彼女が旧姓を使った理由
朝の郵便と封筒の違和感
司法書士事務所に届いた分厚い封筒。差出人は不動産業者だが、どこか妙な違和感を覚えた。封筒の角が微妙にふくらみ、内容物の枚数と宛名のバランスが悪いのだ。サトウさんが受け取りながら「これは、ちょっと変ですよ」とひと言。朝から胸がざわついた。
サトウさんの冷静な一言
封筒を開けたサトウさんは、瞬間的に眉をひそめた。「これ、委任状ですね。でも……旧姓です」委任者の欄に書かれていた名前は、すでに戸籍上存在しない名前。役所で通じるはずもない。その冷静な指摘に、俺は思わず背筋を伸ばした。
委任状に書かれた旧い名前
委任状には確かに旧姓が記されていた。だが押印された印鑑は、役所に登録されている印鑑と一致していた。となると、本人であることは間違いない。しかし、なぜ今さら旧姓で?登記を行う上で、これは無視できない問題だった。
離婚か通称かそれとも
俺は机の引き出しから、過去の登記記録を取り出した。結婚して姓が変わったはずの依頼人が、なぜ旧姓を使っているのか。考えられるのは離婚、もしくは通称使用。しかし、どちらにも該当するような通知はなかった。情報が足りない。
不動産の名義変更をめぐる矛盾
提出された委任状の目的は、不動産の名義変更。だが変更対象の物件は、すでに夫婦共有名義として登記されていた。不自然な委任のタイミング。まるで何かを隠そうとしているような…。俺はまるで怪盗キッドの手口のように巧妙だと唸った。
知らせていないはずの住所
さらに奇妙なのは、登記原因証明情報の記載された住所。現在の住所は依頼人以外知り得ないはずなのに、なぜかこの書類には正確に記載されていた。「これ、本人じゃない第三者が書いた可能性ありますね」とサトウさん。そうなると話は大きく変わってくる。
戸籍附票で見えた過去
俺は法務局に戸籍附票の請求をかけた。すると、数年前に結婚して改姓、その後離婚し旧姓に戻った履歴が見えてきた。だが、今回の委任状の日付は離婚よりも後。つまり、旧姓に戻った後に旧姓で委任するのは、何ら問題ない……はずだった。
旧姓のまま届いた理由
しかしここでサトウさんが呟いた。「けどこの人、離婚したことを不動産業者に知らせてないですね」なるほど、業者が過去の資料をもとに書類を作成し、本人に署名だけさせたとすれば、この状況は説明がつく。だが、そこに落とし穴があった。
元夫の筆跡を追って
旧姓で出された委任状に使われていた筆跡。それは、過去の契約書に残っていた元夫のものと酷似していた。まさかとは思いながら、俺は過去の登記資料を照合した。「やっぱり……これ、元夫が代筆してるぞ」と俺。サトウさんの目が鋭くなる。
役所からの証明書の落とし穴
役所から取得された印鑑証明書は、本人のもので間違いなかった。しかしそれは旧姓に戻る前、つまり離婚前のものだった。つまり、現在の姓では証明されない。法的には無効になり得る。ここでようやく、依頼者の姿が霞の中から浮かび上がってきた。
書かれていない委任の真意
依頼者は登記を急いでいた。不動産を売却して現金化したい事情があった。だが元夫がその手続きを勝手に進め、旧姓のまま書類を用意していたのだ。「夫婦だった頃の信頼を使って、不正に動いたってわけですかね」サトウさんの言葉は鋭かった。
遺産分割の裏にあった感情
さらに調査を進めると、この物件が故人の名義であることが判明。つまり、遺産分割協議が未了のまま、元夫が勝手に委任状を偽造して売却を試みていたという構図になる。俺は、そんな面倒な案件を朝から抱えてしまったことに、深いため息をついた。
サザエさん方式と現実の違い
「サザエさんだったら、波平さんが一喝して終わるんでしょうけどね…」と俺が愚痴ると、「現実は印鑑と戸籍と、あと根回しですね」とサトウさんが淡々と返した。お見事。まさにその通り。家庭の問題と登記の問題は、現実ではまったく別物だ。
やれやれ今日も書類で人生が見える
結局、依頼者本人に確認を取り、元夫の行為は無効であると判断。登記は一時中止となり、法的措置を検討することになった。俺はパソコンの画面を閉じて、椅子にもたれかかる。「やれやれ、、、今日もまた書類に人生を見せつけられたよ」