今日も帰り道は一人きり(でもまあ自由だ)

今日も帰り道は一人きり(でもまあ自由だ)

夕暮れのコンビニ前、俺はひとりだった

仕事を終え、車を事務所の前に置いて、ふらっと歩いてコンビニに寄る。それが毎日の小さなルーティンになっている。夕暮れに照らされたアスファルトの匂いと、レジ横の肉まんの湯気。それが自分にとっての“お疲れさま”だ。ふと気づくと、周囲の客は夫婦連れか学生ばかりで、ひとりの中年男がレジに並ぶ姿は、なんとなく場違いに思える。別に誰も気にしてないと頭ではわかっていても、心のどこかで“また今日も一人か”という言葉が浮かんでくる。でも、それが自分の日常だ。

依頼者の笑顔と引き換えにする孤独

司法書士という仕事は、人の人生に深く関わる場面が多い。相続、登記、成年後見、どれも人の節目に寄り添う仕事だ。感謝の言葉をもらえることも多いけれど、その瞬間が過ぎればまた静寂の中。ある依頼者の女性に「本当に助かりました。先生がいてくれてよかったです」と泣きながら言われたことがあった。あの瞬間、自分の存在価値を感じたのに、その夜には一人の部屋で冷めた弁当を食べていた。誰かの大切な瞬間を支えた代償として、自分の時間はひどく空虚だった。

仕事帰りに感じる妙な虚無感

一日の業務が終わって、事務所の電気を消すと、急に静寂が訪れる。電話も鳴らない。誰もいない。そんな瞬間に、「何のために頑張ってるんだろう」と考えることがある。周囲の友人たちは家庭を持ち、帰れば温かい食卓と家族の会話があるのだろう。でも自分には、そういう帰る場所がない。誰にも文句を言われず、気を遣うこともない。でも、誰かが待っていてくれるというのは、想像以上に心を支えてくれる存在なのかもしれない。

充実感と空白感は同居する

不思議なことに、仕事中は充実していると思う瞬間もある。登記がうまくいったときや、依頼者に感謝されたとき、事務員が「お疲れさまです」と言ってくれるだけでも少し救われる。でもその反動なのか、夜になると空白感に襲われる。何かをやり遂げた達成感のすぐ後に、ぽっかりと心に穴が開く。それは、仕事という仮面を外した後の、本当の自分がむき出しになる瞬間だからかもしれない。

誰にも求められない夜の時間

帰宅後、時計の針が進む音だけがやけに響く。テレビもつけず、スマホも手に取らず、ただただ時間が過ぎていく。ふと、「今、自分がいなくなっても誰も気づかないんじゃないか」とさえ思ってしまうこともある。そんなことを考えたあとで、「いや、依頼者が困るか」と自嘲気味に笑ってみる。そんな夜をいくつも超えてきた。

自由とは孤独とセットなのか

誰にも干渉されず、思い通りにスケジュールを組み、好きな時間に寝て起きる。それは一見、自由で気楽な生活に見えるかもしれない。だけど自由には責任が伴うし、その自由が過ぎると、孤独になる。誰かに「今日こんなことがあってさ」と話したくなる日もある。でも、話す相手がいないときは、その気持ちごと忘れるしかない。

スマホを見ても誰からも連絡はない

仕事が終わってスマホを手に取る。LINEの通知はゼロ。SNSのタイムラインも他人の幸せそうな投稿ばかりが並ぶ。いいねもコメントも押す気になれず、ただスクロールするだけの指がむなしい。人とつながる手段がいくらでもあるこの時代に、なぜこんなにも孤独を感じるのか。きっと、つながる相手がいないという現実を、目の前に突きつけられるからだ。

「まあ、それでいい」と言い聞かせてみる

ここまで来ると、孤独すらも“自分のスタイル”として受け入れた方が楽だと思うようになる。友人との予定に合わせる必要もない、誰かに気を遣うこともない。そうやって「まあ、それでいい」と自分に言い聞かせて、なんとか今日も乗り切っていく。心のどこかでは、誰かと笑い合える日が来ればいいとも思っているのに。

事務所に戻れば書類と静寂が待っている

朝出社すれば、昨日の続きの書類が机の上にある。誰もいない事務所は静まり返り、プリンターの起動音だけが鳴り響く。集中できる環境ではあるけれど、長く続くと気が滅入ることもある。笑い声の一つもない空間で、書類だけが自分の会話相手だ。

忙しさがごまかしてくれるもの

やることが山積みになっているときほど、余計なことを考えなくて済む。忙しさは時に、孤独や不安をうまくごまかしてくれる鎧になる。ただ、ふと手が止まったときにその鎧がはがれて、心の中の静けさと向き合うことになる。そういう時間をどうやって乗り越えるかが、結局この仕事を続けていく鍵なのかもしれない。

「この仕事が好き」と言い切れない理由

司法書士という仕事が好きかと聞かれると、即答できない。やりがいはある。でも「好き」と言い切るには、あまりにもしんどい日が多すぎる。プレッシャーや責任感、それに報われない瞬間の連続。だけど、他の仕事に就くことを考えると、それもしっくりこない。この複雑な感情を抱えながら、今日も仕事をしている。

でも辞めたいわけでもない不思議な感情

疲れた、しんどい、孤独だ。そう思っても、なぜか「もう辞めよう」とはならない。不思議なもので、この仕事を通じて誰かに必要とされることは、やっぱり心の支えになっている。たとえ夜が一人でも、朝にはまた「先生お願いします」と頼られる。そんな繰り返しの中に、自分なりの役割がある気がしている。

それでも明日はまた来る

どんなに疲れていても、朝は来る。書類は待ってくれないし、依頼も次々にやってくる。そんな中で、心のバランスを取りながら、一歩ずつ進んでいく。時には立ち止まっても、また歩き出す。それが今の自分の生き方だ。

「もうひと頑張り」が口癖になっていた

気づけば「もうちょっとだけ頑張るか」が自分の口癖になっていた。誰かに強制されたわけじゃない。ただ、逃げたくない気持ちと、誰かの期待に応えたい気持ちが、そう言わせているのかもしれない。その積み重ねが、自分をここまで連れてきた。

自分で選んだ道に後悔はあるか

後悔がないかと言えば、嘘になる。もっと別の人生もあったかもしれないと思う夜もある。でも、今の自分を否定したくはない。失敗も不器用さも全部含めて、これが自分なのだと受け入れるしかない。たとえ誰かの理想像とはかけ離れていても。

いつか誰かと笑える日がくるとしたら

このまま一人かもしれないし、いつか隣に誰かがいるかもしれない。先のことはわからない。でも、今日も頑張った自分をちゃんと褒めてやろう。誰もいない夜道を歩きながら、空を見上げてつぶやいてみる。「まあ、今日も悪くなかった」と。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。