登記簿が暴いた母の名前

登記簿が暴いた母の名前

相談者の訪問と不可解な依頼

朝の雨は止んだものの、湿気をたっぷり含んだ空気が事務所の壁にまで染み込んできそうだった。 そんな中、背筋をしゃんと伸ばした年配の女性が静かに扉を開けた。 「この土地の登記簿から、ある名前を消したいのです」と、彼女は一枚の古びた写しを差し出してきた。

名字だけを消してほしい理由

「なぜ、名字だけを?」と尋ねると、女性はわずかに目を伏せた。 「母の名前がそこにあるのが、どうしても許せないんです」 感情を押し殺すような声音に、私はただ無言で頷くしかなかった。

「母の名義を見せたくない」奇妙な言い訳

「これは私のわがままかもしれませんが……」と女性は続けた。 理由が腑に落ちないまま、私はとりあえず登記簿の謄本を請求することにした。 サトウさんが横目で一言、「気になりますね。変な依頼」とつぶやいた。

登記簿に残された古い記録

届いた謄本には、確かに女性の言うとおり、昭和の時代に記載された「母の名前」が残っていた。 だが、そこには普通ではありえない“ある特徴”があった。 その名字の部分だけが、後から書き換えられたような違和感を醸し出していたのだ。

相続人欄にある違和感のある筆跡

筆跡が明らかに違う。旧字体の使い方も、他の記載と明らかに異なる。 「これは、、、本人以外が無理やり書いたのでは?」とサトウさんがぽつりと言った。 素人では見抜けないような些細な差異を、彼女は一瞬で嗅ぎ取っていた。

地番のズレに気づいたサトウさん

「地番の並び、おかしくないですか?」とサトウさんが言った。 言われて見返すと、隣接するはずの土地の番号が飛んでいた。 分筆の際に、何かが意図的に隠された可能性が出てきた。

戦後の分筆と消えた名義人

登記の履歴をさらにさかのぼると、昭和22年に分筆された記録があった。 だが、その際の移転登記に関わる「登記原因」が不明瞭だった。 そして、ある一筆の名義人だけが記録からぽっかりと抜け落ちていたのだ。

「失踪」扱いの女性が残した記録

登記簿の余白に赤線で記された“失踪宣告”の記録。 それはこの土地にかつて存在した名義人で、女性の母と同姓同名だった。 「これ、サザエさんの波平さんがいきなり蒸発したくらいの衝撃ですよ」とサトウさんがつぶやいた。

抹消登記の履歴が語る奇妙な時系列

母の名前が記されたのは、失踪宣告の後だった。 つまり、すでに“存在しない”人物の名義が後から現れたことになる。 私は背筋に寒気を感じながらも、どこかで一つの推測にたどりついていた。

隠された婚姻と養子縁組の痕跡

戸籍の附票を追っていくうちに、そこに新たな事実が現れた。 母は一度、別の姓に変わっていた。そしてその後、養子縁組により旧姓に戻っていた。 つまり、名義の名字が二重に変更されていたことになる。

戸籍謄本に現れた知らない名字

見慣れない名字が一瞬だけ記録されていた。 わずか2ヶ月間の婚姻。その後すぐに離婚し、旧姓へ復帰。 なぜ、そんな短い期間の名前がわざわざ登記簿に残されたのか――不自然だった。

養子縁組と名義変更の法の盲点

どうやら、ある時期の登記官が、旧姓に戻った母を「別人」として処理していたらしい。 これにより、母は一つの土地に“二重の名義”を持つこととなった。 「法の抜け道を知ってた誰かが、意図的に操作したんでしょうね」とサトウさんが言った。

依頼人の正体と語られなかった家族

依頼人は、実の母の名前を恨んでいたのではなかった。 ただ、彼女の“過去”を、誰にも見られたくなかったのだ。 「母はね、昔“芸者”だったんです……父にはそれを隠してました」と語った。

「あの人が母だったなんて」

世間体や家柄を重視する夫の家で、彼女は母の存在をなかったことにして生きてきた。 だが、土地の処分が必要となった今、どうしても避けられない事実と向き合わざるを得なくなった。 登記簿が暴いたのは、不法な名義変更でも登記ミスでもなかった。生々しい人間の記憶だった。

相続放棄に潜む悲しい選択

最終的に、彼女は相続放棄の手続きを選んだ。 「母の名を消すことは、私にはできない。でも、この土地には関わらない」と。 それは赦しであり、決別でもあった。

事件の真相と過去からの解放

すべての調査を終えた後、私は謄本と戸籍を一つの封筒に入れて渡した。 依頼人は深く頭を下げて帰っていったが、その背中はどこか軽く見えた。 「名前は消せなくても、背負い方を変えることはできるんですね」とサトウさんがぽつりと呟いた。

登記簿が照らした母の人生

紙の記録に残された名前、それはただの文字ではなかった。 登記簿は、人の人生と向き合う鏡でもあるのだ。 私は、謄本の余白に映った“母”という存在の重さに、しばらく黙って見入っていた。

「やれやれ、、、」涙の結末

事務所に静寂が戻ると、私は背もたれに沈み込んでつぶやいた。 「やれやれ、、、結局、俺が一番泣きそうだよ」 その言葉に、サトウさんはわずかに口元をゆるめた気がした——気のせいだろうけど。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓