朝の静けさを破る一本の電話
朝のコーヒーに口をつけた瞬間、事務所の電話が鳴った。受話器の向こうで、年配の女性が怯えた声で話し始める。「亡くなった父の土地が、知らない人の名義になっているんです」
やれやれ、、、今日も穏やかな一日にはならなそうだ。机の上の書類を横に寄せ、俺は電話をしっかり握り直した。
司法書士とは、事件を解決する仕事ではない。でも、時に記録の裏に隠れた真実を掘り起こす役目もある。
依頼内容は「とある空き家の名義変更」
話を整理すると、依頼人の父が亡くなった後、空き家の名義が別人に変わっていたという。しかもその人物とは面識がないというのだ。
登記情報提供サービスで調べると、確かに現在の所有者は見覚えのない名前。だが、登記の手続き自体は一見、法的に整っていた。
サトウさんが横目で「面倒なやつですね」と呟いた。俺は深く頷きつつ、早速現地調査の段取りを決めた。
現地確認と不自然な表札
現地に到着すると、古びた木造の空き家に「山田」の表札がかかっていた。だが登記上の所有者は「田山」だった。
普通の人なら見過ごすかもしれない。だが司法書士は漢字の違いに敏感だ。これはただの誤記か、それとも意図的か。
雑草が伸び放題の庭を抜け、俺は玄関の前で足を止めた。まるで誰かに見られているような気配がした。
名義人の存在が記録と一致しない
市役所で固定資産課の台帳と照合すると、「山田信一」という名前は存在したが、5年前に死亡していた。
しかし、登記簿では「田山信一」名義で今年の春に所有権が移転している。しかも司法書士の立ち会い付きで。
「この司法書士、記録には残ってますけど、知らない名前です」とサトウさん。彼女の目が鋭く光った。
サトウさんの冷静な推察
「印鑑証明書は、本物っぽいですが…日付が古すぎます。これは、別の登記から流用した可能性が高いです」
サトウさんはパソコンを操作しながら、過去の登記データを照合し始めた。画面の中で、別の物件の名義変更書類が浮かび上がる。
そこに使われていた印鑑証明と、今回のものが一致していた。つまり、偽造ではなく流用。これは逆に足がつく。
登記簿の筆跡に違和感あり
俺は過去の登記申請書の写しをプリントし、ルーペでじっと眺めた。筆跡がわずかに違っていた。
書類上の「信」の文字の払いが、本物は跳ねていない。だが今回の申請書では跳ねていた。誰かが真似して書いたのだ。
「怪盗キッドかよ」と、思わず呟いた。サトウさんには聞こえなかったようで、幸いだった。
元所有者の足取りを追う
俺は元の所有者「山田信一」について、住民票の除票を辿った。すると、最後の住所が老人ホームだった。
その施設に問い合わせると、彼には身寄りがなく、亡くなる直前までボランティアの青年が出入りしていたという。
「その青年の名前、覚えてますか?」と尋ねると、施設長が答えた。「確か……田山、だったかな」
過去の売買契約書に潜む謎
その後、古い不動産会社の押し入れからホコリまみれの売買契約書が見つかった。そこに記された署名は明らかに異なる筆跡だった。
しかも印鑑が潰れており、印鑑証明書の照合が不可能だった。これは、明らかに何かを隠そうとした形跡がある。
「これ、警察に持っていけば?」というサトウさんに、俺は頷いた。だが、まだ決定打が欲しかった。
司法書士のうっかりとひらめき
事務所に戻る道中、コンビニで飲み物を買った。そのレジ横で見かけた「名前の漢字占い」雑誌を手に取った瞬間、電流が走った。
「信」の字の書き方――これは本当に微細だが、癖がある。しかも今回の書類には、他にも一文字、妙な癖がある。
司法書士にとって、筆跡と印鑑は命。俺は過去の登記ファイルを引っ張り出した。
旧姓のまま登記された記録
探し出した資料の中に、一件だけ「田山信一」として登記されている古い物件があった。
その後「山田」に改姓されたが、改名登記はなされていなかった。この一件を悪用したのだ。
つまり、田山信一と山田信一は同一人物。ただし、改名の痕跡を知らない者には見抜けない。
「やれやれ、、、」とつぶやきつつも前進
「やれやれ、、、こんな複雑な改名パズル、サザエさんの家系図並みにややこしいな」
そう言いつつも、確信を掴んだ俺は、登記に関与した司法書士の名前を調査した。
そして、その人物が3年前に業務停止処分を受けていたことを突き止めた。つまり偽名だ。
旧地主の息子からの証言
さらに、空き家の近所で聞き込みを続けていたサトウさんが、決定的な証言を持ち帰ってきた。
「2ヶ月前に、あの家に若い男がスーツで出入りしてました。近所の人は“先生”って呼んでたそうです」
つまり、ニセ司法書士は堂々と現地で手続きをした。これは逆に証拠になる。
複数存在する登記簿の謎
法務局にて閉鎖登記簿も含めて精査すると、田山名義の登記が複数存在していた。うち1件は取り下げられていた。
おそらく手続きミスか、もしくは偽造に気づかれての中止。だが、そこに同一人物の印鑑が使われていた。
「これで完全にクロですね」とサトウさんが言う。俺も深く頷いた。
二重登記と詐欺の可能性
同じ物件に対して、異なる所有者を装い名義変更を繰り返していた。完全な詐欺事件である。
しかも、税務署に提出された相続税の申告書には偽名が使われていたことも判明した。
これは、司法書士の範疇を超えた犯罪。警察に通報するしかない。
ついに動く警察と逮捕劇
その日の午後、警察がニセ司法書士の事務所を家宅捜索した。大量の印鑑証明書と空の契約書が押収された。
ニュースでは「司法書士風の男」と報じられていたが、俺にはそれが何より腹立たしかった。
我々の信用が、こういう奴らに汚されるのだ。
司法書士としての役割を超えて
本来なら俺の仕事は、法的な整合性を確認するまでだ。しかし、今回はそうもいかなかった。
登記の裏に隠された意図を読み解く――それが俺の仕事であり、俺の誇りでもある。
サトウさんが少しだけ口元を緩めた。それで十分だった。
解決後の事務所でのひととき
「ところでシンドウ先生、今朝のコーヒー……机の上に置いたまま冷えてましたよ」
「……うっかりしてた」と笑う俺に、サトウさんは呆れ顔でファイルを閉じた。
その瞬間、事務所のドアが再び開いた。次の依頼人だ。
サトウさんの一言が刺さる
「さ、次の謎、いってみましょうか。名探偵司法書士さん」
皮肉混じりのその一言が、妙に胸に残った。俺は小さく頷いて、パソコンを開いた。
やれやれ、、、まだまだ終わりそうにないな。
登記簿は語る人の記憶と嘘
紙の記録は嘘をつかない。しかし、それを使う人間は嘘を重ねる。
登記簿とは、ただの証明書ではない。人間の欲望と記憶が交錯するミステリーの入り口だ。
そして俺は、今日もまた、その迷路に足を踏み入れる。
明日もまた新たな依頼が待つ
明日もきっと、誰かが扉を叩く。そのとき俺は、冷めたコーヒーを片手に「やれやれ、、、」とつぶやくだろう。
だが、それでいい。俺は、司法書士だから。
物語の裏に隠された、もうひとつの真実を読み解くために。