登記簿に映る鏡像

登記簿に映る鏡像

依頼人は鏡を見ていた

午前中の陽が差し込む事務所に、彼は現れた。黒いスーツに真っ白なシャツ、顔は整っているが目に生気がない。手に握られていたのは、古びた登記済証だった。

「この土地、私のものじゃないんです」と彼は言った。ならばなぜ、その証明書を手に?――そんな疑問が頭をよぎる。どうせまた、揉めごとだろう。

「やれやれ、、、」と呟いた自分に気づき、隣のサトウさんと目が合う。無言の冷たい視線。それ以上の会話は不要だった。

午前9時、事務所のチャイム

いつもより一時間早く鳴ったチャイムの音が、この一日の波乱を告げていた。依頼人の名前は井手誠。亡くなった父から土地を相続したはずだったが、なぜか登記上は自分が「すでに所有者」になっていると言う。

「まだ相続登記なんてしていません、なのに、私の名義になってるんです」井手は震える声で言った。これは、法的にあり得ない話だった。

念のために登記簿を確認する。そこに記されていたのは、確かに彼の名前だった。登記原因は「贈与」。その日付は、父親が亡くなる3ヶ月前。

冷たい視線と古びた権利証

「これ、父が残したんです。『いざというとき開けろ』って」差し出された封筒の中にあったのは、昭和時代の古い契約書と、印影の不明瞭な実印の写し。

登記の事実と、依頼人の言う“知らぬ間に名義が移っていた”という主張。このギャップを埋める何かが、きっとある。問題はそれが“誰かの意図”によるものかどうかだ。

サザエさんで言えば、波平さんが波野家の権利書を勝手に花沢不動産に渡していたようなもの。意図か事故か、どちらにしても問題は根深い。

登記簿が語る別の顔

土地の来歴を調べていくと、ある一筆が気になった。十数年前に所有権移転された形跡があり、その登記も「贈与」と記されていた。だがその際の登記原因証明情報は非常にあいまいだった。

司法書士として、こういう時にこそ「登記簿の行間を読む」必要がある。誰が、いつ、何のために“整えた”のか。そこに真実は宿る。

それにしても、最近こういう贈与絡みの話が増えてきた。相続を避けたい思惑か、それとも、、、?

表題部に潜む違和感

表題部の記載にも、奇妙な点があった。建物の用途が「住宅」ではなく「物置」となっていたのだ。しかし、井手が見せてきた現地写真には、明らかに二階建ての居住家屋が写っていた。

これはいわゆる「未登記建物」ではないか? いや、それにしては住所と地番が妙に一致している。誰かが意図的に、登記を避けたのか。

サトウさんが無言で頷く。目がキラリと光る。これは間違いなく、彼女の推理モード突入のサインだ。

登記原因に隠された過去

「登記原因の欄に、やたらと“贈与”が出てきますね」とサトウさんが指摘した。確かに、通常なら売買や相続が多いところ、なぜかこの土地に限って“贈与”ばかり。

それはつまり、“書類さえ揃えれば形にできる”登記原因を使い回しているということ。過去に誰かが、この土地を使って“何か”をしていた可能性が高い。

俺たちは登記簿の表面しか見ていない。だが、本当に見るべきは“書かれていない部分”だ。

元所有者の影

登記簿を遡っていくと、意外な名前が出てきた。井手の母親の旧姓での登記が一時的にされていたのだ。そしてその後、父に所有権が戻っている。

つまり、何らかの家庭内事情で形式的な名義移転があったということになる。さらにその間に、地元の不動産屋が間に入っている記録も残っていた。

まるで、劇場型犯罪のような入れ替えだ。顔を隠した怪盗が、巧みに書類の仮面をかぶせていくように。

昭和の契約書が語るもの

古い契約書には、手書きでこう書かれていた。「私の死後、この土地は誠に譲渡する」。だがそれには日付も証人もなかった。つまり、法的効力がない。

ではなぜ、その記述を元に登記がなされたのか? 誰かがそれを“正当な資料”として法務局に提出し、通ってしまったのだろうか。

これはもはや、司法書士の仕事というより、探偵の仕事だ。とはいえ、どこかで聞いたようなセリフだな。「書類の中に真実はある」――そう、まるで怪盗キッドのライバルみたいな気分だ。

サトウさんの静かな推理

「法務局に問い合わせてみます」とサトウさん。彼女が動けば、たいていの謎は解ける。それが分かっていても、自分で動かないのが俺の悪いクセだ。

電話の向こうの担当官が、意外なことを口にした。「その登記、訂正の申し出が出てますよ」。なんと、つい最近になって“誤登記”として訂正が進んでいたのだ。

依頼人はそれを知らずにやってきたのか? それとも、知っていて演技をしているのか?

法務局の一言でつながった点

「申出人の名前、出せませんが、、、関係者でしょうね」と法務局。そこでようやく、全てがつながった。訂正を申し出たのは、井手の兄だった。

生前の父は、兄に土地を譲るつもりだった。しかし何らかのミスで弟の名義に。兄はそれを知り、正そうとした――だがそのことを弟には告げていなかった。

結果、弟は誤って所有者にされていたことを不安に感じ、我々を訪ねてきたというわけだ。

亡き妻の真実

話がまとまりかけたそのとき、井手がポツリと呟いた。「この家、妻と建てたんです」それは初耳だった。写真に写っていた家は、確かに新しすぎた。

亡き妻が生前に残した設計図、銀行との住宅ローン、そしてそれを裏付ける未登記建物。すべてが繋がったとき、彼の目に一筋の涙が浮かんでいた。

その涙は、ただの登記ミスがもたらしたものではなかった。愛と記憶の居場所を守るための涙だった。

未登記建物と幽霊の噂

「この家、夜になると妻の声が聞こえるんです」井手は笑った。いや、泣いていたのかもしれない。「怖いけど、嫌じゃないんです」と。

未登記建物は、法の世界では“存在しない”ものとされる。しかし彼にとってそれは、確かに存在していた。そこに住んでいた時間も、想いも。

サトウさんがぼそっと言う。「法律って、冷たいですね」。俺はうなずく。だが、だからこそ我々はその“冷たさ”に意味を与える仕事をしているのかもしれない。

やれやれ、、、またか

事件は解決した。訂正登記の件も、兄との話し合いで決着がついた。だが俺のデスクには、また新たな登記簿と相談票が積まれている。

「やれやれ、、、」と椅子にもたれる。結局、俺の仕事は終わらないらしい。いや、それが俺の役目なんだろう。

サザエさんのエンディングのように、今日もまた、いつもの一日が繰り返されるのだ。

決着は古アパートの階段下

数日後、井手からハガキが届いた。そこにはこう書かれていた。「兄と話せました。あの家に、もう一度暮らしてみようと思います」。

写真も添えられていた。そこには、妻と並んで建てた家の前で、井手が一人、笑って立っていた。後ろには、古いアパートの階段が写っていた。

そこが彼の原点であり、今の場所でもあるのだろう。登記簿には書かれない、人生の“記録”がそこにあった。

誰もが持つ裏の顔

人は皆、登記簿のように“表の顔”を持っている。だがその裏には、誰にも見せたくない過去や事情がある。

司法書士の仕事は、ただの手続きではない。その裏にある物語を感じ取り、必要とあらばそっと背中を押すことだ。

今日もまた、静かに事務所の扉が開く。次の「物語」が、始まろうとしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓