終わりが見えない毎日に溜まっていく疲れ
「もう今日で一区切りかな」と思っても、明日には別の書類の確認依頼、補正の連絡、新たな案件が容赦なく押し寄せる。地方の小さな司法書士事務所で、事務員と二人三脚でやっていると、波がなく仕事が途切れないのはある意味ありがたいことだと思わなきゃいけないんだろう。でも、本音を言えば、どこまでやれば合格点なのかがわからないこの毎日が、じわじわと心を削ってくる。学生時代、野球部では「ここまで走れ」と明確なラインがあった。でも今は、誰も「ここまでやれば大丈夫」とは言ってくれない。
完了してもまた次の案件が待っている
登記申請を出して、受理された瞬間の「やっと終わった」というあの小さな達成感。そのすぐ後に、机の上に置かれた次の資料の束が目に入る。まるでゴールテープを切った直後に、もう一つ別のマラソンが始まるような感覚だ。終わりのないマラソン。ゴールインしても、誰も拍手もしてくれないし、自分で水を飲んで、自分で次のスタートを切る。こんな働き方でいいのかと、時々遠くを見つめたくなる。
書類を出せば終わりと思っていたあの頃
資格を取る前、書類を作って出せば仕事は完了すると思っていた。でも実際には、その後の問い合わせ対応、補正、完了後の引き渡し、報告書の作成と、どれもが「最後の一仕事」と呼べるほど重い。書類の山の中には、時間が経つにつれてどれが先でどれが急ぎかも曖昧になる。正確さとスピード、両方を求められるこの仕事で、「自分なりに頑張ってる」と思っても、誰かが「それが正解」と言ってくれることはない。
ゴールが動く感覚に翻弄される
法務局の対応が変わる。依頼人の希望が後出しで増える。行政の解釈が微妙にずれる。そのたびに「ゴール」が動く。こっちはバットを構えてたはずなのに、いつの間にかラケットが必要になってた、みたいな感覚だ。常にルールブックを読み直しながらやる仕事。でもルールが昨日と違っていることもある。そんな世界で「正解」を探すのは、もはや幻想なのかもしれない。
「正解」を求めること自体が間違いなのか
ふとした瞬間に思う。「このやり方でいいのか?」「もっと効率のいい方法があるんじゃないか?」と。だけど、正解がない仕事に、模範解答を求めること自体が無理なのかもしれない。それでも、やっぱり迷う。誰かに「あなたのやり方、間違ってないよ」と言ってほしい。でもそれを言ってくれる人はいないし、結局は自分で自分を納得させていくしかないのがこの仕事なんだ。
依頼人の満足と登記の正確性の板挟み
依頼人は「早く」「安く」「簡単に」済ませたい。一方で我々司法書士は「正確に」「法的に安全に」「時間をかけて」やりたい。このギャップの中で、常に板挟みになっている。相手が喜ぶときは、こっちが苦労しているとき。こっちが楽だったときは、大体あとでクレームが来る。この不等号がいつまでも釣り合わないのは、やっぱりどこかに「正解」がないからなんだろうか。
自分の基準がどんどん曖昧になっていく
最初は「ここまでやれば十分」という自分なりの基準があった。でも数年経つと、そのラインが揺らぐ。「前はここまでやったから、今回も」「他の司法書士ならもっとやるかも」「事務員に頼むのは気が引ける」……そんな自問自答の果てに、結局自分が全部抱えるようになっていく。疲れていても、弱音を吐かずにやりきる癖がついた。元野球部だからかもしれない。でも今は、その根性論がちょっと苦しい。
忙しいのに孤独 愚痴を言う相手もいない
「忙しいんです」と言えば「儲かってていいですね」と言われ、「暇です」と言えば「先行き不安ですね」と言われる。結局どんな状況でも気楽には愚痴れない。SNSでも本音を出せないし、地元の司法書士会でも腹を割って話すような雰囲気ではない。気づけば、話し相手はパソコンと書類と、時々ちょっと雑談に付き合ってくれる事務員さんだけになっていた。
事務員さんは味方だけど友達じゃない
今の事務員さんは本当にできた人で、僕の愚痴にも黙ってうなずいてくれる。でも、年も離れているし、あくまで「職場の人」。一緒に飲みに行くでもなく、深い話をするでもなく。かといって、気軽に何でも話せる男友達も年々減っていく。そういう意味では、職場の孤独って、物理的なものじゃなくて、心理的な距離のことなんだと思う。
同業者との会話はどこか壁がある
他の司法書士との集まりでは、なぜか「うまくやってる風」の会話が多い。「今月は何件くらい?」とか「オンライン申請もう慣れた?」とか。聞かれたくないことばかり聞かれるし、こっちもつい見栄を張ってしまう。誰かが「正直しんどいよね」と言ってくれたら、救われるのに。たぶん、みんな同じように壁をつくって、弱音をこぼせずにいるんだと思う。
独身司法書士の静かな夜
仕事が終わって、事務所の電気を消して帰宅しても、家には誰もいない。テレビの音が虚しく響く部屋で、なんとなくコンビニ弁当を食べる。気楽と言えば気楽だが、「今日の自分を誰かに話したい」と思う夜もある。誰かに「それでよかったんだよ」と言ってもらえるだけで、気持ちは違ってくるんだけどな、と思いながら、結局また翌朝も時間通りに事務所へ向かう。
この仕事に正解がないなら何があるのか
もしこの仕事に正解がないなら、あるのは「納得」だけなのかもしれない。依頼人との関係、成果物の出来、自分の働き方、そのすべてに「自分なりの納得」を見つける。誰も評価してくれなくても、せめて自分だけは自分を認めてあげる。それが今の僕の、やっとたどり着いた答えのような気がしている。