嘘と信託の家
朝一番の相談者
夏の朝は早い。蝉の鳴き声が始まるより少し前、事務所のドアがカランと鳴った。
重い表情を浮かべた中年の女性が、一枚の分厚い封筒を胸に抱えて立っていた。
「父が遺した信託の件で、相談があるんです」──それが全ての始まりだった。
サトウさんの無慈悲なアイスコーヒー
「あーつい、、、」とぼやいた瞬間、サトウさんが無言で机にアイスコーヒーを置いた。
相変わらず一言もない。まるでカツオがワカメに叱られるときのような空気感。
「無糖ですが?」と一言添えられて、氷のように心が冷えた。
遺言信託の不自然な点
相談者の女性が持参したのは、公正証書による遺言信託契約書だった。
だが、信託の受益者に「長男」とだけ記されており、名前が抜けている。
信託財産の記載も曖昧で、これは明らかに素人が書いたような内容だった。
依頼人が残した封筒の意味
封筒の中には、父親が手書きで綴った手紙と、古い家の間取り図が入っていた。
その図面には「三人兄弟の部屋」と書かれており、一室にだけ赤い丸印があった。
まるでキャッツアイのように、何かがそこに隠されていると訴えていた。
被後見人の消えた通帳
奇妙だったのは、父がかつて後見人をしていたという知的障害のある叔父の存在だった。
その叔父の通帳が、父の死後に行方不明になっていたという。
これが信託の裏に潜むもう一つの謎だった。
亡き父と三人の兄弟
父には三人の息子がいたが、末っ子だけが疎まれていたと相談者は言う。
長男はまじめ、次男は自由人、三男はなぜか父に疎外されていた。
しかし、父の手紙には「一番信じているのは三男だ」と記されていた。
嘘をついていたのは誰か
信託にまつわる証言が食い違っていく中、全員が「他の兄弟は信用ならない」と口を揃えた。
だが、誰かが明らかに事実を隠している。
それは、まるで怪盗キッドが仕掛けた幻のような嘘だった。
信託契約書の落とし穴
契約書を読み解いていくと、「受益者」の定義が非常に曖昧にされていた。
登記はされておらず、信託口口座の存在も不明──つまり、実体のない信託だった。
これは誰かが「信託がある」と思わせるための、トリックだったのだ。
やれやれ、、、やっぱりそうきたか
僕はため息をついた。
やれやれ、、、サトウさんがにやりともせずに資料を差し出す。
「この固定資産税の通知、三男の名前になってますよ」──最後のピースが埋まった。
意外な人物の告白
後日、事務所にやってきたのは次男だった。
「親父の信託なんて嘘っぱちだよ。全部三男が仕組んだんだ。親父は三男に譲るつもりだった」
その口調には、ねたみとも後悔ともつかない感情がにじんでいた。
土地の名義が語る真実
法務局で調べた登記簿には、驚くべき事実があった。
なんと、亡き父は生前に土地をすでに三男に「贈与」していたのだ。
信託契約書は、それを隠すためのカモフラージュに過ぎなかった。
サトウさんの冷たい指摘
「結局、信じてたのは書類じゃなくて、人だったんですね」
サトウさんのその一言が、まるで名探偵コナンのエピローグのように全てを締めた。
僕は苦笑いしながらも、内心では感心していた。
信頼とは誰のためにあるのか
信託という仕組みは、法的には信じることから始まる。
しかし人が絡めば、そこに必ず感情が入り込む。
今回の件も、信じたくない事実を、信じたい物語で包んでいただけなのかもしれない。
残された者たちの涙
争いが終わったあと、三男は「兄たちが笑っていた時代を信じたかった」とつぶやいた。
その言葉に、他の兄弟も沈黙し、やがて目を伏せた。
嘘に塗れた信託の中に、ほんの少しだけ真実が残っていたのかもしれない。
誰もいない家に遺されたもの
三兄弟の家は今、誰も住んでいない。
しかし壁には、子供の頃の三人が描いた絵がそのまま残っていた。
嘘と信託と涙の家が、本当は家族の記憶そのものだったのだと気づかされる。
信託が結ぶ最後のつながり
結局、信託の内容は無効と判断されたが、兄弟たちは財産を等分することで合意した。
紙切れではなく、最後に人と人とが信じ合えたことが救いだった。
「信じる」ことが、時には最大の贈与になる──そんなことを思った夏の午後だった。