封印された証明書

封印された証明書

朝の司法書士事務所に届いた一通の封書

その日も変わらず、コーヒーはぬるかった。眠気の残る目で封筒を開いたとき、見慣れた様式の印鑑証明書が一枚、ふわりと滑り落ちた。

差出人は不明。ただの確認かと思いきや、どこか違和感がある。名前の記載はあるが、受け取った覚えがない。

「サトウさん、これ……なんだと思う?」僕は事務所の奥から無表情でこちらを見るサトウさんに尋ねた。

差出人不明の封筒と印鑑証明書の謎

証明書の日付は昨年。だが、その当時この人物の登記申請は受けていない。署名も本物に見えない。

サトウさんが端末を叩く。「この名前、たしか登記簿に出てましたよ。先月、相続登記で依頼が来たやつ。」

嫌な予感がする。何かが、抜け落ちている。何かが、偽られている。

サトウさんの鋭いひと言が火をつけた

「これ、本当に本人の意思だったんですかね?」

その言葉に僕は身を乗り出した。そうだ、形式は揃っていたが、内容に不自然さが残っていた。

まるで誰かが“都合よく”整えたかのように、全てが綺麗に収まっていたのだ。

依頼人の登場と語られない過去

午後、若い女性が訪れた。黒のジャケットに緊張した面持ち。名を聞けば、件の相続人の一人だという。

「この遺産分割、兄が勝手に決めたんです。私、何も聞かされてなくて……」

驚くことに、彼女は協議書への署名すら記憶にないという。

若き女性が抱えた不自然な遺産分割協議書

その協議書には、確かに彼女の署名があった。印影も整っている。しかし、それは本当に彼女のものなのか?

僕は再確認のため協議書を見返した。筆跡が不自然に揃いすぎている気がした。

「兄は、私が反対するのを知ってたんです。だから……」彼女の言葉が途切れた。

なぜか噛み合わない相続人の証言

もう一人の相続人である兄の説明は正反対だった。「ちゃんと妹も納得してましたよ」

署名も印鑑も本人のものだと主張し、やや高圧的な態度で事務所を後にした。

「うさんくさすぎますね」とサトウさんが吐き捨てた。僕もうなずいた。これは普通の相続じゃない。

印鑑証明の番号が語る違和感

市役所で確認をとった。証明書番号は、実在するが発行された日付が違う。

「日付の改ざんか……?」と呟いた僕の脳裏に、過去の事例がよぎった。

一度閉じたはずの記憶のファイルが、音を立てて開かれていく。

シンドウのモヤモヤは的中した

この証明書、どうやら原本からの写しではない。どこかから流出した情報を元に作られている。

印影もスキャンしたものを転写した可能性が高い。つまり——偽造。

「やれやれ、、、どうしてこう面倒な依頼ばっかり来るんだろうね」思わず独りごちた。

市役所での調査と登記簿のズレ

登記簿に記載された住所が、証明書のそれと異なっていた。変更届が出ていない。

「それ、実印じゃないですよ」と窓口の職員がぽつりと漏らした。

誰かが、偽の証明書で実印の効力を持ち出したということになる。

行方不明の兄と一通の委任状

兄はその後、連絡が取れなくなった。登記完了を待って逃げたのだろう。

彼が残した委任状は、司法書士を通さず個人的に書かれたものだった。

サトウさんが不機嫌そうに呟いた。「まるで怪盗キッドですね。煙と一緒に姿を消した。」

登記申請に必要だったはずの「本人」

本人確認が十分でなかったのか。いや、意図的に書類が作られていた可能性が高い。

不正申請による登記は無効となりうる。だが、すでに完了済みだ。

復元には、新たな手続きと正当な意思確認が必要だった。

偽造された筆跡と隠された事実

筆跡鑑定を依頼した結果、妹の署名も偽造と判明した。しかも、兄の筆跡だった。

もはや逃げ場はない。証拠はそろった。司法書士会に報告を上げる段取りを取った。

「これで一件落着ってとこですかね」サトウさんが、珍しく紅茶を淹れてくれた。

やれやれ、、、決め手が足りない

と思った矢先、ふと気づいた。封筒の消印——それだけがまだ腑に落ちない。

なぜ一週間も前に投函されていたのに、今届いたのか。

サトウさんが手帳の切れ端を持ってきた。「この日、配達事故あったんです。気象庁の警報で。」

喫茶店での偶然と手帳の切れ端

実は、サトウさんは一週間前に喫茶店で兄と女性の姿を目撃していた。目立つ格好だったらしい。

「あのとき、ケーキの取り合いしてましたよ。兄妹じゃなくて、グルかもですね。」

真実はさらに複雑だった。全て、財産目当ての共謀だったのだ。

サトウさんの言葉に込められたヒント

「共犯だとすれば、今の住所に行っても誰もいないですよ」

確かに、住所も使い捨てられた仮名のようなもの。証明書も、彼らにとっては単なる道具。

僕は静かに深くため息をついた。「司法書士って、探偵より面倒な仕事かもな、、、」

再び開かれる司法書士会の研修資料

夜、研修資料を開いた。「本人確認の落とし穴」そのタイトルがやけに現実味を帯びていた。

「俺、昔もこれやったはずなんだけどな」うっかりにも程がある。

「まぁ、最終的に止めたから合格ってことでしょ」とサトウさんが言った。

古い判例に残された「鍵」

判例集の一文が目に留まる。「意思に基づかない署名捺印は、無効となる」

まさにそれだった。そして今後も、同じような事例は後を絶たないだろう。

だけど今回は、止められた。それだけが救いだった。

封筒の消印が語る証明された真実

消印の日付がなければ、偽造に気づくこともなかっただろう。すべては偶然が導いた真実。

「サザエさんならここで波平が説教する場面ですね」と言うと、サトウさんがくすっと笑った。

明日もまた、地味で面倒で、それでも大事な仕事が僕らを待っている。

すべての印鑑が語る結末

印鑑。それは個人の証。けれど、それを偽ったとき、真実は静かに声を失う。

僕は静かに証明書を封筒に戻した。これも証拠の一つだ。

紅茶の香りが、ようやく心に届いた。

遺言はなかった ただ一人の偽り

遺言も遺志もなかった。ただ、偽りがそこにあった。

サトウさんが最後に言った。「やっぱり司法書士って、地味だけどスゴイですね」

僕は答えなかった。だけど少しだけ、背筋が伸びた気がした。

サトウさんの冷ややかな微笑と紅茶

「次は普通の登記がいいです」

「できれば詐欺じゃないやつを」

冷ややかな微笑と、少しぬるくなった紅茶が、今日の終わりを告げた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓