雨の朝に持ち込まれた依頼
朝からしとしとと雨が降っていた。事務所の窓に打ちつける雨音をBGMに、俺は昨日の書類の山を前にしてため息をついていた。そんなとき、ドアが軋むような音を立てて開いた。
入ってきたのは中年の女性。手には分厚いファイルを抱えていて、顔には明らかに不安と疲れが滲んでいた。俺の目の前に座ると、彼女はおずおずとそのファイルを差し出した。
古びたファイルと怯えた依頼人
ファイルの中には、昭和時代の土地の登記簿の写しや、手書きのメモ、そして一通の遺言書が入っていた。女性の話では、その土地は祖父から引き継いだもので、最近になって第三者の名義で登記されていたという。
「誰かが勝手に名義を変えたんです」と、彼女は声を震わせて言った。俺は書類を手に取り、ページをめくった。その瞬間、妙な違和感が背筋を這い上がってきた。
登記簿の中の違和感
一見、問題なさそうに見える登記内容。しかし、昭和六十三年の日付に記された職権による抹消登記が、どうにも引っかかった。理由欄が空欄のままで処理されていたのだ。
登記の世界では、形式がすべてを支配する。だからこそ、理由の空欄は異常だった。これは、何かが意図的に隠されている証拠かもしれない。
消えた所有者の謎
依頼人の祖父は十年以上前に亡くなっていた。その後、相続登記がされておらず、放置されていた土地。それが、最近になって「誰か」の名義に変わったという。
名義人の名前には見覚えがなかった。住所も東京のどこかのワンルームマンションになっていた。だが、なぜか嫌な既視感があった。
誰も知らない所有者
ネットで名義人の住所を調べると、そこは郵便受けに大量の名前が書かれた雑居ビルだった。つまり、実態のないペーパーカンパニーのようなものだ。
不動産登記にありがちな名義貸しの臭いがした。俺はさらに調査を進めるべく、法務局に出向いて原本を閲覧することにした。
過去の登記に潜む不自然な空白
原本を見て、俺は確信した。あの抹消登記は、後からこっそり「手が加えられた」痕跡があった。押印の位置や、登記官の署名に違和感がある。つまり、改ざんされていた。
昭和の終わりに、何者かがこの土地を消した。正式な登記の世界から、まるでこの世に存在しなかったかのように。
サトウさんの冷静な推理
俺が事務所に戻ると、サトウさんは黙々と書類をスキャンしていた。「この登記、最初から相続登記されてなかったみたいですね」と、こちらが何も言わないうちに言い当てた。
さすがに鋭い。俺は内心舌を巻いたが、顔には出さず「ああ、そうかもな」とごまかした。
職権登記に紛れた矛盾
サトウさんはパソコン画面を見つめながら、手を止めずに言った。「そもそも職権抹消って、当時そこまで頻繁に使われてないですよ。しかも理由が空欄なんて…」
登記簿の不備というより、誰かの意図的な操作だった。それを可能にするのは誰か。答えは、あまりにも明白だった。
古い地図が語るもの
彼女が棚から引っ張り出してきたのは、昔の都市計画図だった。その中に、件の土地は「公園予定地」としてマークされていた。つまり、登記簿から消された理由は——公的な事情、あるいは口利きだ。
そのあたりから、「サザエさんの波平の友人が市役所の幹部だった」みたいな、よくある話が現実味を帯びてきた。
シンドウの現地調査
俺は意を決して現地に向かった。雨は止んでいたが、足元のぬかるみはひどかった。雑草に覆われた土地の奥に、石碑のようなものが見えた。
近づくと、それは「寄贈記念碑」だった。名前には、依頼人の祖父のフルネームが刻まれていた。
野球部時代の知人が鍵を握る
昔の野球部仲間に、市役所の都市整備課に勤めていたやつがいたのを思い出し、連絡をとった。すると、彼は言った。「あの土地、うちが勝手に使ってたんだよ。もう誰も気にしないと思って」
やれやれ、、、こっちは毎日登記簿とにらめっこしてるんだ。忘れられた土地にも、ちゃんとルールはあるんだよ。
雑草に埋もれた石碑
碑の前に立ち、俺は静かに手を合わせた。依頼人の祖父が、自分の土地を地域のために提供した事実。それを「なかったこと」にした者たち。
俺は必ず、この土地を登記簿に戻してみせると誓った。
浮かび上がる不正登記の痕跡
再調査の結果、当時の登記官がすでに退官していたことがわかった。だが、登記簿にはその人物の筆跡がはっきり残っていた。つまり、個人的な「忖度」だった可能性がある。
依頼人にその経緯を伝えると、彼女は涙を浮かべながら「祖父が誤解されずに済んでよかった」と呟いた。
司法書士ならではの視点
登記という仕組みは、無機質な制度に見えて、実は人の営みが詰まっている。今回のような話は、その端々に表れる人間臭さの証明だ。
俺たち司法書士の仕事は、そこにこそ意味がある。
真実に近づくにつれて増す危機感
一方で、今回の件が明るみに出れば、市にとっても痛手になる。その証拠に、役所から「これ以上は調べない方がいい」と暗に圧力がかかった。
だが、俺は止まらなかった。誰かがやらなきゃ、登記簿は嘘で塗り固められるからだ。
ついに現れた黒幕
名義人の正体は、都市整備の元幹部だった。彼は退職前に、いくつかの空き地を親族名義で囲い込んでいた。今回の土地もその一つだった。
調査結果を記者に渡し、報道されると、彼は「記憶にない」と繰り返した。都合の悪い記憶は、都合よく消えるらしい。
意外な人物の登場
調査の途中で現れたのは、かつて依頼人の祖父と地域活動をしていた老人だった。彼の証言が決定打となった。「あの土地は寄付じゃなく、あくまで貸しだったんです」と。
つまり、名義が祖父のままだったのは当然で、抹消されたことこそが不正だったのだ。
目的は何だったのか
彼らの目的は単純だった。都市整備予算を確保するための方便として、所有者不明土地を演出し、都合の良いように使っただけ。それが、ひとりの家族の人生を歪めた。
法は万能じゃない。でも、少なくとも事実を戻す力はある。俺はそう信じている。
結末の先にある後味
土地の名義は正式に祖父の名前に戻された。依頼人は、墓前で報告をしたという。「これで安心して眠ってもらえる」と。
登記簿にまた一つ、真実が書き加えられた瞬間だった。
依頼人の本当の想い
帰り際、依頼人は深々と頭を下げた。そして言った。「登記簿って、ただの記録じゃないんですね。家族の歴史なんですね」
その言葉に、少しだけ報われた気がした。
シンドウのため息とサトウさんの一言
俺が「やれやれ、、、またやっかいなことになるかと思った」とこぼすと、サトウさんは無表情に言った。「最初からそうなると分かってましたよ。うっかりさん」
まったくもって、彼女には敵わない。でもまあ、今回もなんとかなった。俺の人生は、そんな繰り返しだ。