朝イチの電話は静かに狂っていた
「先生、〇〇さんが亡くなったそうです」
サトウさんの言葉に、僕はしばらく理解が追いつかなかった。つい昨日、登記申請の最終確認で話をしたばかりの依頼人。その声が、もうこの世にないというのだ。
サトウさんの冷静な第一声
「登記はまだ完了してません。提出もしていないはずですよね?」
僕が口を開くより早く、彼女は必要な確認事項を読み上げ始めた。頼もしい反面、感情という装備をどこかに置き忘れてきたような対応に、やや苦笑いが出る。
登記完了予定日の異変
登記申請は今日、つまり故人が亡くなった翌日に予定されていた。死因は脳梗塞、死後数時間で発見されたという。司法書士としてではなく、ひとりの人間として、そのタイミングに妙なものを感じていた。
依頼人はすでに故人だった
どういうわけか、彼の印鑑証明は提出済みだった。それも、病院の診断書で示された死亡時刻のあとに郵便で届いている。誰かが意図的に動いていたとしか思えない。
医師の死亡診断書が示す時間
死亡時刻は午後11時15分。だが、ポストに届いた書類の消印は午前0時前の集荷。わざわざ夜間に投函したということだ。まるで誰かが死後の処理を進めるように。
受領印の存在が呼ぶ違和感
申請書の右下にあった受領印。これが曲者だった。依頼人本人が捺印したとは思えないほど、字が震えていた。年齢的にそんなはずはない。しかも朱肉の色が薄い。何か、急いでいた?
移転登記に潜む罠
よく見ると、委任状の住所に一文字だけ誤字があった。訂正印もなければ、訂正箇所の印もない。これでは正式な書類とは言えないが、見慣れない者が見れば気づかない程度の細工だった。
申請書類に記された微妙な誤字
誤字は「〇〇町」が「〇△町」になっていた。隣町の地名だ。もし登記が通れば、関係者に気づかれず別人に名義が移っていた可能性がある。いや、そう仕向けられていたのか。
古物商との怪しい関係
依頼人が生前頻繁に出入りしていたという古物商の店主を訪ねてみた。怪しいまでに丁寧な応対だったが、古びた帳簿に記された「登記関係書類 持込済」の文字が全てを語っていた。
過去の嘘とサトウさんの推理
「この人、過去に筆跡偽造で調査受けてます」
サトウさんがパソコン画面を差し出す。そこには、不動産詐欺の被疑者リストに依頼人と同姓同名の人物が。生年月日も一致していた。過去は彼のもう一つの顔だったのか。
やれやれ、、、と僕はつぶやいた
結局、印鑑証明も委任状も偽造だった。相手が亡くなる直前に誰かが書類を整えて登記を通そうとした。悪質だ。
「サザエさんの波平だって、ここまではうっかりしないだろ」
思わずつぶやいてしまった。
別件調査と一致する指印
以前の事件で提出された偽造書類に押された指印と、今回のそれが一致した。完全に同一人物の仕業だった。決定的証拠が揃ったのは、サトウさんの執念深い調査のおかげだ。
不在者の意思を誰が偽造したか
問題は、その誰かをどうやって追い詰めるかだった。依頼人の死を利用し、偽造書類で不動産を奪おうとした犯人。だが、登記は未了。僕たちはまだ間に合うかもしれない。
取引直前の口座移動の痕跡
口座の動きを調べると、死亡当日に大口の入金があった。それがそのまま翌日には引き出されていた。口座名義人は別人だったが、その名義もやはり偽造と判明した。
登記情報のタイムスタンプの矛盾
誰かが法務局にアクセスし、登記簿の閲覧記録を残していた。その時間は、依頼人の死亡後。つまり、本人以外の誰かが名義変更を目論んでいたことは明白だった。
遺された通帳と最後の会話録
古い通帳の間から、ICレコーダーが出てきた。再生すると、男性の声がこう言った。
「もし俺が死んだら、すぐにあの登記は止めろ」
その声が、まぎれもなく依頼人本人のものだった。
ICレコーダーに残された言葉
死の前日に残された声は、犯人の想定をすべて裏切るものだった。つまり、彼はすべてを知っていて、僕たちに託していたのだ。司法書士にできる最後の仕事が、そこにあった。
土地家屋調査士との確執
もうひとつの鍵は、土地家屋調査士との過去のトラブルだった。測量ミスを理由に売買が流れた案件。その相手が今回の偽装登記の中心人物と一致していた。
真実は登記の一歩手前にあった
書類は揃っていた。だが、それは精密に組まれた偽造の積み木だった。登記という手続きを前に、正義は最後のひと押しを待っていた。僕たちは、その扉を開ける鍵を手にしていた。
サトウさんが示した一点の疑念
「この申請日付、おかしいです」
彼女が指摘したのは、提出日が休日になっていたことだった。役所は休みだ。その日は受付はできない。小さな矛盾が、大きな真実を暴いた。
依頼人の意図と第三者の野望
依頼人は、命の終わりを悟っていたのだろう。最後に司法書士へ託した。第三者の野望に打ち勝つために。僕たちはその意思に従い、登記を止め、真実を記録に残した。
結末と紙一重の正義
不正は未遂で終わり、関係者は摘発された。依頼人の土地は相続人へと正しく引き継がれた。証拠の書類は、すべて封筒に入れて法務局へ送った。
登記を申請しなかった理由
僕が登記を止めた理由を問われ、こう答えた。
「亡くなった方の意思を尊重するのも司法書士の仕事です」
どこまで通じたかはわからないが、少なくとも法は僕たちを否定しなかった。
沈黙を貫いた相続人の真意
相続人は静かにこう言った。
「父は、あなたに任せて正解だった」
その一言に救われたような気がした。僕の背後では、サトウさんがもう次の書類整理を始めていた。