登記簿から始まる静かな違和感
依頼書に記された「滅失」
朝の事務所には蝉の鳴き声が入り込み、静かな書類の山に不釣り合いなほど生命感を与えていた。
届いたばかりの建物滅失登記の依頼書を見て、俺はほんの少し眉をひそめた。申請者は高齢の女性、その記載された住所は——俺が去年まで通っていた古びた木造住宅だったのだ。
もうあの家、取り壊されたのか?いや、昨日の帰り道でも屋根の瓦が少し崩れているのを見た気がするのだが……。
サトウさんの冷たい一言
「その家、まだ建ってますよ。ていうか、先週も新聞配達がポストに投函してました」
斜め後ろから飛んできた声は、いつもの塩対応であるサトウさん。視線も向けずにパチパチとキーボードを叩いている。
「……やっぱりな。滅失どころか生活感ありありってことか」
やれやれ、、、暑さも相まって、嫌な予感が胸の中でじっとりと汗をかき始めた。
現地調査と消えた住人の影
焼け落ちた家に残された表札
俺は現場に足を運んだ。真夏の日差しがギラギラと照りつける中、例の住所に向かうと、そこには確かに家があった——だが、全焼していた。
黒焦げの木材と、かすかに焦げた畳の匂いが鼻を突く。焼け落ちた玄関の柱に、煤けたままの「山崎」という表札だけが残っていた。
だが不思議なことに、その火事についてはどの新聞にもネットニュースにも報道がなかった。
近隣住民の証言と夜の物音
「あの家?先月の終わりくらいに、夜中に『バンッ』て音がして、それっきり火が出たみたいで……でも消防も来なかったわよ?」
近隣の奥さんが、物干し竿を手にしながら言う。
通報してないのか?それとも誰かが揉み消した?
「住んでた人?最近は誰も見なかったけど、たまに夜に灯りが点いてたわね」
なんだか、幽霊屋敷にでも迷い込んだような気分だった。
過去の登記と現在の矛盾
固定資産税台帳との微妙なずれ
市役所の資産税課で過去の台帳を確認する。そこには数年前に課税停止の処理がされていたが、火災による滅失の記録はなかった。
「一応、登記されてるけど現地の状態が伴ってないね」と、職員が首を傾げる。
登記簿と現場、税と現実。そのすべてが、見えない何かにズレさせられているような印象を与えていた。
名前のない建物履歴
法務局の建物台帳をさらに調べると、火災による滅失登記は確かに出されていた。しかし、その申請者が提出した委任状には、「所有者の記名押印」がなかった。
代わりに印字された名前と、どこかの司法書士の職印のコピー——それが偽造であることに気づくまで時間はかからなかった。
俺の名前が、それに使われていたのだから。
やれやれ、、、元野球部の足が棒になる
サザエさん的な偶然が引き起こす一手
「先生、事務所のFAXに変な写しが来てます」
サトウさんが無表情で差し出したコピー。それは、例の焼けた家に住んでいた山崎の戸籍の附票だった。
しかも、最近住所を移したばかりで、転居先には「共同住宅」の文字。
そしてその転居先というのが、俺が今朝立ち寄ったコンビニの裏手のボロアパートだった。人生は時に、サザエさんのエンディングのように都合よく回り出す。
空き地に置かれた謎の郵便受け
俺はアパートを訪ねた。空き部屋だらけの建物の一角、ポストに「山崎」の名前がテープで貼られていた。
だがチャイムを押しても応答はない。管理人いわく、「一昨日の夜に急に出て行った」そうだ。
残されたポストの中に、1通の封筒があった。「関係者以外開封厳禁」と走り書きされていた。
登記を巡るひとつの嘘
火災保険金と二重申請の罠
その封筒には、火災保険金の受取通知書の写しと、別名義で申請された滅失登記の控えが同封されていた。
山崎は、あらかじめ焼けた家を放火し、別名義で登記を済ませて保険金を二重に得ようとしていた。
だが、うっかり申請書の印影に俺の名前を使ったことで、司法書士のネットワークに引っかかったのだ。
かすかな筆跡からの逆転推理
封筒の走り書きは、「助けてほしい」と結ばれていた。
それは罪悪感か、それとも計画に失敗したことへの恐怖か。筆跡鑑定を依頼し、結果を持って警察に同行した。
そこで初めて、山崎がすでに別件の詐欺で指名手配されていたことを知った。
シンドウの逆転ホームラン
滅失届は誰が出したのか
調べを進めた結果、山崎の依頼を受けた偽司法書士が、都内の事務所を装って複数の滅失登記を行っていたことが判明した。
俺の名前を騙っていた理由は、「地方の司法書士は調べにくいから」という実に舐めたものだった。
逆にその舐められた俺が、真相をひっくり返すことになるとは、思いもよらなかっただろう。
仮住まいからの通報
山崎は、新たな逃亡先から何者かに脅されていたらしく、警察に自主的に出頭した。
そのきっかけとなったのが、サトウさんがこっそり出していた「匿名の通報FAX」だったことを、後に知った。
俺はというと、その頃すでに、事務所でアイスコーヒーを片手に次の登記簿と睨めっこしていた。
最後に残された未記入の住民票
サトウさんの「やっぱりね」
事件が落ち着いたある日、机の上に未提出の住民票があった。そこには「山崎」の名前と共に、空白の欄があった。
「転入先、実はもうひとつあったみたいですね」と、サトウさんがぼそり。
俺は住民票を見下ろしながら、ため息まじりに呟いた。「やれやれ、、、まだ終わっちゃいなかったのかよ」