償いの登記簿

償いの登記簿

償いの登記簿

空の青さがまぶしい土曜の朝、事務所のポストに分厚い封筒が突っ込まれていた。差出人の名前は書かれていない。だが、手に取った瞬間、背筋にひやりとしたものが走る。封筒の隙間から見えたのは、古びた登記簿の写しだった。

僕の名が書かれていた。10年前、僕が担当した案件の写しだった。

忘れられた依頼帳

「これ、先生の筆跡ですね。昭和じゃなくて令和の事件でしょ?」 サトウさんが、朝のコーヒーを片手に、机の上に封筒の中身を並べていく。 うっすらとインクのにじんだ依頼帳には、ある農地の名義変更記録と、それにまつわる現況調査の走り書きが残されていた。

「この登記、やってないですね。申請漏れてます」 彼女の言葉が鋭く胸に刺さる。僕のうっかりの代償は、まだ終わっていなかったらしい。

土曜の朝に届いた封筒

事務所の静けさが逆に落ち着かない。封筒に同封されていた手紙には、こう書かれていた。 「あなたが消した登記のせいで、息子は帰ってきません」 まるで怪盗ルパンが置いていく挑戦状のように、簡潔で、そして挑発的だった。

封筒の宛先は「司法書士 シンドウ様」。丁寧すぎるその筆致に、何か作為を感じずにはいられなかった。

サトウさんの冷たいひと言

「これ、損害賠償とかになるとやばいですよね」 どこか他人事のように、彼女は言った。だがその目は真剣だった。 「でも、登記記録に出てこない農地って……やっぱり怪しいですよ」

彼女がパチパチとキーボードを叩き、法務局の地番図と照合を始めた。僕はコーヒーを飲み干しながら、胃のあたりがじわじわと重くなるのを感じていた。

旧登記簿の謎の抹消記録

農地の登記簿には、不自然な抹消記録が残っていた。 「この抹消、申請された形跡がありません」 サトウさんの指が、画面の一行を示した。

何かが故意に消されている。それは、まるで探偵漫画でいう“空白の一日”のような異物だった。

一つだけズレた地番

調べていくうちに、農地の一画だけ、地番がわずかにズレていることに気づいた。 その場所に今は、小さな空き家が建っていた。

「ここ、事件の臭いがします」 僕がつぶやくと、サトウさんは「ようやく目覚めましたか」と言いたげに、口元をゆがめた。

元依頼人の家にて

古びた木造の平屋。呼び鈴を押しても返事はなかった。 だが、隣家の老婆がぽつりと語った。 「あそこはな、息子さんが突然いなくなってから空き家なんだよ。あの土地を売った直後だったさね」

息子が失踪した理由と、僕のうっかりが関係しているとは信じたくなかった。でも――

焦げ跡と遺された認印

空き家の台所には、焼け焦げた契約書の端切れがあった。そして、その上に乗っていたのは、僕の事務所名が刻印された赤い認印だった。

やれやれ、、、これはもう逃げられない。

元司法書士が語った過去

調べを進める中で、一人の元司法書士の名前が浮かび上がった。彼は僕の前任として、その地域の土地整理を担当していた人物だった。

「俺は命令されたんだ。あの名義は移せって……なにせ、裏のルートだったからな」 彼の目は、遠くを見ていた。まるで過去を償うように。

償いのための名義変更

結局、名義は不正に書き換えられていた。失踪した息子は、その不正を告発しようとして姿を消したらしい。 「でも、証拠がなければ無理ですね」 サトウさんの言葉に、僕は首を振った。

「いや、俺が書いた依頼帳が証拠になる」 そう。あのときの走り書きが、唯一の真実だった。

サトウさんの鋭い一手

彼女が見つけたのは、旧式のフロッピーディスクだった。そこには、当時の名義変更申請の草稿が残されていた。

それは封印された契約の記憶。サトウさんは、まるでキャッツアイのように静かに証拠を盗み出した。

不動産屋が隠していた契約書

最後の鍵は地元の不動産業者だった。古い金庫から出てきた契約書には、息子の署名があった。 「売買契約に、本人の意思はなかったってことですね」 真実が、ようやく姿を現した。

真実は書類の余白に宿る

全てが終わった後、僕は封筒に残されていた手紙の裏に、小さく書かれていた走り書きに気づいた。

「あなたが、ちゃんと見ていれば、守れた命だったかもしれません」 悔しさと同時に、不思議と肩の荷が降りた気がした。

過去と向き合う登記申請

僕は静かに、名義を正すための登記申請書を作成した。封筒の送り主が誰であれ、これだけはやらなければならなかった。

「サトウさん、これでいい」 彼女は頷き、無言で申請書を持って法務局へ向かった。

そして誰も所有者でなくなった

結果、その土地は相続放棄と登記抹消により、誰の名義でもない状態になった。空き家は市の管理地となり、静かに草に埋もれていった。

そして、僕の心の中にも、静かな空白が広がっていった。

もう一度、登記簿を閉じるとき

古い依頼帳を閉じ、棚に戻す。 10年前の自分が残したものは、ようやく帳尻が合ったようだ。

コーヒーの湯気の向こうで、サトウさんが「先生、次は間違えないでくださいよ」と呟いた。 やれやれ、、、次は気をつけるさ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓