登記申請に舞い込んだ違和感
それは、梅雨明け直後のじめじめした午後だった。法務局から届いた補正通知の封筒を見た瞬間、嫌な汗が背中をつたった。書類の封を切ると、中にはいつもと変わらない書式、だがそこに記された名前に目が止まった。
その名前は、過去に担当したある相続登記の申請者だった。だが、彼は確かもう……死んでいたはずだ。思い違いか? いや、そんなはずはない。あのときの葬儀は、確かに出席していた。
奇妙な補正通知の記載
補正理由には、簡素に「添付書類の不足」とあったが、それだけではなかった。申請者の印鑑証明書の日付が現在のものだったのだ。死人がどうやって証明書を取得したのか。まるで怪奇探偵小説のような展開に、軽く目まいがした。
なにかの間違いか、偽造か。それとも俺が記憶違いをしているのか。さすがにサザエさんみたいなドジじゃあるまいし……と心の中で自分にツッコミを入れてみたが、笑えなかった。
申請者の名前に見覚えがある理由
机の引き出しから、古いファイルを引っ張り出して確認した。やはり、数年前の相続登記の申請人は、間違いなく同姓同名で、死亡診断書も添付されていた。印影も酷似している。
普通なら、ここで「おかしいですねぇ」と、どこぞのメガネ小僧探偵のように眉をひそめる場面だが、こちらはただの司法書士。事件が起きたら警察に連絡するしかない立場だ。
サトウさんの冷静な指摘
「あの、それ……どう見ても偽造ですよね」
隣の席から、氷のように冷静な声が飛んできた。サトウさんだ。29歳の事務員で、俺の十倍しっかりしている。塩対応だが、仕事に関しては抜け目がない。
訂正内容の矛盾点
「委任状も添付されていませんし、補正内容もずれてます。しかも申請人の現住所、今は更地ですよ。数か月前に取り壊されてます」
なるほど……となれば、誰かが死亡した申請人になりすまして、何らかの登記を進めようとしている。だとしたら、その目的は一つ、名義の移転だ。
添付書類の不在に気づいた瞬間
原本還付請求の記載もなければ、登記事項証明書も添付されていない。明らかに、何かを隠している書類の流れ方だ。だが、こんな稚拙なやり方で本当に通ると思ったのか。
あるいは、提出した相手が“素人の司法書士”であれば、誤魔化せると考えたか……。やれやれ、、、甘く見られたもんだ。
過去の案件と一致する筆跡
ファイルから古い遺言書のコピーを引っ張り出し、今回の申請書と並べてみる。筆跡鑑定のプロではないが、素人目にも同一人物の筆致ではないことは明らかだった。
どちらが本物かはさておき、少なくともこの補正通知にまつわる申請は、嘘で塗り固められている。
数年前の遺言書との酷似
気になったのは、今回の物件が、数年前の遺言で指定されていた不動産そのものだったことだ。あのとき相続人の一人が妙に不満そうだった顔を、今でも思い出せる。
もしかすると——いや、これはまだ仮説に過ぎない。確証がない限り、警察も動かない。だが、登記のプロとして、黙って見過ごすわけにはいかない。
名義変更をめぐる争いの記憶
当時、異議を唱えていた従兄弟がいた。連絡先をメモしていたはず、と机を探すと、黄色く変色した名刺が出てきた。番号は……まだ有効だ。
さっそく電話をかけると、思ったよりあっさりと話が進んだ。「実は、あの土地を譲ってくれという話が最近あって……」と、彼は口を開いた。
法務局への問い合わせと沈黙
こちらの調査結果を簡潔にまとめ、法務局に連絡した。対応した職員は、明らかに何かを知っているような、ぎこちない受け答えをした。
「……その申請については、こちらでも注意していたところです」
一瞬の沈黙ののちにそう続けた彼の声には、妙な重みがあった。どうやら、俺だけがこの事件に気づいたわけではないようだ。
職員の含みのある返答
法務局の内部でも、この申請には不審を抱いていたのだろう。裏を返せば、似たような事例が他にもある可能性があるということだ。
とはいえ、俺ができるのはここまで。あとは専門の捜査機関に任せるしかない。妙なところで火の粉をかぶって、免許を危うくするのはごめんだ。
調査が導いた真相
数日後、従兄弟から連絡が入った。「警察に相談したよ。あの書類、やっぱり偽造だったって」
偽の印鑑証明も、偽の委任状も、彼が雇ったという男によってでっち上げられたものだった。動機は単純、土地の相場が高騰していたから。
既に死亡していた申請人
登記申請人はとっくにこの世を去っていた。問題は、その死を利用して第三者が金を得ようとしたことにある。
一歩間違えば、実際に登記が完了し、被害は取り返しのつかないことになっていただろう。ふと、自分のうっかり癖が、逆に慎重な確認を生んだことに苦笑した。
偽造された委任状と印鑑証明
提出された書類はすべて偽造。だが、偽造にしては粗すぎた。サトウさん曰く、「ルパン三世だったら、もう少し上手にやる」らしい。たしかに……あの男なら、もっとエレガントにやっただろう。
司法書士人生で初めての“事件”らしい事件。疲れたが、少しだけ達成感があった。
やれやれ事件は片付いたが
事務所に戻ると、また新しい登記の依頼が山積みになっていた。やれやれ、、、平和は一瞬だったらしい。
コーヒーを淹れて、パソコンを立ち上げる。サトウさんはもう次の案件に取りかかっている。あいかわらず、無駄のない所作だ。
外ではセミが鳴いている。司法書士ってのは、つくづく地味な職業だ。だが今日だけは、少しだけ名探偵気分を味わってもいいだろう。