朝一番の来客
その日は朝から曇り空で、事務所の空気も重たかった。ようやくコーヒーの香りが漂い出したころ、入口のチャイムが乾いた音を立てた。現れたのは、黒いスーツに身を包んだ中年の男だった。
「予約はしてないんですが…」と言って差し出された名刺は、見覚えのない不動産会社のものだった。こういう場合、大抵はトラブルを抱えている。
見慣れないスーツの男
男は無表情のまま、机に封筒を置いた。中から取り出されたのは、登記識別情報通知書。しかも、明らかに古い様式だった。差出人も受取人も記されておらず、どこからどうやってこれが手元に来たのか、不明な点ばかりだ。
「これ、貸金庫の中にあったんです」と男は言った。貸金庫。その言葉に、眠っていた記憶がうっすらと顔を出す。
貸金庫の話を持ち出されたとき
過去の相続案件で、貸金庫に何かが残されていたことがあった。ただし、それは被相続人名義のものであり、今回のように他人名義の識別情報が出てくるのは異常だった。まるで、『怪盗キッド』がわざとトリックを仕掛けたかのような話だ。
「誰の貸金庫だったんですか?」と尋ねると、男は一瞬だけ黙り、次に「叔父のものです」と言った。
開かれた封筒
封筒の紙は黄ばみ、古さを感じさせた。封が切られた痕跡はなく、まるで長年そこに封印されていたかのようだった。これが偶然に見つかったのだとすれば、それはあまりにも都合が良すぎる。
だが、それよりも気になるのは、なぜこれが登記識別情報だったのかという点だ。
登記識別情報という単語
登記識別情報とは、不動産の所有権を第三者に証明するための情報である。なくしてしまえば不正登記のリスクも上がるし、慎重に取り扱うのが普通だ。だが、それが貸金庫に、誰にも知られず眠っていたのだ。
しかも所有者は既に死亡しており、相続登記も完了していない。おかしい。
なぜそれがそこにあったのか
不自然な点が多すぎる。「そもそも、その叔父さんの登記識別情報がどうして貸金庫に?」という質問に、男は「そこまでは…」と濁した。明らかに何かを隠している。
こういう時、だいたい裏には“誰かの思惑”がある。やれやれ、、、また面倒な案件の匂いだ。
依頼人の矛盾
申請書類を確認していると、ふと違和感が走る。記載された印鑑が、識別情報に残された印影と微妙に異なるのだ。しかも、氏名の漢字が一文字だけ旧字体だった。
「これ、本当におじさまのもので間違いないんですね?」と念押しすると、男は「ああ、間違いないです」と答えるが、目はどこか泳いでいた。
氏名と印鑑が一致しない
登記に使う印鑑は基本的に統一されているはずだ。だが今回は、どの書類にもわずかなズレがあった。これは、偽造か、あるいは他人の情報を利用した可能性が高い。
そんなことをして、何の得になるのか。ここに“登記簿”があるということが、逆に罠なのかもしれない。
登記申請書の違和感
登記申請書に添付された住民票の写しも確認すると、そこに記された住所がなんと、現在は更地になっている場所だった。つまり、誰も住んでいない。
ここにきて、ますます依頼人の正体が怪しくなる。
サトウさんの冷たい一言
昼休憩のとき、サトウさんにその話をすると、彼女は素っ気なくパソコンを打ちながら言った。「登記簿の住所、グーグルマップで見ましたけど…空き地ですね」
「やっぱりか」とは思ったが、その声にはどこか安心と苛立ちが混ざっていた。
あの人の住所は存在しません
さらに調べたところ、貸金庫の契約者と登記識別情報の名義人は別人である可能性が出てきた。つまり、誰かが意図的に登記識別情報を仕込み、そこへ誘導したのだ。
これは偶然ではない。完全に作為がある。
登記簿と現実のずれ
昔の登記簿には住所変更の履歴が記録されていないこともある。だが、今回は違う。誰かが、旧情報を利用し、現実とずらすことで“真実のような虚構”を作ろうとしていた。
『名探偵コナン』ならここで蘭が飛び蹴りするシーンだが、こちらは司法書士だ。物証を積むしかない。
金庫に預けたのは誰か
貸金庫の契約記録を調べると、なんと登記識別情報を所有していた名義人本人ではなかった。むしろ、その人の元同僚であり、10年前にトラブルで会社を辞めた人物だった。
この時点で、計画性を感じざるを得ない。
遺産ではない不自然な預かり物
遺産としてならば、遺言や相続人の同意が必要になる。しかし、今回の封筒は“遺された”というより“仕込まれた”という印象を受けた。
証明できるならば、これは詐欺だ。
旧姓で残された封筒
識別情報に記された名前は、現在の戸籍では存在しない旧姓だった。これは、わざと古い情報を使うことで、調査をかく乱しようとした痕跡と見てよい。
詐欺にしては手が込んでいる。もしかすると、もっと大きな意図があるのかもしれない。
ひとつの通帳から繋がる線
男が何気なく出した通帳に記された“振込先”が、過去に失踪した人物と一致していた。その人物は登記識別情報の本来の持ち主の元婚約者だった。
ここにきて、人間関係が一気に繋がり始めた。
謎の振込と仮登記の関係
確認したところ、その振込の直後に、仮登記がなされていた。つまり、金を払ってまで何かを確保しようとした意図が見えてきた。仮登記の内容は“所有権移転請求権保全”だった。
財産の移動。やはり目的はそれだ。
真犯人は司法書士を知っていた
貸金庫の謎を追ううちに、過去の登記書類に不審な司法書士の名前が見つかった。廃業しているが、その補助者として登録されていた名前が、現在の依頼人と一致した。
つまり、彼はこの制度を知っていた。知らなければ、こんなに巧妙に罠は張れない。
名前の使いまわし
彼は過去に複数の偽名で登記情報に関与していた疑いがある。すべてを調査するには時間がかかるが、状況証拠はそろっていた。
警察に相談すれば、次の一手は早いだろう。
同姓同名の罠
最後の決め手は、彼が利用していた“同姓同名の故人”の存在だった。まるで“サザエさん”の波平が急に双子だったと明かされるような唐突さに、脱力するしかなかった。
だがそれが、全体のパズルの鍵になったのだった。
決定的な証拠
貸金庫の使用記録と、防犯カメラの映像。そこには、依頼人が封筒を入れる様子がはっきりと残っていた。これで“偶然発見”という言い訳は使えない。
すべての嘘が崩れる瞬間だった。
時系列で崩れたアリバイ
提出された書類と貸金庫の利用日時にズレがあった。その数分の差が、決定的な証拠になった。やはり、真実は細部に宿る。
『金田一少年』なら「ジッチャンの名にかけて」って叫ぶところだが、こちらは淡々と記録を揃えるだけだ。
貸金庫の利用履歴
履歴は過去5年間保存されており、その中に依頼人が複数回出入りしていたことが記録されていた。しかも、相続発覚以前にも訪問していた。
この点から、彼の行動は計画的だったと証明された。
やれやれの一件
こうして一連の“貸金庫の中の登記識別情報”事件は、警察の手に委ねられることとなった。私は書類のコピーを綴じ直し、伸びをする。
やれやれ、、、今日もまた、書類の山に戻るしかない。
登記識別情報は語らない
紙切れ一枚の登記識別情報が、これだけの騒動を生むのだから恐ろしい。だが、それはただの紙。語るのはいつも、人間の方だ。
そしてその人間が、物語を複雑にしていく。
サトウさんの視線が痛い
「で、次の登記申請は終わったんですか?」と、サトウさんが冷たく言った。完全に忘れていた。これがあるから、推理より日常が怖い。
私は頭をかきながら、小さくつぶやく。「やれやれ、、、」