誰にもわかってもらえない苦しさ

誰にもわかってもらえない苦しさ

誰かに話したくても、話せない日々

毎日のように抱えるストレスや疲れを誰かに話したいと思っても、いざ口に出すときには言葉が出てこないことがある。特に司法書士という仕事は、内容が専門的すぎて、友人や家族に説明しても理解してもらえないことが多い。事務員の彼女には話しにくいし、同業者には弱音を見せたくない。だから結局、自分の中に閉じ込めてしまう。ふと夜中にコンビニに立ち寄ったとき、レジで「お疲れ様です」と言われただけで泣きそうになる。そんなふうに、自分でも気づかないうちに孤独が心の中で積もっている。

「忙しいから」の一言で済まされる孤独

「最近どう?」と誰かに聞かれても、「忙しいよ」と答えてしまう。そう言ってしまえば、それ以上踏み込まれることもないし、心配されることもない。便利な言葉だけれど、同時に自分の心に鍵をかける言葉でもある。実は、「忙しい」より「寂しい」って言いたい。でもそんなことを言える相手は今の僕にはいない。言ったところで、相手が返事に困るのもわかっている。だから黙ってしまう。静かな夜、スマホを見つめても通知は鳴らず、「お前は一人だぞ」と告げられている気がする。

時間がないのではなく、心の余裕がない

仕事の量が多いのは事実だけど、それ以上に心がいつもぎりぎりだ。登記のミスを恐れて何度も確認し、電話が鳴れば「クレームじゃないか」と身構える。昼ごはんを食べながらも、頭の中は「次の案件どうしよう」で埋め尽くされる。そんな毎日を繰り返していると、何をしても心が落ち着かない。ゆっくりコーヒーを飲む時間があっても、気づけば溜息ばかりついている。仕事をしているというより、仕事に追い立てられている感覚。それが余裕のなさの正体なのかもしれない。

愚痴をこぼす相手がいないという現実

「誰かに愚痴でも言えたら少しは楽になるんだろうな」と思うことはある。でも実際には、愚痴を言えるような相手がいない。事務員さんには立場上言いづらいし、同業者との飲み会も、どこか「弱さを見せてはいけない」空気がある。昔は仲の良かった友人にも、仕事の忙しさで距離ができてしまった。SNSでつぶやくこともできるけど、そんな投稿を見せるほどの繋がりも残っていない。気づけば、笑うのも怒るのも、一人きり。愚痴が喉まで出かかって、飲み込む毎日。

小さなつまずきほど、誰にも理解されない

司法書士の仕事は、日々細かな判断の連続だ。だからこそ、小さなミスが命取りになることもある。でも、その「小さなこと」がどれだけ重くのしかかるか、外からは見えない。実際に僕も、ちょっとした添付書類の手配ミスで何度も自分を責めたことがある。周りから見れば「それぐらいで」と笑われることかもしれないけれど、こちらとしては胃がキリキリするほどのプレッシャーになる。共感されないことが、さらに自分を追い込む。

「それぐらいで?」と言われる痛み

以前、知人に「今日ミスしてしまってさ」と話したら、「それぐらい、誰でもあるよ」と言われた。たしかに誰でもあることかもしれない。でも、僕たちの仕事は「それぐらい」で済ませてはいけない職種だ。法務局に提出する書類に不備があれば、お客様にも迷惑がかかる。自分だけの失敗では済まされない責任感があるからこそ、ちょっとしたことでも深く落ち込む。それを軽く流されると、「自分の苦しみは誰にも伝わらないんだな」と感じてしまう。

自分だけが深刻に感じてしまう理由

周囲と感覚がずれているのかもしれない、と思うことがある。みんなは上手に流しているのに、僕だけが一人で深刻になっている。そんなふうに考えると、自分がおかしいのかもしれないと、ますます言えなくなる。実際、司法書士は真面目で責任感が強い人が多い分、細かいことに引っかかりやすい。だけど、それを理解してもらえる機会は少ない。だから僕たちは、孤独の中で自分の感情と向き合い続けるしかない。

司法書士という職業の壁

華やかに見られることもあるこの職業だが、実際は泥臭くて、地味で、神経をすり減らす作業の連続だ。特に、制度の変化や依頼人との温度差に悩まされることも多い。法のプロであっても、人の心までは読みきれない。誰かの役に立ちたいという思いと、現場での理不尽さとのギャップに苦しむ。肩書きに見合う誇りを持ちたいけれど、その裏側には日々の葛藤がある。

正解があっても、納得のいかない現場

マニュアル通りに進めれば正解、という仕事ではないのが司法書士だ。法的には間違っていなくても、依頼人から「冷たい」と言われることもある。逆に、依頼人の希望に寄り添いすぎて法的リスクが出てしまえば、それはそれで非難される。何が正解なのか、時々わからなくなる。書類のミス一つで、「先生、大丈夫ですか?」と疑われることもある。正しさよりも印象が優先される場面に出くわすと、自分の無力さを感じずにはいられない。

理屈よりも「空気」で動く手続き

たとえば、同じような相続登記でも、地域や担当者によって求められる資料が違ったりする。理屈ではこう、と言いたくても、現場の「空気」に従わざるを得ないことがある。そうした曖昧さに、何度もストレスを感じてきた。正しいことを主張したら面倒なやつだと思われ、波風を立てずに従えば後悔が残る。結局、誰のために仕事をしているのかわからなくなってしまう。

制度と感情の狭間で揺れる

登記や法律にはルールがある。でも、人の心にはルールなんて存在しない。遺産分割で揉める家族の間に入って、言葉を選びながら説明をする。でも、どうしても誰かの感情は傷ついてしまう。冷静でいることが求められるけれど、その場にいるだけでこちらの気持ちまで沈んでしまう。法律の専門家でありながら、感情の渦に巻き込まれる毎日は、静かに精神を削っていく。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。