依頼は唐突にやってきた
八月の蒸し暑さに蝉の声が重なる午後、私は扇風機の前で魂を半分失っていた。そんなとき、事務所の扉が重たく開き、ひとりの年配の女性が入ってきた。目元に深い皺を刻んだその顔は、何かを諦めた者の静かな決意に満ちていた。
古びた一軒家と一通の封筒
彼女が差し出した封筒には、古びた一軒家の登記事項証明書と手書きのメモが入っていた。「この家を調べてほしい」とのことだったが、具体的な目的は口にしなかった。だが、司法書士としての経験が、これがただの調査ではないと私に告げていた。
依頼人の表情に隠されたもの
話を進めるにつれ、彼女の視線が時折宙を彷徨うことに気づいた。あの家には何かある、それは確信に近かった。私はそのまま受任のサインをし、サトウさんに「例のやつ、頼む」とだけ告げた。すると彼女は、冷ややかな目で「はい」とだけ返してきた。
調査の糸口は登記簿に
手元の登記簿謄本をじっと見つめる。最初の違和感は、名義の移転回数が妙に多いことだった。築四十年の家にしては異常だ。しかも、住所変更も含めて妙に頻繁だ。
所有者履歴に残る不審な名義変更
ある時期から、短期間で名義がコロコロ変わっていた。まるで誰かが意図的に所有権を移し替えているかのように。その中には「山口トシオ」という名前が繰り返し登場する。だが、それは登記簿上ではすべて別人として処理されていた。
相続登記の時系列に歪みがある
ある名義変更の時期に、本来は被相続人がすでに死亡しているはずなのに、所有者として登場していたことに気づいた。つまり、登記の順序が時系列と合わない。これは、遺産分割の書類が何らかの形で改ざんされている可能性を示唆していた。
現地調査はサトウさんとともに
炎天下の中、サトウさんと私は現地へ向かった。例によって彼女は無言のまま車の助手席に座り、スマホで何やら調べていた。私はというと、カーナビの音声にすら文句をつけたくなるほどの暑さに辟易していた。
倉庫に眠っていた古いアルバム
件の家の裏手にある倉庫には、埃をかぶったダンボールが山積みになっていた。その中から出てきたのは、昭和の香り漂う家族写真と、見覚えのある公正証書のコピーだった。そこに記された遺言内容は、現在の登記内容と食い違っていた。
ご近所さんの証言と違和感
近所の八百屋のご主人は言った。「あの家の人、二十年前に亡くなったと思ってたよ。なのに、数年前に“帰ってきた”って話があって、そりゃあ奇妙だったさ」。まるで、死人が書類を操ったかのような話だった。
隣家の老婆が語った真実
隣に住む老婆は、震える声で語った。「あの火事の晩、助けを呼ぶ声が聞こえたんです。でも誰も信じてくれなかった」。彼女が見たという“帰ってきた人間”の描写は、生前の依頼人の弟に酷似していた。
二十年前の火事と一人の女性
火事で亡くなったはずの女性が、実は別の名前で生きていたという証言が得られた。しかも、その女性の名前は登記簿にも登場していたのだ。亡霊ではない、生きた“偽名”がここにいた。
消えた戸籍と“ゴースト”の影
調べを進めると、戸籍が一部失われていることがわかった。特定の時期だけ、書類が欠けていた。まるで“消されている”。ここにきて、登記簿という静かな紙の中に、いくつもの死と嘘が折り重なっていた。
司法書士としての違和感
その遺産分割協議書には、司法書士の職印が押されていた。だが私は一目でそれが偽造だとわかった。インクの質、位置、字体。何もかもが、違う。
法的に成立しない遺産分割協議書
文面には、相続人の署名も押印も揃っている。だが、全員の印鑑証明書が最新ではない。しかも筆跡が不自然だった。まるで、誰かが過去の遺産分割を“やり直した”ような痕跡がある。
判を押したのは誰か
登記申請書類に添付された職印の写しと、司法書士名簿の情報を照合すると、架空の人物名であることがわかった。つまり、すべての書類は、亡霊が書いたように偽りだった。
サトウさんの冷静な一言
「偽造ですね。ここまできれいに揃えてると、逆に目立つんですよ」――サトウさんの一言に、私は脱帽した。やれやれ、、、この人がうちのボスでもいいんじゃないか、と思ってしまう。
司法書士が黙っていられるわけがない
正義感とか、使命感なんてものはとうに忘れたつもりだったが、こういう悪意に出会うと腹が立つ。私は即座に法務局と警察に通報し、しかるべき手続きに移った。
真犯人との対峙
調査の末、依頼人の遠縁にあたる人物が浮上した。遺産相続に漏れたことで逆恨みし、偽造書類を作成したのだ。彼は静かに捕まり、「最初はちょっとした仕返しのつもりだった」と呟いた。
遺産を巡る家族の闇
金は人を狂わせる。だがその狂気は、紙の上で最もよく表れる。私は改めて、登記簿という書類の重みを痛感した。そこには、家族の本性すら映し出されるのだ。
すべては一通の遺言から始まった
きっかけとなったのは、手書きの遺言状だった。本来無効とされるべき内容が、形式を装って登記簿にまで反映されていた。司法書士の目からすれば、それは薄氷の上に築かれた城だった。
解決編 登記簿が語った死の真相
真相は、亡くなったはずの人物の名義が、別人の操作によって再利用されたという単純かつ悪質なものだった。だが、その過程で多くの人が騙され、誰かが泣いた。
名義変更の先にあったもの
私は、最終的な名義回復登記を無事に完了させた。登記完了の印を見た依頼人は、ほっとしたように微笑んだ。その笑顔が、わずかに救いだった。
「やれやれ、、、こんな形で終わるとはね」
私はため息をつきながらファイルを閉じた。紙の中にあるものは、いつだって静かだ。でも、そこに潜む声に耳を傾けなければならない。司法書士というのは、そういう職業なのだ。
後日談とほろ苦い夜
帰り道、いつもの居酒屋でビールを頼んだ。背中越しに聞こえる笑い声が、妙に遠く感じた。私は一人、記憶と登記簿の行間を思い返していた。
司法書士にできることと、できないこと
私にできるのは、書類を見抜くことだけだ。人の心まではどうにもできない。だが、せめてその痕跡だけでも正すことができれば、それでいいのかもしれない。
サトウさんはいつも通り塩対応
翌朝、事務所で「お疲れ様でした」と声をかけると、サトウさんは「特に変わったことはありません」と淡々と返してきた。私は小さく笑い、「やれやれ、、、」とつぶやいた。