朝の電話と不穏な依頼
朝一番、古びた電話のベルが鳴った。受話器を取ると、聞き慣れない男性の低い声が、やや抑えたトーンで言った。「司法書士の先生ですか?ちょっと、社内トラブルで相談がありまして」
こちとら昨日からの申請書類の山を前に頭を抱えていたというのに、朝からこれだ。だが声に漂う焦りのようなものが気になり、断ることができなかった。
「場所は都内の某所で、旧来からの取締役会がありまして……その中で、どうも妙なことが起きているんです」
古いビルに響いた内線の音
依頼人との約束場所は、戦後の香りを色濃く残すビルの一室だった。蛍光灯の明かりも頼りなく、内線電話の音だけがやけにクリアに響いていた。すでに時代から取り残されたようなその空間に、逆に妙な緊張感があった。
受付嬢のような女性が「おかけになってお待ちください」と言ったが、まるでこの場所そのものが“待たされている”ような気がした。
議題に上がっているのは「代表取締役交代の決議」だと言う。だが、何かが隠されている気がしてならなかった。
社外監査役の不可解な口ぶり
小部屋に案内され、そこで会ったのは社外監査役を名乗る男だった。髪は乱れており、ネクタイも歪んでいる。何よりその目が泳いでいた。
「私は、この会社に長く関わっていますが……今回の議事録に、どうも違和感があるのです。司法書士の目で、見ていただけませんか?」
その口ぶりには、真実を語っていない人間特有の“溜め”があった。やれやれ、、、まためんどくさいのに首を突っ込んでしまった気がした。
サトウさんの不機嫌な分析
事務所に戻ってから、議事録と関係書類をサトウさんに渡した。塩対応でおなじみの彼女は、「また面倒な書類ですね」と言いながらも、目は鋭く書類を貫いていた。
「これ、社判が押されてませんよ。しかも同じ筆跡で複数の役員の署名が書かれてる」
あまりの速さに、こっちはまだ書類の束をひっくり返している段階だった。
議事録の行間に潜む違和感
日付、議題、出席者、決議内容。一見正しく記載されているようだが、何かが変だった。決議事項が明らかに急ぎ過ぎているのだ。
「社長交代なんて、一週間で承認が降りるもんですかね?通常なら、数ヶ月はかかる話です」
サトウさんが資料をポンと机に叩きつけた。「このスピード感、何か裏がありますよ」
消えた一枚の委任状
出席者全員の委任状が揃っているはずのファイルから、なぜか一枚だけ抜けていた。しかも、それは現社長のものだった。
「社長の意思が記録されていない……って、これ実質クーデターじゃないですか」
サトウさんが呆れたように言ったが、こちらは焦りが先だった。もしこれが事実なら、登記に使う根拠が崩れる。
「これは改ざんされてますね」とサトウさん
「ほらここ、筆跡が不自然に震えてます」サトウさんが赤ペンでぐるぐると囲む。
その筆跡を拡大コピーして比較したところ、明らかに本人のものではなかった。元々うまくない文字だったが、それとは別の雑さがあった。
司法書士として、これは見過ごせないレベルの改ざんだった。
会議室の席順に潜む謎
再び依頼元の会議室を訪ねた。出席者が座っていたとされる位置を確認すると、妙なことに気づいた。
「椅子が一脚、多いですね」
案内係に尋ねても、「いつもそうでしたかねえ」と要領を得ない。だが、過去の写真と照らし合わせると、確かに普段は一脚少なかった。
録音記録が語る別の出席者
さらに、会議の録音データを入手して確認すると、名簿にない人間の声が紛れていた。
「……それでは、反対意見がないようですので、決議とします」
その声の主は、すでに退任したはずの前副社長だった。なぜ彼が会議に?
かつての野球部と現在の社長
この件の背後には、社長と副社長が学生時代に所属していた野球部の確執が関係していたことが判明した。
「まるでドカベンの最終巻みたいですね」とサトウさん。かつてのエースとキャッチャーの因縁が、いま取締役会で再燃したわけだ。
しかも、その遺恨が法の手続きを利用した復讐に変わっていたのだ。
意外な接点が見えた瞬間
サトウさんが調べて突き止めたのは、元副社長が自分の息のかかった人物を“影の取締役”として紛れ込ませていた事実だった。
その人物こそ、議事録にだけ記載された謎の署名の主だった。
すべてが繋がった時、少しだけ背筋が寒くなった。
サトウさんの仮説と決断
「今からなら、登記の差し止めは間に合います。私、書類作っておきますね」
サトウさんがそう言ってPCを叩き始めるとき、もう僕のやることはなかった。
やれやれ、、、こういう時、俺って何のためにいるんだろうなと思ってしまう。
冷静な推理が犯人を浮かび上がらせる
結果的に、社外監査役は元副社長と結託していた。証拠を揃えた書類を会社側に提出し、取締役会の決議は無効とされた。
録音、筆跡、委任状、席順の不自然さ――司法書士的には十分な“材料”だった。
法は、人の不正に静かにブレーキをかける。ただし、気づく者がいればの話だ。
真相の開示と社内の崩壊
数日後、社内の派閥は崩壊し、現社長は辞任した。元副社長は表舞台に戻ることはなかった。
でも、どこかの誰かがまた新しい椅子を持ち込むだけなのかもしれない。そんな空虚さがあった。
「この手の問題、きっとまた来ますよ」とサトウさん。確かに。
一通の書簡が運命を変える
最後に、現社長から直筆の謝罪文が届いた。「あなたがいなければ、この会社は法に殺されていた」
それを読んでも、達成感より疲労感が勝った。コーヒーの苦味だけが救いだった。
やっぱり、サザエさんのエンディングのように、すべて元通りってわけにはいかないな。
後日談と静かな雨の午後
雨がぽつぽつと事務所の窓を叩いていた。サトウさんは黙ってPCを打ち続けている。
「司法書士って、面倒ですね」
そんな言葉に、「ほんとにな」と苦笑いを返す。傘の忘れ物が目についたが、今日は差さなくてもよさそうな気がした。
コーヒー片手にサトウさんが言ったこと
「でも、あなたじゃなきゃ、この事件は解決しなかったでしょうね」
一瞬、えっ?と顔を見ると、彼女はカップを口に当てたままこちらを見なかった。
……やれやれ、、、