心を無にして補正と向き合う

心を無にして補正と向き合う

心を無にして補正と向き合う日々に、何を思うのか

補正という言葉を聞いて、司法書士である私はまず「またか」と心の中でつぶやく。補正は、こちらのミスであれ、先方の意図が読めなかった結果であれ、やり直しには変わりない。淡々と、黙々と、何も考えずに修正を重ねる作業。だが、それが積もり積もれば、心がすり減るのも無理はない。正直なところ、心を無にして取り組まないとやっていられない。補正に向き合うことは、仕事の一部であると同時に、自分自身と向き合う孤独な時間でもある。

補正作業という無限ループの現実

補正は、終わりの見えないループのように感じる。提出しては戻され、再提出してはまた戻される。まるで終わりのないキャッチボール。しかも相手はボールを投げ返すたびに要求を変えてくる。補正の回数が増えるごとに、「自分は何を間違えたのか」よりも、「この仕事に終わりはあるのか」という問いが頭に浮かぶ。こういうループにハマると、だんだんと仕事の意味ややりがいさえ見えなくなる。

完璧を求められるけど、完璧ではない現場

「法務局は完璧を求めている。でもこっちは人間だ」と思う瞬間が何度もある。どんなに注意深く入力しても、記載例と同じように書いても、補正が返ってくることがある。「いや、そこまで言う?」と心の中で突っ込むことも。完璧なんてこの世にないと分かっているのに、司法書士の仕事ではそれを要求される。この矛盾に、ただただ疲弊してしまう。

「またやり直しですか?」と独り言をつぶやく日常

事務所のPC画面に、補正通知が表示されるたびに出る言葉。「またか…」。独り言が日常化している。事務員も最初は心配してくれたが、今では聞き流している。こんな時、誰かに「それ、理不尽だよね」とでも言ってもらえたら少しは楽になるかもしれない。でも実際は、誰にも聞こえない空間で、ひとりごとだけが響いている。

心を無にすることで得られる“逃げ場”

補正に対するストレスに潰されないようにするには、心を無にするしかない。無心で修正して、提出して、また戻ってきたら、再び無心でやる。そういうサイクルに自分を置くことで、感情が邪魔をしないようにしている。そうでもしないと、怒りや虚しさに引きずられて仕事が手につかなくなる。心を無にするのは逃げかもしれない。でも、この逃げ方は、今の私には必要な防衛手段だ。

思考停止がもたらす奇妙な安心感

人は時に「考えない」ことで救われる。補正作業もそうだ。間違い探しに一喜一憂していたら、きっと精神がもたない。だから私は、意識的に思考を止める。考えるな、ただ直せ。そうやって作業をこなすことで、自分の心を守っている。ふと、「これって修行かな?」と笑ってしまう瞬間もある。

感情を捨てたからこそ、こなせる作業がある

補正というのは、感情を交えたらやってられない種類の仕事だ。やるせなさ、悔しさ、時には怒り。そういった感情を抱えたままでは、効率が落ちるし、判断も鈍る。だからこそ、私は感情を捨てることにした。まるで無機質なロボットのように。ただ、それが“正しい”のかどうかは、今でも分からない。

他人からは見えない、補正のしんどさ

補正という仕事は、外からは見えにくい。だからこそ、評価されることも、理解されることも少ない。「細かい作業、お疲れさま」ぐらい言われたら奇跡。現実は、誰にも気づかれないまま、ひとりで静かに格闘している。これが続くと、「自分は必要とされてるのか?」なんて考え出してしまう。

「簡単な作業でしょう?」と言われる悔しさ

一度、他士業の方から「補正って、単なる修正でしょう?」と言われたことがある。その瞬間、喉の奥から何かが込み上げてきた。違うんだ、と叫びたかった。でも、その人に説明する気力も湧かず、苦笑いでごまかした。司法書士にしか分からない苦労。それを軽く言われると、自分の存在が薄くなるような気がしてしまう。

集中力を削る静かな戦い

補正は単純作業に見えて、実はかなり神経を使う。ひとつひとつの文字、表記、添付書類…どれも間違えればまた戻ってくる。集中していなければ見逃す。けれど、集中しすぎれば疲弊する。このバランスが難しい。だから「静かな戦い」なのだ。誰にも見えない、地味な闘いを、今日も淡々と続けている。

事務員との距離感と心のバランス

うちの事務所には、ひとりの事務員がいる。若くはないが、とてもよく気がつく人だ。ただ、私はつい愚痴をこぼしてしまうことがある。相手も人間。あまりに愚痴が多すぎると、空気が重くなるのが分かる。それでも誰かに話さないとやっていられない日もある。このバランス感覚が難しい。

愚痴を飲み込むか、漏らすかの境界線

「この愚痴、言っていいのかな…」と考える時間が増えた。言えばスッキリするかもしれないけど、事務所の空気が悪くなる。黙っていれば胃が痛くなる。この境界線をいつも迷っている。本音を言えば、誰かに聞いてほしい。けど、聞かせる相手がいない。だからつい、自分の中で押し込めてしまう。

頼ることに罪悪感を覚える性格

私は、人に頼るのが苦手だ。独立してからずっとそうだ。自分でやらなきゃ、自分が責任を取らなきゃ。そう思い続けてきた。だから、事務員に何かを頼むときにも、「これぐらい自分でやれよ」と自分にツッコミを入れてしまう。もっと肩の力を抜けばいいと頭では分かっていても、なかなかできない。

向き合う覚悟と、逃げたい気持ちの共存

補正に向き合うたび、「もう嫌だ」と思う自分と、「これが仕事だ」と言い聞かせる自分がいる。やめたい気持ちと、逃げられない覚悟。その間で揺れながら、それでも私は今日も机に向かう。司法書士としての誇りと、ただの弱い自分。その両方を抱えて、私は生きている。

辞めたくなる夜と、それでも辞めない朝

夜になると、「もう無理かもしれない」と思う。何のためにやってるんだろう、とベッドの中で考えてしまう。でも、朝になるとまた机に向かっている。惰性かもしれない。けど、それが自分の選んだ道だということも、どこかで理解している。この繰り返しの中に、小さな希望が隠れているのかもしれない。

「司法書士である自分」と「ただの人間」との乖離

周りからは、しっかりした司法書士だと思われている。でも実際は、悩んで、愚痴って、落ち込んで。人間らしさ全開だ。司法書士である前に、ひとりの人間としてどう在るか。そのバランスを取りながら、これからも私は「補正」と向き合っていくのだろう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。