一人で平気と言い続けて気づいたこと

一人で平気と言い続けて気づいたこと

一人で平気という言葉が自然に出るようになった頃

気づけば「一人で平気です」が口ぐせになっていた。誰に言われたわけでもない。ただ、そう言っている方が都合がよかった。大学を卒業して司法書士になって以来、地方で事務所を一人で切り盛りしてきた。最初は不安もあったが、「ひとりでも何とかなる」と思い込むことで、寂しさや不安をごまかしてきた気がする。あの頃は、誰かに助けを求めることが格好悪いことのように思っていた。

誰にも頼らずに生きることが当たり前だった

実家も遠く、友人も地元にいない。だから何でも自分でやるのが当たり前になっていた。人に頼るのが苦手で、「迷惑をかけるくらいなら一人でやった方が早い」と思い込んでいた。実際、何度か誰かに相談しようとしたこともあった。でも、いざ口に出そうとすると、喉の奥に引っかかって出てこない。結果、「まぁ、いいや。一人で平気だし」と自分に言い聞かせてしまう。

司法書士という職業の孤独さ

司法書士の仕事は、基本的に一人で完結することが多い。登記も、書類作成も、立会も、すべて一人でこなす。チームで動くような大きな事務所であれば違うのだろうが、私のような個人事務所では孤独との戦いだ。時には、相談者よりも先に気づいてあげなければならない責任もある。そんな緊張感の中で、誰かと気軽に話すという余裕を持てず、ますます「一人で平気」が染みついていった。

同業者との距離感と相談できない空気

同じ司法書士同士でも、気軽に愚痴をこぼせる関係というのは意外と難しい。地域性もあるのか、ライバル意識が見え隠れすることもあるし、「あの人、あんなこと相談してたらしいよ」なんて噂が回るのも嫌だった。だから、専門的な話さえもしなくなった。同業者が集まる懇親会も、なんとなく気が重くて足が遠のいてしまう。一人の方が楽だ、そう思い込むようになっていた。

強がりが日常になっていく感覚

「平気です」「大丈夫ですよ」「任せてください」——。そんな言葉を繰り返すうちに、それが自分の正しい姿勢だと思い込んでいた。だけど、内心は全然平気じゃない。胃が痛くなったり、夜眠れなくなったり、それでも「自分は大丈夫」と言い張っていた。強がりがいつのまにか自分の鎧になって、それを脱げなくなっていた。

平気ですって言えば済む便利な言葉

「平気です」は本当に便利な言葉だ。相手もあまり突っ込んでこなくなるし、自分も深く考えなくて済む。でも、その裏にある不安や寂しさは、どこにも行かない。見て見ぬふりをして、心の隅に押し込んでいるだけだ。たまに、それが夢に出てきたり、ふとした瞬間に涙がこぼれそうになる。けれど、そのたびに「いや、まだ平気だ」と自分を誤魔化す。そんなことを何年も繰り返してきた。

忙しさを理由にして感情をごまかしていた

日々の業務に追われていれば、深く考えずに済む。それが私にとって都合のいい逃げ道だった。朝から登記の確認、午後は依頼者との面談、夕方は書類の山。忙しいことを言い訳にして、自分の心と向き合うことを避けてきた。「感情なんて二の次だ」「プロなんだから当たり前」と、自分を納得させていた。でも、本当はただ傷つくのが怖かっただけなのかもしれない。

本当は誰かに聞いてほしいときがある

「一人で平気」と言いながら、心のどこかでは「誰かに話を聞いてほしい」と思っている自分がいる。何気ない世間話でもいい、ただ黙って隣にいてくれるだけでもいい。けれど、それを口に出す勇気がなかった。誰かに頼ることで、今まで築いてきた“平気な自分”が崩れるのが怖かったのだと思う。

愚痴を言える相手がいないという現実

昔は愚痴を言える友人もいた。でも年齢を重ねるにつれて、それぞれの生活が忙しくなり、連絡も減っていった。今は、仕事のことを誰かに話せること自体が貴重になっている。事務員に愚痴をこぼすわけにもいかないし、同業者は先述の通り気を遣う。だから、ついつい頭の中で「まぁいいか」「自分で消化しよう」となってしまう。孤独というより、どこにも吐き出せない苦しさが続いている。

事務員には言えないことも山ほどある

事務員さんは本当によくやってくれている。ただ、やっぱり立場も違えば、責任の重さも違う。たとえば、登記に関わる判断ミスや、裁判書類のプレッシャーなんかは共有できない。心のうちを話したところで、逆に気を遣わせてしまいそうで、結果として黙り込んでしまう。「一人で抱えるのが一番平和だ」と思ってしまう。でも、それって本当にいいことなんだろうかと最近よく考える。

仕事の中で感じるひとりの重み

一人で全てを抱えていると、「もし自分が倒れたらどうなるんだろう」と不安になる瞬間がある。後継もいない。急な入院や事故があったら、案件はどうなるのか。誰が対応するのか。そんなことを考えるたびに、孤独ではなく「危うさ」を感じるようになった。強がっている場合じゃないのかもしれない。

ミスも責任も全て自分に返ってくる

一人事務所だからこそ自由もある。でも、何かミスがあった時の責任はすべて自分に返ってくる。誰かのせいにはできないし、逃げ場もない。そういう緊張感が、常に背中にまとわりついている。毎日の小さな選択も、全部が積み重なってプレッシャーになる。だからこそ「一人で平気」という言葉でバランスを取ろうとしていたのかもしれない。

俺がやらなきゃ誰がやるという思い込み

仕事に対して真面目すぎると言われることもある。でも、「自分がやらなきゃ」という思い込みがないとやっていけない現実もある。代わりがいない、誰にも任せられない、だからやるしかない。その繰り返しの中で、「平気じゃない」と言う余地がなかった。気づけば、それが当たり前になっていた。でも本音を言えば、少しは「助けてほしい」と思っていた。

それでも一人で平気は武器でもある

たしかに「一人で平気」というのは強がりだった。でも、同時にそれがあったからこそ、ここまでやってこれたのも事実だ。孤独に耐える強さは、司法書士として必要な力だったとも思う。だけど、強さと引き換えに大切な何かを失ってきたような気もしている。だからこれからは、「一人で平気」じゃない自分も、少しずつ許していけたらと思う。

結局自分を守るための言葉だった

「一人で平気」は、自分を守るための呪文だった。傷つかないため、期待しないため、がっかりしないため。そう思えば、少し優しくなれる。「本当は平気じゃなかったけど、よく頑張ったな」と昔の自分に声をかけたくなる。これからは、もう少しだけ誰かに頼ってもいいのかもしれない。そう思えるようになっただけでも、少し前に進めた気がしている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓