気づけば限界を超えていた
ふと気づくと、もう何も考えたくない、誰とも話したくない。そんな朝がある。心のバッテリーがゼロどころか、予備のバッテリーすら切れてしまったような感覚。疲れているのはわかっていた。でも「まだいける」「もう少しだけ」と自分を騙していたツケが一気に回ってきた。これが“限界を超えた”という状態なんだと、身体よりも先に心が静かにシャットダウンする。声も出さず、感情も動かず、ただ時計の針が進む音だけが聞こえる朝。そんな日が、司法書士という仕事をしていると、確かにある。
「疲れてるはずなのに休めない」という矛盾
体は重くて、頭もぼんやりしていて、明らかに「休むべき日」だと分かっているのに、パソコンを開き、メールを見て、電話に出てしまう。まるで反射のように。「自分がやらなきゃ回らない」という呪いのような思い込みが、身体を無理やり動かす。休むことで誰かに迷惑がかかるかもと考えてしまう自分がいて、結局休めない。こんな状況を何度繰り返しただろう。
頭ではわかっていても手を止められない
「倒れたら意味がない」「無理しちゃダメだよ」と、人には平気で言える。でも自分にはなぜか許せない。やらなきゃ、進めなきゃ、止まっちゃいけない。そんな義務感が染みついてしまっている。頭ではわかっているのに、いざとなるとパソコンを閉じられない自分がいる。
「あと1件だけ」が積み重なって崩れる日
「この1件だけ終わったら」「この書類だけ仕上げたら」…そう言い続けて数日経つと、心が完全にすり減っているのに気づく。「あと1件だけ」が10件分の疲れを連れてくる。あの時、止まっていれば、と何度も思うが、もう遅い。予備のバッテリーすら使い果たしてからでないと、私は気づけないらしい。
心の余裕がゼロになる瞬間
気持ちに余裕があるときは、多少のことでは動じない。冗談も笑えるし、嫌味にも流せる。でも、心がすり減っているときは、たった一言で胸が詰まり、涙が出そうになる。まるでガラス細工のように脆くなる瞬間が、誰にでもあるはずだ。
小さな一言で涙が出そうになる日
ある日、コンビニでレジの店員さんに「お仕事お疲れさまです」と言われた瞬間、なぜかこみ上げてきた涙をこらえるのに必死だった。誰かに労られることに慣れていなかったせいか、それがあまりに温かくて、自分がどれだけギリギリだったのかを痛感させられた。
「頑張ってますね」の破壊力
「先生、いつも頑張ってますね」——依頼者にそう言われた時、心の奥がじわっと揺れた。何気ない言葉だったかもしれない。でも、見てくれてる人がいる。その一言が、逆に泣きそうになるくらい、染みた。ギリギリで踏ん張っていた心のバランスが崩れかけた瞬間だった。
司法書士という仕事の「見えない重圧」
司法書士は、見た目には淡々と書類を扱っているように見えるが、その実、責任の塊みたいな仕事だ。登記ミスは即トラブルになり、依頼者の人生にまで影響を与える可能性がある。そのプレッシャーを、誰にも悟られずに背負い続ける日々は、想像以上にしんどい。
誰にも頼れない仕事の孤独
相談相手がいないわけじゃない。でも、「この案件どう思う?」と気軽に話せる同業者が近くにいない地域では、ひとりで考えて、ひとりで決めて、ひとりで責任を取る。それが当たり前になると、心はどんどん閉じていく。信頼している事務員もいるが、結局のところ最終的な責任は全部、自分の肩の上にある。
事務員がいても結局責任は自分
うちには信頼できる事務員が一人いる。でも、どれだけ正確にやってくれていても、最終確認は自分。押印する瞬間、すべての責任が自分に降ってくる感覚は慣れない。事務員のミスも自分の責任。だから、「任せる」という行為自体が、心のどこかで恐怖でもある。
「間違えられない」ことが呪いになる
一度のミスが致命的になる。だからこそ、完璧を求め続ける。でも、それが「間違えられない」という呪いになって、自分自身をどんどん追い詰めていく。気づけば、仕事が終わっても安心できず、夜中に「あれ大丈夫だったかな…」と不安で目が覚める。
生活と仕事が地続きになる地方の現実
都会と違って、地方では生活と仕事の距離が極端に近い。道ですれ違う人の中に依頼者がいる。スーパーでも、病院でも、どこかでつながっている。だから、気を抜ける瞬間がほとんどない。仕事の顔のまま、生活している感覚になる。
コンビニも銀行も依頼者と遭遇ゾーン
朝のコンビニで「あっ、先生!」と声をかけられ、寝不足の顔を見られたこともある。銀行のATMでも、「昨日の登記どうなりました?」と聞かれた。逃げ場がないとはこのこと。常に気を張っていなきゃいけない疲労感は、精神的な圧迫感として溜まり続ける。
プライベートのない日常に疲弊する
たとえオフの日でも、「あの人先生だよね」と見られることを意識してしまう。変な格好もできないし、酔ってもいられない。誰にも気づかれずにただの「人」として過ごす時間が欲しいのに、それすら許されないような閉塞感が、じわじわと心を蝕んでいく。
自分をいたわる余白のつくり方
無理をし続けた末に崩れる前に、どこかで「休む」決断をすることが必要だと頭では分かっている。だけどそれが難しいのが現実。だからこそ、小さな余白、小さな回復ポイントを生活の中に散りばめる必要がある。
「できない自分」を許す訓練
「できて当然」「全部終わらせなきゃ」という思い込みを少しずつ手放す練習をしている。ミスをしないことよりも、自分を壊さないことを優先する。「今日は無理だったな」と思ったら、それを責めないで、ただ受け入れるだけでいい。そう思えるようになるまで、ずいぶん時間がかかった。
業務効率よりも休む勇気を持つ
忙しいからこそ、あえて手を止めて休む勇気が必要だと感じている。回すことに必死になって、心が壊れては意味がない。1時間、コーヒーを飲みながら空を眺めるだけでもいい。その時間が、心の予備バッテリーを少しだけ回復させてくれる。
小さな楽しみを仕込む習慣
「これを終えたら好きなラーメンを食べに行こう」とか、「日曜は絶対に本屋に行く」といった、小さなご褒美や楽しみをあらかじめ予定に組み込んでおくようにしている。それがあるだけで、目の前の業務に対する心の向き合い方が少しだけ柔らかくなる。