事件の始まりは一通の電話から
更正登記の依頼が舞い込んだ
午前10時を少し過ぎたころ、電話が鳴った。受話器を取ると、女性の甲高い声が耳を打つ。「あの、登記の内容が間違ってるみたいなんです」。 間違い、というのはよくある話だが、電話口の女性はやけに必死だった。しかも登記済証があるという。これは少し、いや、だいぶ引っかかる。
更正登記申請書の違和感
形式は完璧なのに中身が薄い
届いた申請書は、形式的にはどこにも瑕疵がない。委任状、登記原因証明情報、添付書類、すべてそろっている。 だが読み進めると、どうにも薄っぺらい。まるでマンガの単行本の見開きみたいに、内容のほとんどが絵で、文字がないような印象だ。 そして、訂正の理由が曖昧だった。「住所の誤記」と書かれているが、管轄法務局が違うわけでもなく、ただ一文字の違いだけ。
サトウさんの冷静な指摘
登記簿より先に空気を読む女
「これは、虚偽申請の可能性があります」 横から口を挟んできたのは、例によって冷静沈着なサトウさんだった。椅子にもたれながら、お茶を飲みつつ、目は書類を射抜いている。 「そもそも、この日付の委任状って、本人確認が不自然です。あと、訂正すべきは住所じゃなく、もしかしたら、、、売主の名前かもしれませんよ」
誤記か故意か登記原因の謎
サザエさんの波平じゃないけど
「間違いは誰にでもあるのじゃ」とは波平さんの口癖だが、それは善意の世界での話だ。登記の世界における“間違い”はときに凶器になる。 住所の誤記と言い張っているが、そもそも“誤り”の方が正しい可能性もある。つまり、訂正されるべきでない箇所が“訂正”されてしまう危険があるのだ。 この段階で、これはただのミスではなく、“隠蔽”か“塗り替え”の匂いがしてきた。
やけに丁寧すぎる委任状
あまりに整いすぎた情報
提出された委任状は完璧だった。筆跡も丁寧で、印鑑も朱肉の濃さが理想的。だがそれが逆に不自然だ。 人は焦っているときに限って、文字がきれいになる。緊張感がにじむ。逆に、冷静すぎる委任状は、計算されすぎているように見える。 そして、実際に押印されたはずの印鑑証明書と照らし合わせてみると、印影にほんのわずかなズレがあった。
二重売買を疑う声
司法書士の脳裏をかすめる疑念
「この物件、もしかして売られてませんか? 二度」。 気づいたのはまたしてもサトウさんだった。法務局のオンライン情報から、不動産業者の動きが見えてきた。 2ヶ月前に所有権移転があったはずの物件が、現在の名義人とは別の人物の手で市場に出されているらしい。
登記簿に刻まれた本当の順番
ページの裏側を読む力
登記簿は正直だ。ただし、読み解くには訓練がいる。 登記原因日付、受付番号、登記完了日。その並び方が示しているのは、誰がいつ何をしようとしたかの痕跡だ。 今回の更正登記は、過去の所有権移転の直後に申請されていた。そして、その直後にまた別の移転が、、、。
名義人の行方と沈黙
当事者が語らない理由
電話で連絡を取った名義人は、曖昧な返答ばかりだった。「あれはちょっと事情がありまして」。 事情がある。それがすべてを意味していた。彼は一度売った物件を、再度他人に売ろうとしていたのだ。 だが、表向きは“誤記の訂正”。事実の塗り替えではないと言い張れる。そこが登記の怖さでもあり、面白さでもある。
更正登記の裏で起きた契約トラブル
書面には載らない争い
登記簿には現れないが、当事者間では売買契約のキャンセルをめぐってトラブルが発生していた。 それを“なかったこと”にするために、更正登記という手段が使われた。まるで時を巻き戻すかのように。 「こんなの、ルパンが使うトリックと変わらないじゃないですか」とサトウさんがつぶやいた。確かに。あれは怪盗レベルの細工だ。
やれやれ、、、また嘘の上塗りか
正すための登記がさらに曲げる
更正登記とは、登記簿の誤りを正すためのものだ。だがこの事案では、正すふりをして、逆に事実がねじ曲げられていた。 やれやれ、、、また面倒なものに巻き込まれてしまった。自分のうっかりも加わって、余計にややこしくなる。 しかし、気づいたからには、止めなければならない。それが司法書士の仕事だ。
昔の登記簿の写しに残る手がかり
過去は消せない
法務局の閉架資料室に保管されていた古い登記簿の写しには、いまの登記にはない一行があった。 「所有権移転 ○月○日 売買」――現登記では抹消されているこの一行が、真実を語っていた。 それを根拠に、再度の登記却下申出を準備する。
喫茶店で語られる不動産業者の過去
街は小さくて噂は早い
その業者、数年前にも似たようなトラブルを起こしていたらしい。 「サザエさんで言うなら、三河屋さんが勝手に家の冷蔵庫を開けたくらいの不自然さですね」 そう言いながら、サトウさんはミルクティーをかき混ぜていた。
真犯人が語った修正理由
嘘から出た誠のつもりだった
業者は認めた。「更正登記を使えば、バレずに済むと思った」。 でもバレた。そして、余計に問題は深くなった。 訂正の名を借りて、真実を上塗りしようとした罪は重い。
書類の修正と心の修正
記録に残るものと残らないもの
紙の上の訂正は容易だが、心の中の嘘はなかなか訂正できない。 誰かを騙すより、自分を正す方が難しい。 司法書士の仕事は、そこに触れられる最後の砦かもしれない。
それでも登記は真実を記録するのか
登記簿の強さと脆さ
登記は、事実を“証明”するものではない。ただ“公示”するだけだ。 だからこそ、真実に近づこうとする努力を怠ってはならない。 たとえそれが、一文字の訂正であったとしても――。