登記相談に訪れた老人
午前の陽がまだ窓際に差し込むころ、くたびれた帽子をかぶった老人がふらりと事務所に現れた。手には分厚い封筒と、黄ばんだ登記簿の写し。シンドウが応対する間もなく、老人は言った。「この土地、わしの名になっとらんのです」
聞けば、30年以上前に購入した土地なのに、未だに登記が完了していないのだという。いや、正確には一度も「正式に」自分の名義になったことがないらしい。
古びた書類と揺れる手
封筒の中から出てきたのは、ワープロ打ちされた売買契約書と、昭和の空気を纏った仮登記の申請書だった。すべてが正当な取引に見えるが、肝心の本登記がない。
手の震える老人の指先が、何かを訴えるように書類の角をなぞっていた。シンドウは直感的に、この案件には表面に見えない“何か”があると感じた。
所有権の所在が不明な理由
現在の登記簿には、すでに存在しない法人の名前が記載されていた。解散も合併もされていない、いわば「失踪した法人」だ。
サトウさんがぽつりと呟いた。「この法人、過去に脱税で捜査対象になってますね。表に出てないけど」 司法書士の世界も、たまに裏社会の影を覗くことがある。
消えた登記簿の履歴
登記簿の閲覧履歴を取り寄せたところ、不自然な白紙の期間が存在していた。謄本の取得記録にもその間だけ空白がある。
まるで、誰かがその記録だけを“意図的に”なかったことにしているかのようだった。思い出すのは、小学生のころサザエさんの家族会議でタラちゃんが「しらないですぅ」と逃げた場面。あのときの波平の顔に、今の自分が似ている気がしてならなかった。
記録の空白期間に何があったのか
法務局の職員は、「たまにありますよ。地番変更で記録が飛ぶことが」と曖昧な返事をする。だが地番変更の記録すら見つからない。
何かがおかしい。サトウさんがさらに調査を進めると、ちょうどその時期に、近隣一帯の土地で仮登記から本登記への移行が集中して行われていたことが判明した。
前所有者の不可解な転出届
さらに調べると、仮登記された当時の所有者が、突如転出していることがわかった。しかも、その後の行方は不明。転出届に記された住所は存在しない場所だった。
「やれやれ、、、まるで怪盗キッドの変装みたいに、足取りが見事に消されてるな」シンドウは無意識に口に出してしまった。
サトウさんの冷静な分析
その日の午後、サトウさんは書類の山を片付けながら、さらっと言った。「この人、本当は名義人じゃないかもしれません」
「は? じゃあ誰なんだよ?」と聞き返すと、彼女は淡々とした口調で説明を始めた。まるでコナン君が「真実はいつもひとつ」と言うかのような顔で。
過去の登記記録と不一致の指摘
昭和の終わりに行われた仮登記の記録と、現在の公図に微妙なズレがある。地番が一つずれていたのだ。
つまり、老人が「自分の土地」と信じていた場所は、実は隣の土地だった可能性がある。これは大問題である。
役所の担当者とのすれ違い
市役所に連絡を取ると、担当者はまるで他人事のように対応した。「古い地番のミスですかね? よくあることです」と笑っていた。
だが、そういった“よくある”ミスのせいで、一人の人間の人生が狂うのだ。誰も笑って済ませられるはずがない。
行方不明の地役権者
さらに問題が発覚する。隣接地との間に設定されていた地役権の名義人が、なんと行方不明になっていたのだ。
地役権は登記の足かせになる。それが解除できなければ、正規の登記は完了しない。この地役権者が鍵を握っていた。
行政書士との接点
古い資料の中に、地役権設定の委任状が見つかる。そこには、当時の行政書士の名前があった。
連絡を取ると、その行政書士はすでに引退していたが、「ああ、あれねぇ……何か変な依頼だったのは覚えてるよ」と意味深な言葉を残した。
二年前の取引と謎の空白
シンドウがさらに調査を進めると、二年前にこの土地が「何者かによって」売却されていた痕跡が出てきた。
しかしその登記はなされておらず、書類の整合性も取れない。何かが闇に葬られていた。
遺された手帳の記述
老人の持っていた封筒の底に、小さな手帳が隠されていた。ページをめくると、細かい字で「マルサに追われてる」とあった。
それはかつての所有者が記した最後の言葉だった。シンドウはその筆跡に、奇妙な哀愁を感じた。
見慣れぬ地番と記号の羅列
手帳にはいくつかの地番と、謎の記号が並んでいた。「MZ1」「TRK3」など、どれも登記とは無関係に見えるが……
サトウさんはすぐに気づいた。「これ、昔の工業用地の内部コードですよ」まるで名探偵のような即答だった。
裏ページに残された名前
裏表紙の内側には、薄く鉛筆書きで「オガワ シュン」と記されていた。調べると、20年前に破産した人物だった。
その人物の名前は、過去の地役権者とも一致する。すべてがつながり始めた。
地元金融機関の動き
金融機関から、過去に仮抵当権が設定されていた記録が見つかる。だが、それは「失効済み」とされていた。
なぜ抵当権が抹消されたのか。その経緯に重大な問題が潜んでいた。
謎の抵当権抹消手続き
抹消には登記識別情報が必要だ。しかし、登記簿にはその手続きが見当たらない。
「たぶん、偽造された可能性があります」と、サトウさんがまた静かに言う。その目は、どこか戦っているようだった。
金融マンの記憶の証言
過去の担当者を探し出すと、「たしかに押印した覚えはない」と明言された。つまり、何者かが勝手に抹消を進めたのだ。
登記簿の中の“事実”が、すでに虚構となっていたのだ。
事件の結末とその後
すべての情報が揃い、シンドウは関係各所に申出を行い、訂正登記と地役権の抹消を進めた。最終的に、老人の土地は正式に彼の名義になった。
「ふぅ……なんとか片付いたな」シンドウは背伸びをしながらつぶやいた。「やれやれ、、、司法書士って、やっぱり探偵だよな」
登記簿の真実が示したもの
記録はただの文字列だが、そこには人の人生が刻まれている。嘘があれば、誰かが傷つく。
だからこそ、シンドウは地味でも手を抜かず、一つ一つを丁寧に読み解いていく。
老人の涙と土地の未来
帰り際、老人がぽろりと涙をこぼした。「あんたに頼んでよかったよ」 その言葉が、今日一日の疲れを吹き飛ばした。
サトウさんはと言えば、「じゃあ、私は先に上がります」と言い残して事務所を後にした。背中に「塩対応」の二文字が輝いて見えた。