司法書士やっててよかった…と思いたい

司法書士やっててよかった…と思いたい

「司法書士でよかった」と思いたくて、今日も書類に埋もれる

地方で司法書士をやっていると、派手な話なんて一つもない。テレビドラマみたいな劇的なシーンもないし、「すごいね!」と褒められるような派手な案件も滅多に来ない。朝から晩まで黙々と書類とにらめっこ。人とのやりとりだって、ほとんどが電話とメールだ。そんな毎日の中で、ふと「俺、何やってんだろうな」と思ってしまうことがある。でも、不思議と辞めようとは思わない。なぜかって?それはきっと、「司法書士でよかった」と思いたいからだと思う。

モチベーションの火種が消えそうな朝

朝、布団から出るのがつらい。寒さのせいだけじゃない。眠気よりも重くのしかかってくるのは、「また今日も同じことの繰り返しか…」という気持ちだ。モチベーションなんて言葉は、もう何年も忘れていた気がする。だけど、そんな中でもとりあえずスーツに着替えて、事務所のシャッターを上げる自分がいる。

眠気より重い「意味ってなんだろう」

ときどき、自分がやっていることの意味を見失う。登記が無事終わったって、誰かが大喜びするわけでもない。感謝の言葉だって、年に数回あれば良い方だ。じゃあなんでやってるのか。自分でもわからなくなる。意味を問うと答えは返ってこない。そんなときは、昔好きだった音楽を小さな音で流して、コーヒーを飲む。答えは出ないけど、それでもまた書類に向かえる。

他人の人生ばかりに向き合って、自分はどこに?

司法書士の仕事って、他人の人生の節目に立ち会うことが多い。相続だったり、会社の設立だったり、家を買う瞬間だったり。でもふと、自分の人生はどうなんだろうと思ってしまう。気づけば独身のまま45歳。女性にモテた記憶なんて10年以上前に置いてきた。自分のことは後回しにしてきたけど、それが今の寂しさにつながってる気がしてならない。

「ありがとう」が唯一の救い…だけど毎日はもらえない

お客さんからの「ありがとう」は、正直すごくうれしい。やっててよかったと、心から思える瞬間だ。でも、そんな言葉を毎日もらえるわけじゃない。むしろ、ほとんどの案件は、淡々と終わっていく。感情の起伏なんて起きない。でも、たった一言の「ありがとう」が、心の奥の何かを支えてくれている。

心が折れそうな時、過去の「ありがとう」が効く

数年前、ひとり暮らしのご高齢の方から、相続登記の依頼を受けたことがある。手続きが終わったあとに渡された小さなお菓子と手書きの手紙。そこには「親切にしてくれてありがとうございました」と書かれていた。その手紙、実はいまだに引き出しに入れてある。つらくて泣きそうな夜、こっそり読み返しては、少しだけ前向きになれる。

感謝の言葉がくれる一瞬の光

日々の業務に追われる中で、光のように差し込んでくるのが、こういう言葉たちだ。司法書士という仕事は派手じゃない。でも、誰かにとっては「助かった」と思ってもらえる瞬間がある。その一瞬があるから、どれだけしんどくても続けていられるのかもしれない。

でも、それで飯は食えない現実

「ありがとう」で心は救われても、現実は厳しい。報酬は下がる一方、業務は複雑になるばかり。士業の価値って何なのか、自問することもある。理想と現実のギャップに苦しむ日々。でも、少しでも心を動かしてくれる「ありがとう」がある限り、自分を騙し騙し、また机に向かう。

やっててよかったと思える瞬間は、地味で誰にも気づかれない

「やっててよかった」と思う瞬間は、いつも地味だ。拍手もなければ、誰かに祝ってもらえることもない。ひっそりと、じんわりと感じる満足感。そんな控えめな幸福が、この仕事のリアルだ。

補正通知が来なかった、それだけでガッツポーズ

登記申請を出したあと、数日間は落ち着かない。補正通知が来るかもしれないからだ。来なかったときは、声に出さずに心の中でガッツポーズ。誰も褒めてくれないけど、「よっしゃ」と自分に言う。そんな小さな勝利が、自分にとっては大きなご褒美になる。

孤独な戦いの中で「自分の判断が正しかった」と気づけた日

ある日、複雑な相続登記の相談が舞い込んだ。他士業が敬遠した案件だったけど、調べに調べて、なんとかまとめあげた。無事登記が通ったとき、自分の判断と積み重ねてきた知識が間違ってなかったと実感した。誰に言うでもなく、ただ静かに「よかった」とつぶやいた。

「もうやめようかな」と思った時期と、それでも続けている理由

何度も「辞めようかな」と思った。でも、辞めたあとに何が残るかと考えると、それもまた怖い。司法書士は天職とは言い切れない。でも、手放すには少し惜しい場所にもなっている。

廃業を考えた冬、机の上の印鑑だけが味方だった

冬のある日、通帳を見てため息が出た。収入が減り、経費ばかりがかさむ。もう限界かなと思いながら、机の上の印鑑をぼんやり眺めていた。冷たい指先でその印鑑を握った瞬間、ふと「まだ、もうちょっとやってみよう」と思えた。なんでかはわからない。けど、そう思った。

人生の分岐点、やめたら何が残るのか

もし司法書士をやめたら、自分に何が残るのだろうか。スキルは特殊すぎて他の職には移りづらいし、社会とのつながりも薄くなるかもしれない。何より、「自分が積み上げてきたものを手放す怖さ」があった。だから続けているのかもしれない。惰性かもしれない。でも、それでも前には進んでいる。

それでもやめなかったのはなぜか?

理由ははっきりしない。ただ、なんとなく「続けていれば何かあるかもしれない」と思っている。これまでだって、そうやって続けてきた。答えがないまま、歩き続けるのも悪くない。いつか、「司法書士やっててよかった」と本気で思える日が来ると信じて。

それでも、「誰かの支えになれている」と思いたい

結局、自分は誰かの役に立ちたいのかもしれない。目立たなくても、評価されなくても、「あの人に頼んでよかった」と思ってもらえれば、それでいいのかもしれない。

小さな成功が、心の中でじわっと広がる

ド派手な成功じゃない。でも、何かひとつ終わらせたときの達成感。それは誰にとっても価値のあるものだとは思わない。でも、自分の中では確かにじんわりと残る。そんな気持ちの積み重ねが、「やっててよかった」と思える種になる。

「司法書士やっててよかった」と思えるその日まで

まだ「やっててよかった」と胸を張っては言えない。でも、少しずつ、そんな日を目指して仕事をしている。書類に囲まれて、愚痴を言いながら、それでも前に進んでいる。いつか本当に心の底から「司法書士やっててよかった」と思える日が来ると信じて。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。