古い家の名義変更依頼
怪しい依頼人の訪問
事務所のドアがぎいと軋む音を立てて開いた。昼過ぎの気怠い時間帯、薄暗い光の中に立っていたのは、黒縁メガネをかけた地味な男だった。
「古い家の名義変更をお願いしたくて」と彼はぼそぼそと話し始めたが、その語り口にはどこか自信のなさと、何かを隠しているような雰囲気が漂っていた。
ぼくの勘は、早くも赤信号を灯していた。
どこか引っかかる委任状
彼が差し出した委任状を見た瞬間、なにかが引っかかった。書式は完璧に整っているが、妙に新しすぎる印影と、フォントのように均一な署名。
この仕事を20年やっていて初めて見るような違和感だ。ぼくはその感覚を飲み込めず、しばらく書類を見つめていた。
「サトウさん、これ見てくれる?」声をかけると、事務所の奥から例の塩対応がやってきた。
登記簿が示す違和感
名義人の死亡日と登記の矛盾
登記簿謄本を取り寄せてみると、驚くべき事実が判明した。名義人はすでに10年前に亡くなっているにもかかわらず、2年前に住所変更がなされていたのだ。
まるで幽霊が引っ越ししたみたいだ、とサトウさんが呟いたが、口調は淡々としていた。
こういう時、彼女は必ず冗談めいたことを言うが、決して笑わない。
職権抹消の過去と不可解な履歴
さらに調べてみると、過去に一度、別の司法書士が職権で登記を抹消していた形跡があった。しかしその抹消も、なぜか途中で止まっていた。
何者かがその履歴を無理やり巻き戻したかのような記録。こんな面倒なケース、久しぶりだ。
「やれやれ、、、」と漏れた声は、もはやため息のようだった。
サトウさんの冷静な指摘
「これ、筆跡が違いますね」
サトウさんは静かに委任状を二枚並べて言った。「生前に出された書類と、今回の委任状、筆跡が全然違います」
ぼくは目を凝らして見た。確かに、前は達筆な草書体だったのが、今回はまるで教科書体のように整っている。
「誰かが偽造したってことか?」と訊くと、彼女は無言で頷いた。
冷たくも鋭い推理の糸口
「委任者の死亡時期、登記の変更日、筆跡、全部辻褄が合いません」
彼女の冷たい指摘は、まるで探偵漫画の助手が名探偵にヒントを投げるようだった。
ぼくはようやく頭が冴えはじめ、再度登記簿を開いた。
近所の噂と空き家の真相
かつて火事があった家
調査を進めるうちに、その家は数年前に火事に遭っていたことがわかった。
しかも、その後誰も住んでおらず、地域では「幽霊屋敷」と呼ばれていたらしい。
登記簿にはそんな事情は載っていない。現場へ行く必要があると判断した。
生きていた名義人の姉
家の近所で話を聞くと、名義人には高齢の姉がいると判明。訪ねると、意外にもしっかりした女性が出てきた。
「弟?あれから音信不通だけど、生きてるなら会いたいわ」と彼女は言った。
つまり、死亡届も嘘だったということか?
司法書士の職務を超える瞬間
「俺の仕事じゃないけど…」という葛藤
これ以上は警察案件かもしれない。そう思いながらも、ここで手を引いたら何もわからないままだ。
「俺の仕事じゃないけど…」と呟きつつ、ぼくは再び書類を見直した。
妙な連帯保証の記述が、過去の登記に埋もれていた。
現地調査と空き家に残る謎の手紙
家の床下には、湿った封筒が隠されていた。中には、弟の筆跡で「全部、俺がやった」と書かれた手紙。
自白とも取れるが、日付も署名もない。これが証拠になるとは限らないが、核心に近づいた感覚はあった。
サザエさんの波平が眉をひそめる時の気持ちって、きっとこんな感じだ。
偽造と背任の痕跡
書類に仕組まれた巧妙な細工
後日、銀行提出用の抵当権設定契約書にも不自然な点が見つかった。
名義人が亡くなったあとに押された印影。しかも、印鑑証明は再発行された形跡がない。
これはもう完全に偽造だ。
知らぬ間に担保にされた家
依頼人を装っていた弟は、姉の名義になった家を勝手に担保にして、借金を背負っていたのだ。
姉はそれをまったく知らなかった。
本物の悪人は、すぐそばにいる。そういうオチ、探偵漫画でよく見るけど、現実だとえげつない。
銀行員との不可解なやりとり
不審な融資の背景
銀行側は「確認は取った」と言い張ったが、実際は電話一本で済ませていた。
本来であれば本人確認書類の原本照合が必要なところを、委任状だけで通したらしい。
役所よりずさんな手続きに、開いた口が塞がらなかった。
金の流れから浮かび上がる影
借金はすでに使い果たされ、回収不能。
資金の流れを追うと、ホストクラブやギャンブルの支払いばかりだった。
どこまでも俗っぽく、どこまでも哀しい結末だ。
真犯人は身近にいた
名義人を装った弟の正体
すべての証拠が揃った時、依頼人が再び事務所に現れた。
「いろいろ調べていただいたようで」と余裕の笑みを浮かべていたが、こっちも準備は万端だった。
警察へ通報するだけの材料は、すべて揃っている。
遺産目的の計画的犯行
彼は名義人である兄の死亡を装い、偽造した書類で登記を操作し、空き家を担保に借金をしていた。
すべては計画的だった。
ただ一つ、ぼくが登記簿を信じなかったことだけが、想定外だったのだろう。
サトウさんの追い詰め方
塩対応の裏にあった綿密な準備
実はサトウさんは、委任状の紙質と筆圧までチェックしていた。
ぼくが気づかなかった矛盾点を、彼女は静かに積み上げていたのだ。
「あなた、結構こわいね」と言ったら、「よく言われます」とだけ返された。
「全部あなたが仕組んだんですよね?」
面前でサトウさんが言ったその一言に、男は一瞬だけ表情を歪めた。
それがすべてを物語っていた。
やっぱり、最後に決めるのは彼女なんだよな、、、。
登記簿が証言する真実
過去の記録が暴いた犯行の動機
登記簿というのは、誰かの記録ではなく、事実そのものだ。
書かれていること以上に、書かれていないことが語ることがある。
今回もそれが事件を解く鍵になった。
司法書士だからこそ暴けた構造
警察が見逃し、銀行が気づかず、役所も流してしまった手続きを、
ぼくたちは「正確に」見ていた。それだけだ。
それだけのことが、真実に辿り着く力になる。
やれやれという結末
書類を閉じる手が少しだけ軽い
事件が解決しても、報酬は変わらない。
それでも、今日だけは少しだけ達成感があった。
「やれやれ、、、今日も登記簿が一番しゃべったな」
事件の後の静かな日常へ
サトウさんはさっさと帰り支度をしている。
「夕飯、カレーですか?」と訊いたら、「別に」と塩対応。
明日も、きっと事件より厄介な仕事が待っている。