ある境界トラブルから始まった
「土地の境界がズレているんですよ」と電話口の声が妙に食い気味だった。朝からプリンターが紙詰まりを起こし、封筒の糊も切れていた私は、つい「またか…」とため息をついた。地積トラブルなんて、田舎の司法書士にとっては日常茶飯事だ。
測量図と謄本の違和感
現地に行って測量図と謄本を見比べる。明らかに面積が違う。5坪ほど、登記上の面積が多い。それだけで数百万円の価値が変わるのだから、当事者が揉めるのも無理はない。
依頼人は隣人同士の二人
依頼主は二人。50年隣り合って暮らしてきた初老の男性と、数年前に東京から戻ってきた娘婿。どちらも自分が正しいと譲らない。境界杭の位置について、記憶が一致しないのだ。
一致しない記憶と地積
「昔はここまでがうちの畑だった」と主張する老爺に対し、「いや、父からそう聞いていた」と譲らない娘婿。記憶に基づく証言ほど曖昧なものはない。私は司法書士であって、記憶の検証人ではない。
50センチの境界を巡る言い分
実測値と地積のズレは約50センチ。建物や塀の位置にズレは見られないが、測量士のデータは確かだ。だが、問題は数字の正確さではなく「誰が正しいと思っているか」だ。
サトウさんの冷静な観察
「この塀、最近立て直されてますね」と、サトウさんが鋭く指摘した。私は気づかなかった。やれやれ、、、また彼女に先を越されたか。塩対応でいて観察眼は一級品。まるでキャッツアイの瞳のようだ。
古い公図と昔の空き地
事務所に戻り、公図と閉鎖登記簿を引っ張り出す。そこには、今は家が建っている場所が、かつて「無番地の共有地」だったと記されていた。私の記憶の中でも、確かにあの辺りには空き地があった気がする。
地番変更の履歴が語る過去
登記簿に挟まれた古い附票の束を開く。昭和45年、公図変更に伴い、地番が振り直された記録があった。それにより、隣地との境界が数十センチずれた可能性が出てきた。
共有地だったはずの土地
調査の結果、かつて共有地だった部分が、いつの間にかどちらか一方の名義になっていた。それは制度の不備か、あるいは誰かの意図的な行動か…。私は疑念を深めた。
司法書士としての違和感
何かがおかしい。書類は一見整っているが、筋が通らない。「名義変更は正式に登記されてます」と言い張る娘婿。しかし、根拠となる遺産分割協議書の筆跡が妙に整いすぎていた。
あの日の測量に何があったか
当時の測量士に連絡を取った。彼はすでに退職していたが、「あの測量はクレームがあって二度やった」と証言した。にもかかわらず、登記上は一度の測量しか記録されていない。
現地立会いで見えた真実
再度、現地立会いを実施した。塀の内側に、古びた境界杭が埋もれていた。それは老爺が語る「昔の境界」の証拠であり、娘婿が見せた測量図とは明らかに違っていた。
やれやれ、、、また面倒な仕事だ
帰り道、コンビニの駐車場で車の中から空を見上げた。雲がちょうど、境界線のように東西を分けていた。やれやれ、、、と思わず独りごちる。司法書士に探偵まがいの調査まで任されるとは。
だが違和感は見逃せない
仕事は面倒だが、違和感を見逃してしまったら、職業人として終わりだ。サザエさんのように毎週同じ日常が繰り返されるわけではない。今日は今日の事件がある。
記憶の綻びと裏の意図
筆跡の検査を依頼したところ、遺産分割協議書の一部は後から加筆された可能性があるとされた。つまり、誰かが自分に有利になるよう、書類を「整えた」のだ。
誰が本当に得をするのか
その誰かとは、娘婿だった。彼は故意に地積を拡張し、地目を変更していた。親族間の揉め事で、司法書士が矢面に立つことは多いが、今回は「意図的な虚偽」が潜んでいた。
過去の登記ミスと意図的な操作
調査をもとに、私は登記官に報告書を提出し、名義の再訂正と説明を促した。地積のズレは、単なるミスではなかった。記憶と事実の境界は、意外にあやふやだ。
最後の一手は登記簿の余白
最後の決め手は、閉鎖登記簿の余白に残されたメモ書きだった。「立会済、旧杭不動」と書かれていたその一文が、すべてを裏付けた。
余白に書かれなかった名前
そこには立会人の名前が記されていなかった。あえて空白にしたのか、忘れたのか。だが、そこにこそ、真実がにじんでいた。
元野球部の勘が冴える瞬間
昔、センターで打球を追っていたころの感覚が蘇った。打球の落下点を予測するように、情報の断片が一つに重なった。「ここだ」と確信できた瞬間だった。
二人の記憶が交差するとき
老爺は、自分の記憶が間違っていなかったことに安堵し、娘婿は「勘違いだった」とだけ言って頭を下げた。真実は、境界線の上ではなく、人の心の中にあったのかもしれない。
語られなかった真実が浮かぶ
誰も嘘をついたと言い切れない。だが、誰も真実を語っていなかった。その狭間に、私はそっと杭を打ち直すような気持ちで、報告書を閉じた。
サザエさん方式の記憶のズレ
まるでサザエさんの最終回がないように、記憶も終わりが曖昧なままに続く。だからこそ、紙と印の力を借りて、人は確認しあうのだ。
正しい地積とは何か
数字に正しさはある。だが、それは過去の記憶と照合されたときにしか意味を持たない。私は登記の世界の重さを、改めて感じていた。
数字よりも確かなもの
それは、人の思いだ。境界線が動いても、土地の上で生きてきた時間は動かない。そのことに、今さらながら気づかされた。
静かな結末と報告書
静かに報告書を提出し、電話で一言だけ伝える。「解決しましたよ」と。どちらの肩も持たず、ただ記録を正す。それが、司法書士の仕事だ。
境界線の内と外にあるもの
土地の内か外かではなく、その境目にこそ物語はある。そして、また次の誰かの境界が揺れるとき、私は書類を抱えて現れるだろう。