ただの雑談が心を救う日もある
「やれやれ、、、また今日も登記完了通知が3通届いただけで一日が終わるのか。」
夕暮れの事務所に、一人つぶやく俺。司法書士・進藤(しんどう)45歳、独身。最近は誰かの雑談を聞いている時だけ、心が少しだけほぐれる気がする。だが今日は、その“誰か”すら来てくれなかった。
サトウさんの沈黙
「サトウさん、今日は静かですね」
頭の切れる事務員のサトウさん。いつもはコナンばりに推理を展開して俺の忘れ物を指摘する名助手だが、今日は黙々とキーボードを打っている。
「あら、先生。静かなのがお嫌いですか?」
口角だけで笑ってそう言うサトウさん。まるでキャッツアイの来生瞳だ。
雑談が恋しくなる午後
午後3時。静寂が嫌になり、なんでもいいから話しかけようとした俺は、ふと目に入ったチラシを手に取った。
「サトウさん、これ知ってます?近所のスーパー、火曜市で玉ねぎ1袋88円らしいですよ」
「あら、先生。料理なさるんですか?」
「いや、まあ、、、カレーくらいは」
どうでもいい会話。だがそれだけで、なんとなく事務所の空気が変わった気がした。
誰かと話すことで救われることがある
「昔ね、父が言ってました。『雑談ができる人は、心が健康な証拠だ』って」
「へえ、いい言葉ですね」
「先生が今日、雑談をしたがったってことは、心のどこかで誰かに話したかったんじゃないですか?」
言われてみればそうだ。今日、なんとなくしんどかった。理由なんてわからない。ただ、声が欲しかった。
かつての野球部員だった俺
雑談といえば、学生時代の部室。野球部の連中と他愛ない話をしていた日々を思い出す。
あの時は、サザエさんの波平ばりに説教してくる先輩もいたが、根はみんな優しかった。
会話の中に、誰かに認められているような安心感があった。
事件のようで事件でない日常
「そういえば、昨日登記の申請で謎の誤字がありましたよ。差出人が“怪盗K”になってました」
「……それ、完全に誰かの悪戯ですね」
「怪盗キッドに憧れている司法書士さんがいたら面白いのに」
「いたら即免許取り消しですね」
笑った。久しぶりに声を出して笑った。
そして心が少し軽くなった
「先生、雑談って探偵の聞き込みと一緒ですよ」
「ほう?」
「なんでもない会話の中に、本当の問題や気持ちが隠れているんです」
なるほど。探偵の嗅覚か。俺にも少しは備わってるかもしれない。
やれやれ、、、の本当の意味
「やれやれ、、、雑談一つでこんなに救われるとはな」
椅子にもたれて天井を見上げた。今日という日は、事件が起きたわけでもない、裁判所から連絡が来たわけでもない。
でも、心の中に起きた“変化”は、確かに大きかった。
雑談という名の小さな奇跡
「明日もまた、雑談しましょうね。怪盗Kの続報をお待ちしてます」
「じゃあ、次は名探偵Sの事件簿にでもしますか」
「……それ、私のことですか?」
事務所に小さな笑い声が響いた。事件も裁判もない静かな午後。それでも確かに、ここには“救い”があった。