朝のコーヒーと一本の電話
朝のコーヒーをすすっていると、電話が鳴った。依頼人は女性の声で、共有名義の不動産について相談したいという。眠気まなこでメモを取りながら、登記簿の世界は今日も波乱の予感がした。
「ちょっと気になる点がありまして……」その言葉が、平穏な一日を打ち砕く予告編になった。
やれやれ、、、また厄介な匂いがする。
共有名義の登記相談
依頼内容はシンプルなはずだった。婚約者と共同で購入した家があり、その人が急死。遺族との間でトラブルになっているという。だが、登記簿を見ると不可解な点がいくつかあった。
たとえば、名義は確かに二人。しかし、それぞれの持分割合が妙に不自然で、一般的なカップルの共有ではなかった。
「登記は嘘をつかない」とは言うが、書かれていることが真実とは限らないのだ。
サトウさんの眉間のシワ
「これは、おかしいですね」とサトウさんがぽつりとつぶやいた。彼女の眉間にシワが寄るときは、何かが引っかかっている証拠だ。僕がまだぼんやりしているうちに、彼女はすでに核心に迫っている。
「そもそも、この持分の比率。贈与か借入れが絡んでないと説明がつきません」
僕はうなずきながらも、頭の中では夕飯の冷凍餃子の数を数えていた。
登記簿に潜む違和感
改めて登記簿を眺めてみると、確かに不可解な点が多い。死んだ婚約者と依頼人は、ほぼ同時期に登記した形跡があるが、前後関係が妙だ。
まるでどちらかが無理やり割り込んだような印象すらある。
そんなとき、ふと僕の頭に浮かんだのは、磯野家の家系図のような複雑な人間関係だった。
愛の証か財産分与か
「本当に愛だったんですかね」サトウさんが言った。「登記簿に名前を並べただけで、それが愛の証になるなら、法務局は恋人たちの聖地ですよ」
たしかにそのとおりだ。共有名義は、冷静に考えればリスクの塊だ。特に関係が終わったあと、その存在が呪いのように残る。
依頼人の表情にも、どこか言い訳めいた不安がにじんでいた。
婚約者の死と遺言書
遺言書が見つかった。だが、内容が中途半端だった。財産の配分が明確でなく、しかも日付が登記後なのに、「名義は私の意志ではなかった」と書かれている。
誰かに強要されたのか?それとも、意図的な偽造か?
手がかりはある。しかし、真実は依頼人の口からは語られなかった。
恋人は二人いた
サトウさんが古いSNSのキャッシュデータを漁り、ある投稿を見つけた。「あの婚約者、他にも交際相手がいたみたいです」
写真には、もう一人の女性と写る姿。しかも、その女性の名前もどこかで見覚えがあった。
「あ、この人…所有権保存の補正書に名前があった」とサトウさんが指差す。恋人と共有名義者が別人?
合同名義の恐ろしさ
どうやら、真の共有者は依頼人ではなかった。死亡した男性が、もう一人の女性に贈与登記を進めていた最中、依頼人が何らかの手段で名義を奪い取った可能性が出てきた。
すべては「愛の証」などではなく、所有権をめぐる奪い合いだったのだ。
やれやれ、、、恋愛よりややこしいのは登記と感情の絡まり方だ。
現地調査と残された鍵
僕らはその物件に赴いた。ポストには差出人不明の封筒、玄関には誰も知らない合鍵。
「これは依頼人じゃない方の女性の物じゃないですか?」とサトウさん。
恋愛劇場は第三幕まであったようだ。誰が本当に住んでいたのかも、曖昧になっていった。
サトウさんの冷静な視線
「結局この依頼人、所有者になることで“過去”を手に入れたつもりだったのかもしれませんね」
冷めた声が、真実を突き刺す。僕には到底できない冷静な洞察。
僕はただ、ラーメン屋のポイントカードを見て、「今日無料かも」とつぶやくのが精いっぱいだった。
隠された名義変更の痕跡
登記記録の中に、不自然な抹消申請が見つかった。どうやら依頼人は過去に自らの名義を一度外していたらしい。
それがなぜまた復活しているのか?どうやら申請書類が偽造されていた可能性も出てきた。
そして、その直後に婚約者は亡くなっている。偶然か、計画か。
真の共有者は誰か
物理的な登記の共有者と、精神的なつながりのある相手。それはまったく別の存在だった。
最終的に、真の「共有者」は、彼の意思を最後まで信じていなかった依頼人ではない。
すべてを受け入れていたもう一人の女性だったのだ。
司法書士が告げる真実
「この共有名義は、法的にも倫理的にも破綻してます」僕は依頼人にそう告げた。
彼女は黙ったまま、ただ手元の遺言書を見つめていた。真実を語ることはなかったが、理解はしたようだった。
登記の修正が終われば、この物件に依存する人間関係は、文字どおり帳消しになる。
所有者の嘘と遺された想い
「名前を並べることが愛だと思ってた」そう彼女はつぶやいた。
だが、それは嘘の上に築かれた砂上の楼閣だった。書類に印を押すだけでは、人の心はつなぎとめられない。
司法書士である僕の仕事は、心の整理まではできない。あくまで、法の世界の整理整頓だ。
最後の印鑑と封筒の中身
ポストの封筒の中には、亡くなった男性が依頼人宛に出そうとしていた手紙があった。
そこには、謝罪とともに「名義は本来違う人にすべきだった」との言葉。
サトウさんが静かに目を伏せた。僕はただ、小さく「そうか」とつぶやいた。
愛よりも重かった証明
印鑑が押されたその登記簿には、法的な重みと、感情の重みが同時にのしかかっていた。
共有された嘘。それがこの事件の真相だった。
しかし、誰も責めることはできない。嘘もまた、人を守るための仮面なのだから。
サトウさんの一言で締めくくる
「シンドウさん、こういう恋愛、してみたいですか?」とサトウさんが聞いてきた。
「やめてくれ。俺の共有名義なんて、野球部のユニフォームだけで充分だ」
笑いもせず、サトウさんは書類を閉じた。こうしてまた、月曜日が始まる。
そしてまた月曜日が始まる
事務所の窓から見える空は、やけに青かった。
今日も登記と、少しの人間ドラマが僕を待っている。
やれやれ、、、司法書士に休みはないらしい。