書類作成に追われていたある日、登記原因証明情報の記載ミスを見逃しました。その瞬間はただ「やってしまった…」と頭が真っ白になるのですが、あとから「いや、この依頼人、やたら急かしてきたんだよな」とか、「そもそも依頼のタイミングが遅すぎた」といった、完全に関係ない理由を思い出して、自分のミスから目を逸らしたくなるんです。

あの人がああ言ったからの罠

以前、事務員が「この登記、依頼人に確認とってあります」と言ったので、そのまま手続きを進めたところ、まさかの内容誤認。最終確認を怠ったのは私です。でもその瞬間、「言い方が紛らわしかったんだ」とか「本当に確認してたのか?」なんて思考が脳内を駆け巡るんですよね。結局、自分が確認すべきだった。それは100%わかってるんですが、それでもどこかで逃げ道を探すクセがついてしまっているのかもしれません。

事務所の空気が冷たく感じる日

自分のミスが原因で事務所全体の空気が重くなるとき、まるで冬の体育館のような静けさが広がります。事務員との会話もぎこちなくなり、目も合わせにくくなる。別に誰も責めていないのに、自分で勝手に罪悪感に飲み込まれていくんですよね。責任感が強いというよりは、ただの過剰な自己評価かもしれません。

事務員さんの一言が刺さる

「ここ、確認しておいた方がよかったですね」——その一言は純粋な業務的な発言。でもその日は妙に心に刺さりました。自分の中で「責められてる」と感じてしまう。言い方がどうこうじゃない、自分が弱ってるから、そう聞こえてしまうんです。逆に言えば、それだけ自分に対して余裕がない証拠。こういうときほど、事務所の空気がずっしり重く感じられます。

自分の中の被害者意識との闘い

「こんなに忙しいのに」「俺ばっかり頑張ってるのに」——そう思ってしまう日は大抵、自分のミスを他人のせいにしたくなっている時です。心のどこかで「悪いのは俺じゃない」と主張したい。けれどそれは単なる被害者意識であって、解決には一切つながりません。むしろそれが積もっていくと、事務員との信頼関係も壊れてしまう。それだけは避けたいから、なんとか踏みとどまってはいますが。

反省と同時に押し寄せる自己嫌悪

ミスをして、反省して、それでもどこかで人のせいにしようとしている自分に気づくと、猛烈な自己嫌悪に襲われます。「またやった」「また逃げた」そんな繰り返しの日々。でも人間なんて、そんなに強くないんだと最近は思うようになりました。司法書士という立場でも、完璧ではいられない。そう認められるようになるまで、随分と時間がかかりました。

言い訳したい気持ちの正体

人のせいにしたくなる心理は、突き詰めれば「傷つきたくない」という自己防衛なのかもしれません。責任を認めることで自分の価値が下がるような気がして、無意識に他人の言動に矛先を向けてしまう。けれど実際には、誠実に謝り、誠実に対応することで信頼はむしろ増すこともある。それを頭では理解していても、感情が先に走ってしまうのが厄介なんです。

完璧であろうとすることの疲れ

昔から「責任感が強い」と言われてきました。でも最近思うんです、それってただ「失敗が怖い人」だったんじゃないかと。完璧であろうとするあまり、人に頼れず、助けも求められず、全部自分で背負い込んで、結果として爆発する。そしてその爆発が、誰かへの不満や言い訳として現れてしまうんです。

元野球部だった頃のミスの扱い方

中学高校と野球部にいた頃、エラーしたらチームの負けに直結しました。だからこそ、試合後に誰かのミスを責めるのではなく、「次どうするか」を話す空気があった。ミスを責めるのではなく、共有する。それが自然と身についていたはずなのに、社会に出た途端、自分のミスに蓋をしたくなる。あの頃の自分に、もう一度教えてもらいたいものです。

叱責に慣れすぎたせいかもしれない

新人時代、ミスをすれば徹底的に怒られました。怒られ慣れているうちに「怒られないように立ち回る」という思考がクセになっていった気がします。自分の非を認めるよりも、逃げ道を探す。責任逃れが癖になりかけていた過去を思い返すと、今の自分の弱さもその延長線にあるのかもしれません。

ミスを共有できる場所の大切さ

ミスをしても、それを話せる相手がいるかどうかで、心の軽さが全然違います。同業者の集まりや、昔からの友人との会話の中で、自分のしくじり話をさらけ出せたとき、「ああ、みんな同じようなことで悩んでるんだな」と感じられる。そういう体験が、明日も仕事を続ける支えになっています。

誰かに話すだけで少し楽になる

「いや~この前、やらかしてさ…」そんな一言を誰かにこぼすだけで、不思議と気持ちが軽くなる。相談というより、ただの雑談でも、話すことには意味があるんだと思います。心の中で渦巻いていた罪悪感や苛立ちが、言葉にすることで整理されていく。それは独りで抱えているだけでは得られない感覚です。

他の司法書士さんの失敗談に救われる

とある懇親会で、ベテランの司法書士さんが自分の失敗談を話してくれたことがありました。「俺も昔やったよ、そんなの」と笑いながら。それを聞いて初めて、自分も失敗していいんだと、心の底から思えたんです。経験豊富な人の弱さが見えると、自分の弱さも肯定できる気がしてくる。不思議な力です。

弱さを見せられる関係のありがたさ

事務所の事務員とも、最近は素直に謝れるようになってきました。「ごめん、俺の確認不足だった」と言えるようになったのは、相手との信頼関係が築けてきたからこそ。最初は言い訳したくてたまらなかったけれど、今は自分の弱さも少しずつ見せられる。そう思える関係性に感謝しています。

結局のところ自分を許せるかどうか

他人を責めたい気持ちも、自己嫌悪も、突き詰めれば「自分を許せていない」から生まれるのかもしれません。完璧じゃない自分、時にはミスをする自分を、どこまで受け入れられるか。人のせいにせずに一日を終えられた日には、小さなガッツポーズをして、心の中で「よくやった」と言ってあげるようにしています。

今日を振り返ってできること

夜になって、ようやく落ち着いた時間。今日の失敗やモヤモヤを振り返るとき、自分の言動に言い訳がなかったか、無意識のうちに人を責めていなかったか、じっくり考えるようにしています。それだけでも、次の一歩が変わる気がするんです。

ミスは経験値という言葉を信じる日もある

どんな失敗も、次の糧になる——そう思える日は、たしかにある。そんな日に出会えるように、今日もまた、ミスに向き合う。その繰り返しが、いつか自分を少しだけ優しくする気がします。

人のせいにせず終えられたらそれだけで一歩

完璧じゃなくてもいい。ミスしても、言い訳せずに自分で受け止めた。それだけで、昨日の自分より一歩進んだ。そう信じて、明日もまた、登記の書類に向き合っていこうと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。