登記簿が開く最後の扉
朝の依頼人は笑っていた
午前九時、事務所に訪れたのは五十代後半の男だった。無駄に丁寧な口調と、場違いなほど明るい笑顔。依頼は相続登記。亡くなった母の名義の土地建物を、自分名義にしたいという話だった。
だがその「笑顔」が、妙に芝居がかって見えたのが気になった。
調査の始まりは固定資産税の通知書
依頼書と共に渡された資料の中に、今年度分の固定資産税の納税通知書があった。宛名は依頼人の母。しかし、納税額が去年の倍近くに跳ね上がっている。
不審に思い役所で課税根拠を確認すると、土地が「更地」扱いになっていた。
役所の資料室にあった矛盾
住宅地図の更新日付が妙に新しかった。廃屋の取り壊し届が出されたらしい。しかし登記簿では、母の名義の建物がまだ残っている。壊されたのはいつ、誰の意志で?
役所の担当者は、届け出が依頼人の名前でなされたと明かした。
隣地との境界に眠る秘密
現地を訪れた。そこには見事に更地となった土地が広がっていた。サトウさんは測量図を手に、境界杭の位置をチェックしていた。
「これ、二メートルずれてますね。隣の家の塀が、明らかにこちらに食い込んでる」
やれやれ、、、また面倒なことになりそうだ。
古い家屋の謎を追って
取り壊し予定の空き家の過去
廃屋は十年以上無人だったという。近隣住民によれば、依頼人の母は晩年引きこもりがちで、最後は病院で亡くなったとのこと。
誰にも看取られず、誰にも引き継がれなかった家。だが、壊すにしては手続きが雑すぎる。
サトウさんの毒舌と推理
「こういうパターン、たいてい『誰かに都合が悪い』ってだけですよ。壊したのが先か、登記が後か。順番で分かります」
言いながら、サトウさんはPCで法務局の閉鎖登記簿を申請した。
彼女の推理は、いつも妙に的確だ。僕がドジ踏むの前提で組み立ててる気がする。
近隣住民の証言に潜む嘘
「確かに取り壊しのとき、息子さんが立ち会ってたと思いますよ」
近くの八百屋の老婆が、にこやかに答えた。でも、その「息子さん」が依頼人と同一人物とは限らない。
写真を見せると、「あれ?この人じゃなかったような……」と首を傾げた。
所有権移転の落とし穴
登記簿に残された改ざんの痕跡
閉鎖登記簿を見て、僕は目を疑った。建物の滅失登記が出された日付は、依頼人の母がまだ生存中の時期だった。
つまり、勝手に建物を壊して滅失登記を出したということだ。
遺産分割協議書に見えない誰か
提出された協議書には「相続人は一人」と書かれていた。だが戸籍を追うと、もう一人、長年所在不明の弟がいることが判明する。
しかもその弟には成年後見がついていた形跡すらある。なぜそれを隠した?
被相続人がもう一人いたという事実
正確には、「被相続人の子がもう一人いた」だ。所在不明だった弟は、十年前に家庭裁判所で失踪宣告を受けていた。
だが、だからといって相続権が消えるわけではない。依頼人はそれを知っていたはずだ。
真相は一枚の書類から
やれやれ何度目だよこういうのは
滅失登記の添付書類に不備があることを突き詰めていくと、工務店の作業報告書に捏造の疑いが出てきた。
工事の発注者名が、「依頼人」ではなく「不明」となっている。不明なはずがない。
この瞬間、すべてがつながった。
通帳と印鑑が語る死後の動き
家裁を通じて取得した後見人の報告書には、弟の通帳から不審な出金記録が残っていた。死後に大量の金が動いていたのだ。
印鑑も筆跡も別人のもの。僕はその証拠を、地元警察に提出した。
行方不明の弟と空白の二十年
結局、弟は生存していた。依頼人によって長年どこかの施設に匿われていたという。記憶の一部が曖昧で、自分が何者かも分からなくなっていた。
これが「家族」か。これが「相続」か。苦い気持ちを胸にしまった。
最後にシンドウが動くとき
司法書士としての仕事と覚悟
僕の仕事は、「登記」を通じて「事実」に形を与えることだ。だがその「事実」が歪められるとき、僕は戦わねばならない。
正直、泥臭いし報われない。でも誰かがやらないと。
嘘の上書きが終わる瞬間
依頼人は詐欺罪で逮捕された。弟には後見人が正式につき、遺産分割のやり直しが進められることになった。
登記簿も訂正された。全てが、正しく記録された。
真実と向き合うのは誰のためか
「この仕事、損ばっかですよね」
サトウさんがぼそりと言う。だがその目は、どこか誇らしげだった。
「やれやれ、、、ほんとにな」
僕は力なく笑いながら、次の案件ファイルを開いた。