幸せそうな人の笑顔が刺さる日もある

幸せそうな人の笑顔が刺さる日もある

なぜ他人の幸せがつらく感じるのか

幸せそうな人を見て、心から「よかったね」と思える日ばかりではありません。とくに、自分が何かに行き詰まっていたり、心が疲れているときほど、他人の笑顔や充実した様子が逆に胸に刺さります。頭では「比較しても仕方ない」と分かっていても、感情が先に反応してしまうことは誰にでもあると思うんです。僕自身、朝から登記の書類に追われ、昼も食べられないような日、SNSで家族旅行や結婚報告の投稿を見かけると、つい目をそらしてしまいます。「ああ、自分は何をしているんだろう」と。そんな瞬間が、たまにではなく定期的に訪れるのが正直なところです。

比べたくないのに比べてしまう心のクセ

比べるつもりなんて、ないんです。むしろ「自分は自分、人は人」と思っているつもりなのに、いつの間にか心の中で点数をつけてしまう。僕は司法書士として一人事務所を運営していますが、忙しさや責任の重さはなかなか外には伝わりません。なのに、世間の「普通」に合わせて、結婚して子どもがいて、休日は家族で笑い合っているような姿を見かけると、勝手に自分を採点して、負けたような気持ちになるんです。まるで勝負してるつもりはないのに、勝手に敗北感だけが押し寄せてくる。なんでこう、損な性格なんだろうって、自分でも思います。

あの人はうまくいっているのにの落とし穴

誰かの順調そうな姿を見るたびに、「あの人はうまくいってるのに、なんで自分は…」と考えてしまう癖があるんだと思います。でも実際、その人だっていろんな事情を抱えているかもしれないし、表に見えるものがすべてじゃない。わかっているのに、落とし穴にはまるように、何度も何度もその思考に引き込まれてしまうんです。特に、相続登記や会社設立の依頼が立て込んで精神的にきついとき、そんな思考が暴走する。成功している同業者のブログを読んで、「なんであの人はあんなに順調なんだろう」と考えてしまった日、ふと鏡を見て、「いや、でも自分は自分の仕事をしてる」と言い聞かせたこともありました。

無意識に自分を下げてしまう癖との向き合い方

自分を責めることに慣れすぎると、それが日常になってしまう怖さがあります。「あの人に比べて自分は…」と考えるたびに、ちょっとずつ自己評価が削れていく。でも、そこから抜け出すためには、「比べている」ことにまず気づくことが大切だと、最近思うようになりました。僕はそれに気づいてから、あえて一歩引いて、自分のしてきた仕事や、お客様からの「ありがとう」に目を向けるようにしています。たとえ小さな一言でも、「この人の役に立てた」という実感が、自分をちょっとずつ救ってくれる気がします。自分で自分のことをちゃんと認める、それが第一歩なのかもしれません。

SNSが心に与える影響と疲労

正直、SNSは便利だけど、心のコンディションが整っていないときには毒になります。見たくないのに開いてしまう、そして誰かの幸せな投稿に撃沈する。僕も一時期、フォローしていた友人や同業者の投稿を見るのがしんどくて、こっそりミュートしたことがあります。なんだか自分が情けなく感じたけれど、それで少し気持ちが楽になったのも事実です。人の生活は一枚の写真じゃわからないのに、なぜかその写真に全部詰まっているように思えてしまう。疲れているときほど、そういう錯覚に陥りやすいのかもしれません。

写真一枚で心がざわつく日

たった一枚の、子どもと公園で遊ぶ写真。旅行先で微笑む夫婦。僕はその写真を見た瞬間、なぜか胸がギュッと締めつけられたことがあります。別にその人を妬んでいるわけじゃないし、むしろ「幸せそうでいいな」と思えるはずなのに、なぜか涙が出そうになった。そんな日は、パソコンの画面を見るのもしんどくて、仕事がまったく手につかなかった。結局、その日一日ずっと気分が重くて、コンビニで適当に買った弁当を食べながら、「こんなつらさ、誰に話せばいいんだろう」と思った記憶があります。

自分の軸を見失わないためのちょっとした工夫

だから僕は最近、朝一番にその日の「自分にしかできなかったこと」をメモするようにしています。「相続の相談で笑顔になってもらえた」「急ぎの登記を間に合わせた」なんでもいいんです。小さな達成でも、自分の価値を思い出すには十分。SNSの投稿は他人のハイライトシーンだけれど、自分の仕事は地味でも着実に誰かを支えている。その事実に意識を向けるようにしたら、心のざわつきが少しずつ減ってきました。他人の幸せを否定せず、自分の小さな誇りをちゃんと認めること、それが今の僕の工夫です。

司法書士という仕事と孤独感

一人で事務所をやっていると、ふとした瞬間に孤独を感じることがあります。お客さんとの会話はあるけれど、それはあくまで業務上のやりとり。誰かに本音を話せるわけではありません。事務員さんはいるけれど、忙しそうな姿を見ると、こちらも気を遣ってしまう。そんな中で、他人の幸せな日常を見ると、自分だけが取り残されたような感覚に陥るんです。たとえば年末年始、どこも休みでにぎわっているとき、こっちは会社設立の登記対応に追われていたりする。自分の生活が誰のカレンダーとも噛み合っていないような感覚。笑っている人たちが遠く感じる日もあるんです。

感謝される仕事なのに心が満たされない理由

司法書士の仕事は人の役に立つことが多く、感謝されることも少なくありません。でも、だからといって心が満たされるかというと、そうでもない日もあるんです。依頼が終われば関係も終わることが多いし、報酬が振り込まれても、「それで何かが満たされる」わけではない。僕は一度、お客様から手書きの手紙をもらって涙が出たことがあります。感謝されるって、報酬以上に心に響く。でも、その余韻は長く続かない。また次の業務、また次の書類。日々は回っていくけど、どこか心が置いてけぼりになってるような感覚になるんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓