法務局に来なかった男
午後三時の沈黙
法務局の待合スペースには、静かな時間が流れていた。申請窓口の番号札が無機質に数字を刻んでいく。
約束の時間はとうに過ぎていたが、依頼人の姿は見えない。
シンドウは椅子に腰かけ、腕時計を何度もちらりと見ては、ため息をついた。
サトウさんの冷たい一言
「連絡、ありませんね。ドタキャンでしょうか」
サトウさんはスマホを見ながら、感情のこもらない口調で言った。
その塩対応っぷりが、妙に事件の幕開けを告げているようで、シンドウは背筋に冷たいものを感じた。
登記申請書の空欄
彼が持っていた事前記入済みの登記申請書には、一カ所だけぽっかりと空欄が残されていた。
地番の記載がなかったのだ。通常、司法書士なら書き漏らすはずがない項目である。
「これは、、、わざとか?」とシンドウはぼそりとつぶやいた。
男の足取りをたどって
携帯番号にかけてもつながらない。
前日に送られてきたメールに記されていた住所を頼りに、シンドウとサトウさんは車を出した。
「なんで我々が探偵みたいな真似をしなきゃならないんですかね」とシンドウがこぼすと、サトウさんは即座に「暇だからでしょ」と返した。
閉庁間際の窓口で
法務局に戻ったのは、閉庁5分前だった。
不審な点を職員に尋ねると、ある物件に対して同日午前中に別の人間から登記申請が出されていたことが判明した。
「二重登記か、、、いや、それを利用したトラップかもしれん」とシンドウはつぶやく。
古い嘱託の記録
過去の申請履歴をたどると、今は亡き地主の名前が浮かび上がった。
遺産分割協議書のコピーが微妙に修正されており、筆跡が違う箇所がある。
「これは、、、ゴルゴ13じゃなくても気づくわ」とシンドウが呟いたが、サトウさんは無言で無視した。
元野球部の勘が働く
一瞬の違和感が、昔の直感を呼び起こした。
「土地の筆界、この記載はおかしい。図面がズレてる」
高校時代、守備位置のミスを見抜くセンスだけは定評があったことを思い出し、シンドウは勝手に感慨に浸った。
公図の片隅に残された手がかり
公図を拡大コピーした紙の片隅に、鉛筆で書かれたメモがあった。
「B所有分筆予定、急げ」と書かれている。
それが依頼人の動機と結びついた瞬間、パズルのピースがすべて揃った。
たった一枚の固定資産評価証明書
机の中に残されていた固定資産評価証明書。
その日付は、登記申請予定日よりも前で、しかも不動産の持ち主が別人になっていた。
「やられたな、、、これは持ち逃げの準備だった」とシンドウはうなだれた。
サトウさんのひらめき
「司法書士を利用して、名義変更を合法的に通したかったんでしょうね。印鑑証明が偽物だったんです」
さらりと言い放つサトウさんに、シンドウは心の中でスタンディングオベーションを送った。
「やれやれ、、、俺より名探偵じゃないか」
行き違いか故意か
結局、依頼人は現れなかった。
警察に通報したことで事態は動き出し、実は他でも類似の虚偽登記が発覚していたことがわかった。
「これは計画的だな、、、完全に黒だ」とシンドウは確信した。
司法書士が見抜いた盲点
盲点は“登記識別情報”だった。
登記識別情報の通知を誤って旧住所に送らせるよう細工されていたことが判明した。
シンドウはそのミスを逆手に取り、追跡の糸口をつかんだのだった。
やれやれ、、、また一日が終わった
「結局、今日は登記ひとつも完了してませんけど?」
サトウさんの冷ややかな声に、シンドウは小さくうなずいた。
やれやれ、、、今日もまた、普通の一日とはいかなかったようだ。
男が来なかった本当の理由
数日後、依頼人は別件の詐欺容疑で逮捕された。
法務局での待ち合わせは、シンドウを巻き込むための芝居の一環だった。
「最初から誰も来る気なんてなかったんだよな、、、」と、シンドウはコーヒーをすすった。
その後の名義変更
被害者の申請補正を行い、ようやく正当な名義人へと登記が完了した。
書類を提出する際、サトウさんが一言「無駄足じゃなかったですね」と言った。
それが唯一の救いだった。